過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?

 

2019年11月26日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(その1)
 一球毎にコースも回転も速さも違うボールに追いついて打ち返すテニスに比べ、自分の好きなところに置いて好きなタイミングでボールを打つゴルフは簡単、というとそうでもないようです。ゴルフもテニスと同様にとても難しいスキルを必要とします。
 というのも実際にプロのゴルファーは何年、何十年もそれを繰り返して練習します。ディフェンスに邪魔されることなくできるバスケットボールのフリースローもそうです。アメリカのプロバスケットボールの選手は試合に出るまでに少なくとも100万回以上のフリースローの練習をするそうです
 このように運動のスキルを身につけるには反復練習は欠かせません。では反復練習の結果、人の運動システムは何を学習しているのでしょうか?
 たとえば反復練習の結果、バスケットのフリースローやゴルフのスイングにはその選手独特のフォームが形作られてきます。非常に安定したその人らしい形が作られるわけです。そうすると同じ運動の形を再現することが反復練習の目的であるように勘違いしがちです。過去にうまくいったときの身体の形(フォーム)を再現しているんだと思いがちです。でもそれは間違いです・・・・というのが今回のテーマです。(続く)

 

 

2019年12月3日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(その2)
そもそも人の運動システムは、正確に同じ運動を繰り返すのは苦手なのです。たとえばプロゴルファーのスィングの軌跡を見ると、毎回微妙に異なっています。つまりまったく同じスウィングは繰り返されることがなく、かといってそれらの軌跡は必ず一定の範囲内に留まっています。一回毎のスウィングは異なっていても、どれも近似なのです。アマチュアはその範囲が広く、つまりブレが大きいということでしょう。バスケットボールのフリースローも同様の結果となります。投げたボールの軌跡も毎回微妙に異なっているのです。
 これはなぜかというと人の身体はゴムのような粘性や弾性の性質を持っているからです。たとえば1メートルの長さで同じ太さの棒を樫の木とゴムで用意しましょう。そして壁の電灯のスイッチから適当に離れて、その棒でスイッチをつけてみます。樫の木の棒では視覚のコントロールによって比較的容易に押せるでしょうし、押す技術も繰り返す間に上達するでしょう。でも柔らかいゴムの棒では、先がユラユラと揺れてなかなかうまくスイッチを押せないでしょう。一度偶然にうまく押せても同じようにうまく押すことはなかなか難しいのです。
 ゴムの棒で毎回同じように安定して押すためには、かなりの練習量と熟練が必要だと想像できます。
 さらに環境も毎回異なっています。風は強さと方向を刻々と変えることがあるし、心身の状況も変わります。つまり毎スウィングの度に異なる状況の中で、揺れる身体で同じ結果を出すための調整の仕方について、何度も繰り返し、練習しなくてはならないのです。まだ出会わぬ未知の状況の中でも、その場に応じた課題達成の方法を生み出していくために膨大な練習が必要なのです。

 

 

2019年12月9日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(その3)
 まだ出会わぬ未知の状況の中でも、その場に応じた課題達成の方法を生み出していくためには膨大な練習量が必要・・・これは私たちの歩行でも同じことです。私たちはゴムの様に毎回微妙に変化する身体で、デコボコがあったり傾斜があったり、引っかかりやすかったり滑りやすかったり、硬かったり柔らかかったりする床面を転けることなく自分らしい歩容で安定して歩くことができるまでに、たくさん転びながら膨大な繰り返しの練習をしてきたわけです。それでも通常の様々な路面を歩くというのは、健常な人にとっては比較的達成しやすい課題であるのです。つまりバスケットボールのフリースローなどスポーツの技能に比べてはるかに合格の範囲が広いのです。結果、人生の早い時期に「様々な路面を転げることなく歩く」スキルは身についてくるのです。
 すなわち運動学習とは、過去の運動の形を再現しているのではなく、毎回異なった環境、状況の中を、揺れる身体で同じ運動結果を出すためのプロセスを練習しているのです。つまり、未来に一度きり出会う環境と身体の状況の中で課題達成運動を創造するための練習とも言えるのです。
 もし人がオモチャのロボットと同じように、同じ形の運動を繰り返したとしたら、変化する斜面や床面に出会うと簡単に転げてしまいますもんね。
 さて健常者は上述のように揺れる身体でも様々な環境・状況の中で適応的に歩くことができます。しかし片麻痺の方の様に広範囲に麻痺が起きると、なかなかこうはいきません。平らな床面では転げることなく安定して歩けても、アスファルト道路のように引っかかりやすく、微妙に傾斜のある場所では簡単に転げてしまうこともあります。
 では私たちセラピストはどのように練習計画を進めていけば良いのでしょうか?(もう少し続く(^^;))

