医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い-二つの異なる理論的枠組みから見る上田法(その4)

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 -
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.24 No.1, p3-35, 2013) ”
 続きです。まだまだ続きます。
 
   

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 - その4
葵の園・広島空港 西尾幸敏

③基本的な考え方の違い その3
 焦点を当てるのは運動の形か、機能か?
 従来型のアプローチが基礎としている運動科学は、形の科学ということが言える。佐々木は運動科学が映画技術の発達と共に進んだと述べている5)。運動は映画フィルムの一コマ一コマに記録され、姿勢の変化として理解される。
 実際運動を姿勢の変化として捉えると、運動の形を角度や速度で表しやすいし便利である。そして健常者の運動の形が基準になりこれが色々と数値化されたりする。
 この形を見ていく運動科学の影響は現在でも強く、従来型アプローチでは運動を形で判断するということがよく行われる。健常者の運動の形からのズレが、障害の結果であると考えられる。逆に健常者の運動の形に近付くことが、障害が改善されていることの目安と考えられがちだ。形はとても大事に考えられているわけだ。
 この枠組みでは、健常者の歩行の形を真似て、近づけていくことが当たり前のアプローチの方針になっている。
 一方CAMRでは、運動の形には焦点を当てない。歩行なら形ではなく、立位で環境内を移動するという機能に焦点を当てる。どんな形であれ、歩行という機能を生み出しているかどうかに焦点を当てる。この視点では「状況に応じて歩行の形を変えてでも歩行という機能を維持しようとする」という人の運動システムの特徴がよく分かってくる。
 この枠組みでは、歩行の形を真似るのではなく、形は独自に変化させてでも良いから、機能を維持することがアプローチの方針となる。
 少し脇道に逸れるが、ドイツの友人から次のようなシステム論的アプローチの批判を聞いた。「システム論のアプローチでは、できさえすれば形はどうでも良いといったことが言われるが、それで良いのか?あなたが片麻痺になったときに、歩ければどんな形でも構わないのか?健常者の形で歩きたいと思わないのか?」まあ、難しい質問ではあるが、僕ならこんなふうに問い返したい。「もし健常者のように歩けないなら、もう歩きたくないのか?歩かなくて良いのか?」まあ、どちらにしても一通りの答えでは済みそうにないので、ここではこれだけにしておく。

④基本的な考え方の違い その4
 根本的なアプローチか、その時その場で達成可能なアプローチか?
 従来型のアプローチは、問題があるとWhyという疑問から始め、より根本的な原因を求める。そしてその原因そのものにアプローチしようとする傾向がある。もちろん根本的な原因にアプローチするのだから、根本的な解決法と考えられる。根本的解決! 万歳!
 一方、CAMRはそこで作動している運動システムの境界を確かめ、要素間の関係性に焦点を当て、どのような関係が生まれているかを見ていく。当然アプローチもその関係性に向けられ、関係性を変化させることで問題解決を試みる。
 先にも書いたが「なんだ、根本的な解決ではなく、目先を変化させるだけではないか?」と思われるかもしれない。まあ、CAMRではいわゆる「根本的な解決」は目指さない。
 またCAMRが根本的解決を目指さないために、対症療法的なイメージを持たれるかもしれない。これははっきり言っておくが間違ったイメージだ。対症療法が出てきた症状だけを見ているのに対して、CAMRではシステムの作動やその結果としての機能に焦点を当てている。表面的に現れた症状を消してしまおうとか抑えてしまおうなどとはまったく考えていない。その代わり、その時その場で可能な変化を起こしていくことに集中していく。

⑤基本的な考え方の違い その5
 運動を教えるべきか?自ずから学ぶのか?
 脳がコンピュータのようなもので、運動を学習するということがプログラムを入力するようなもの、という漠然としたイメージがある。こうするとセラピストはプログラマーというところか。これには付録のようなイメージがあって、「間違った形も憶えてしまう」とか「一度間違った形を憶えてしまうと修正が非常に困難」といったものだ。この考え方に沿って、過去には「間違った歩き方を憶えてはいけないので、訓練以外では歩いてはいけない」と歩行を禁止することもあったようだ。
 この枠組みでは正しい運動をセラピストが指導するべき、と考える。自分でも学ぶことはできるが、往々にして間違って学んでしまう。だからセラピストがクライエントの姿勢や運動を管理することが当たり前のように考えられる。
 CAMRでは「人は生まれながらの運動問題解決者」として考える。セラピストは運動を指導したりしない。また運動は形ではなく機能として見るので、クライエントが自然に学ばれる形に良いも悪いもないと考える。

 なんだか五つの特徴を通して違いを説明すると、違いは分かっても特にCAMRの良さが伝わらないかもしれない。ここまで読むと、CAMRに変える必要もなく、従来型アプローチで十分ではないかと考えられるかもしれない・・・特に根本的な解決を目指さないとかセラピストは運動を指導しないというのは、なんだか物足りないというか良くない気がするでしょう?・・・いや、待ってくださいな。ここからCAMRの反論が始まるのだ!ここでは不本意ではあるが、従来型アプローチの問題点を敢えて指摘することによって、CAMRの良さを浮き立たせようと思う。
 ただ以前にも述べたことがあるが6)、従来的なリハビリの枠組みを全面的に否定し、CAMRがそれに取って代わるべき、とも思っていない。後半に少し説明するが、従来的なリハビリの枠組みが効果的である場合もある。しかし違いを浮き立たせるため、ここでは敢えて問題点だけを指摘している。実際のところ、セラピストの選択肢が一つ増えればと願っているだけなので、その点は理解していただきたいと思っている。