貧弱な運動余力は頑固さを生み、豊富な運動余力は頑丈さを生む(西尾幸敏)2016年1月24日-2016年2月10日

 

 

 

 

2016年1月24日
西尾です。いつもアップする文章が長いと言われるので短めに刻んでみます(^^)

貧弱な運動余力は頑固さを生み、豊富な運動余力は頑丈さを生む
 健康な若者は人混みをすいすいと進みます。人の流れに合わせて時には穏やかに進み、立ち止まり、そして一気に加速します。横に進み、斜めに進み、隙間を見つけては一気に入り込みます。まるで急流を遡上する鮭の如くです。
 このように状況変化に合わせて運動の形を自在に変え、課題を達成する能力を運動余力と呼びます。
 強い痛みのある人は強い痛みのために体を硬くし、姿勢や歩く速度をあまり変化させないで歩きます。回りの人の流れに合わせられないで、避け損なった人からぶつかられたりして危険です。弱ったお年寄りも、障害のある人だってそうです。運動余力が低下しているのです。
 運動余力は様々な能力から構成されます。健康な方でも高熱が出たりお酒を飲み過ぎたりすると一時的に運動余力が低下することもあります。
 重度の四肢麻痺の方でも顎でコントロールする電動車椅子の操作ができるようになると移動に関する運動余力は豊富になります。(続く)


2016年2月3日
西尾です。悩みながら書いています。このテーマはややマニアックではなかったかと・・・
貧弱な運動余力は頑固さを生み、豊富な運動余力は頑丈さを生む(その2)
 運動余力は運動能力とは違います。たとえばオリンピックの陸上競技に出るようなアスリートと80代の杖で歩いているおじいちゃんでは、運動能力に非常に大きな、大きな差があります。しかし自宅で居間の愛用の椅子からトイレまで行って、用を済ませて帰るまでの結果ではそれほど大きな違いはないかもしれません。
 つまり運動余力とは、「日常生活上、現実的にできるかできないか」という視点で見るものです。もう少し言えば、「達成するべき課題」と「その課題が行われる状況」、そして「身体能力や心身の状態」の少なくとも三つの要素の相互作用によって決まってきます。
 ふらつきの強い小脳失調の方の歩行を想像してみます。今立っている場所から3メートル先の椅子に向かいます。もし何もない広い空間なら足幅を広く取って小さく数歩進めるかもしれませんが、そこで立ち止まって動けなくなるかもしれません。つまり課題が達成できません。
 そこで間に椅子を置いてみます。もしその方が、その椅子の背もたれを持って杖代わりに押したり、手すり代わりに利用したりして課題を達成できるとします。つまり椅子があるかどうかでその方の運動余力-課題達成の力は異なってしまいます。私たちセラピストはその時、その場所での運動余力という視点から、患者さんの運動パフォーマンスを一瞬にして変化させることができるのです。(続く・・・か?^^;)


2016年2月10日
西尾です。いきなりまとめです(^^;)
貧弱な運動余力は頑固さを生み、豊富な運動余力は頑丈さを生む(その3)
 医療的リハビリのセラピストは運動余力という視点を持った方が良い、というのが僕の言いたいことです。
 運動能力という視点だけでは、焦点は身体のみに当たります。もちろん身体能力を無理なく、できるだけ改善するというのは私たちの基本です。私たち以外にそれをする人間はいないからです。でもそれでおしまいではありません。
 私たちが焦点を当てるべきは、患者さんにとって必要な生活課題を達成する能力であり、生活動作上の問題を解決する能力です。それを運動余力と呼んでます。運動能力を見るというのはその一部分に過ぎないのです。
 そして「運動余力を豊富にする」とは「課題達成のために使えるリソースの種類と量を増やし、同時にそれらの利用手段を多彩にする」ということです。リハビリで有効な技術はそのアイデアで一括りにできるのです。(終わり)