 

2019年12月17日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(その4)
 では私たちセラピストはどのようにリハビリを計画していけば良いのでしょうか?
 まず脳卒中後の方は、広範囲に麻痺が起きて、自身のよく見知った身体が未知の身体になってしまいます。これまで息をするように自然にできていたことがまるでできなくなったりします。だからまずやるべきは、未知の身体をいろいろに使ってみて、できること・できない事を知っていただくことです。つまり変化した身体のことをよく知っていただくことです。
 従っていろいろな課題をやっていただけばよいのですが、考慮するべきは課題の難易度です。難しい課題で失敗を繰り返してしまうと、「ああ、俺は病気によってなにもできない人間になってしまったんだ」と落ち込んでしまいます。自信の喪失や意欲の低下が起こり、無気力になりかねませんね。
 だからいろいろな課題を提案するにしても、ほんの少し努力すれば達成できる、少し手伝ってもらったり、工夫したりすると成功するような課題が相応しいのです。少し頑張って成功する体験を繰り返せば、更に難しい課題に挑戦するための意欲を高めることになります。
 このように課題の難易度をコントロールしながら、病気や障害によって変化した身体のことを知ってもらうプロセスをCAMRでは「探索課題」と呼びます。
(CAMRはContexutalApproach for Medical Rehabilitation、医療的リハビリテーションのための状況的アプローチの短縮形で、日本生まれのシステム論を基にしたアプローチです)
 障害直後は探索課題から始め、徐々に生活課題の達成能力を改善するための課題へと移行していくのです。(続く)


 

2019年12月24日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(その5)
 生活課題の達成能力を高めるためにはどうしたら良いでしょうか?
 障害によって筋力や柔軟性などのリソースが貧弱になった身体は、オモチャのロボットのように状況変化に対して柔軟に対応することが困難になるのです。
 健常者が無限の状況変化に柔軟に対応できるのは、非常に豊富なリソースを持ち、それらを利用して課題達成するための多彩なスキルを持っているからです。
 またそれらのスキルが効果を生まない新しい状況に接しても、新たなリソースを探索したり、それを課題達成や問題解決に利用するために、試行錯誤しながら新たなスキルを創造することができるからです。たとえば四肢麻痺になっても電動車椅子という新たなリソースの利用方法であるスキルを学習して再び1人で移動するようになります。
 まず豊富なリソースを持つことは、多様に変化する状況の中で新しい課題達成方法や問題解決方法を生み出す上では非常に有利なことがわかります。先の電動車椅子の例では、体幹を固定して頭部の運動を力強く多様にすれば、顎のコントロールで車椅子を操作できます。
 リソースには身体リソース、これは身体そのものや身体の持つ性質(筋力や柔軟性、持久力、情報収集力など)と環境リソース、つまり環境内の物理的存在、つまり大地や構造物、道具、温度、重力、水などと生物的存在、つまり人や利用可能な動物などがあります。
 リハビリではこの身体リソースをまずできるだけ豊富に多彩にすることが必要です。筋トレや柔軟性を改善する、あるいは痛みを改善するなどもそれに当たります。これを実現するために用いられるのはCAMRでは要素課題や動作課題と呼ばれるものです。
 また豊富にしたそれらの身体リソースを使い、利用可能な環境リソースの利用方法を探索したり新しい課題達成や問題解決方法を生み出すための練習も必要となります。
 CAMRでは探索課題、要素課題、動作課題、行為課題の4種類の運動課題を適切に提供することによって、患者さんの生活課題達成能力を改善することを目標にしたアプローチです。(続く)

 

2019年12月31日

過去の再現か?未来の創造か?運動システムは何を学習しているのか?(最終回)と本年終わりの挨拶
 最後に運動学習で何を目指しているのか、もう1度、はっきりとさせておきましょう。
 たとえば歩行では正確に繰り返す歩行パターンという形を身につけているのではないということはもうお分かりでしょう。正確な歩行パターンは、路面の目に見えないような傾斜や起伏、身体内部のちょっとした体調不良などの外乱因子によって簡単に転倒してしまいます。オモチャのロボットは人より遙かに正確に同じ運動を安定して繰り返しますが、状況変化に弱いのはわずかの揺れにも対応できないからです。
 大事なのは正確に繰り返すことよりは、状況に応じてどのように変化し続けるかということなのです。
 プロのジャグリングの研究では、上手な人ほど一見正確な操作を繰り返しますが、その両手は完全に同一位置での、同一パターンにはならないのです。機械と同様に正確なのではなく、わずかに揺らぎを伴いながら擬似的に、あるいは相対的に安定しているのです。
 この揺らぎこそが、わずかなズレを調整するための鍵だと考えられています。
 もう少し言えば、豊富なリソースと多彩なスキルと表現される性質こそが、この揺らぎを持ちながら安定する状態を作り出すもとなのです。豊富なリソースと多彩なスキルを持って、常に課題達成方法の選択状態を作り出しているからこそ、一瞬一瞬の変化を調整しながら課題達成できるのです。運動学習は過去の運動の正確な形の再現ではなく、未来の変化に対応する準備状態を保ちながら相対的に安定した運動状態を維持するプロセスを学ぶことなのです。患者さんについては少しでもリソースを増やし、スキルを多彩にすることがまず基本なのです。詳しくはCAMR講習会で(^^;))(終わり)

1年間、読んでくださった皆様、ありがとうございました!(^^)
 今回使った「過去の再現か?未来の創造か?」というアイデアはベルンシュタインの「デクステリティ」(金子書房)という本を基にしています。中学生くらい?に対する科学エッセイとして書かれたようですが、今の私たち、プロのセラピストにとってもとても有用なアイデアが詰まっています。
 ベルンシュタインのアイデアは第1世代のベルタランフィの「一般システム論」と第2世代の「自己組織化現象」のテーレンらの「動的システム論」の橋渡しに当たるようなアイデアではないでしょうか。この本には、運動学習のアイデアはもちろん、運動の自由度問題とか協応構造など現代でも利用価値の高いアイデア群が詰まっています。是非ご一読くださいv(^^)
 CAMRは、ベルンシュタインやテーレン、マトゥラーナなどシステム論者のアイデアから臨床で使えそうなものを選んで組み立てられています。リハビリにおける問題解決の道具として生まれたとも言えるでしょう。
 しかし真実かどうかではなく、セラピストとして「役に立つか、立たないか?」が基本となっています。この辺り、なかなか理解されないところでもありますが、臨床家にとっての理論というのは、「問題解決の道具である」、そんな風に考えた方が良いだろうと思ってのことです。「真実か?否か?」という二択では「信じるか?信じないか?」という前提になってしまいますよね。でも信じることから始めるなら宗教と同じで、科学とは言えませんよね。
 いろいろと説明不足でごめんなさい。今年は大晦日が最終日となりました。
 1年間、毎週書き続けて52本。本年一年間、読んでくださった皆様、大変ありがとうございました。僕にとっては文章よりも60歳から描き始めたイラストの方が余程大変でした。それでも既にイラストも100枚を超えました。僕にはこちらの方が驚きです(^^)
 来年も毎週火曜日には一本ずつ載せていく予定です。どうかよろしくお願いします。                2019年12月31日 CAMR研究会代表 西尾幸敏