運動世界の三つの物語(その1)

運動世界の三つの物語(その1)(上田法治療ジャーナル, Vol.23 No.2, p71-91, 2012) ”
 今回のエッセイは少しお遊びが入っています。なんとか難しいアイデアを読みやすく・・と試みたのですが、却って遊びの方に傾いてしまいました。僕の好きなベルンシュタインのアイデアを無理矢理入れてしまおう、というのもちょっと無理があったかしらん(^^;)
 
 それでは、始めます。  

運動世界の三つの物語
葵の園・広島空港 西尾幸敏

Ⅰ.はじめに
 さて、ある日あなたは古い街角にとても寂れた古本屋を見つけた。そして気まぐれに立ち寄り、その片隅に、ぼろぼろになった本を見つけて手に取った。その本のタイトルは「運動世界の三つの物語」とあった。最初のページを開くと次のようなおとぎ話が始まった。

第一話 運動王国物語
 『神が人を創り給うた時、運動の精を呼んで仰った。「人に相応しい運動の国を創っておくれ」運動の精はちょっと考えた後、「運動王国」を人の中に作った。そしてその王国の王に、ニューロ家の末っ子のコルテを任命した。一番若いが一番運動王国を治めるに相応しい能力を備えていたからだ。しかしながらニューロ家の長男であるスパイナは納得しなかった。スパイナは回りのことを考えない単純な男だった。「俺がニューロ家の長男で、俺が王になるべきだ。理由は俺が長男だし、長男が俺だからだ!」と主張もワンパターンだった。
 実際のところ人が生まれて赤ちゃんの間、コルテは幼く、スパイナをどうすることもできなかった。スパイナはわがまま勝手に振る舞った。人の運動王国には、マッスル家やスケルト家、ジョイン家、インタオルグの一族もいたが、誰もスパイナを止めることはできなかった。結果赤ちゃんは自由に振る舞うことができず、目の前の人形にも手を伸ばせず、手足をばたつかせてはただ泣くしかなかった。
 一方、生まれたばかりのコルテは、運動王国の片隅でまだまだ非力で未熟な存在だった。しかし月日が経つと、コルテは記憶、感覚、比較、統合などの呪文を習得し、強力に成長した。やがては呪文を自由に操り、スパイナをねじ伏せ、彼を手下に従えるようになる。まさしく運動王国のコルテ王となった。スパイナは納得したわけではなかったが、強力なコルテ王の支配力の下、ただ従順に従うしかなかった。こうして人は運動王国の繁栄の時を迎えるのである。人は自由に歩き、走り、飛ぶ。運動王国、万歳!
 しかしある日運動王国に異変が起きた。脳卒中という病気がコルテ王を襲う。コルテ王は病に伏せってしまった。その結果、コルテ王の支配力は低下する。再びスパイナは王国の中で、傍若無人の振る舞いをするようになった・・・さあ困った。
 王国の治療団は、スパイナの妨害と戦いながらコルテ王の治療をしなくてはならなかった。それは大変だった。もう少し人手が欲しい。そこに異国の治療師、リハ・ビリーが現れた。ビリーは乞われて治療団に加わることになった。
 王国の治療団はビリーに治療方針を説明した。「スパイナの勝手な振る舞いを抑えつつ、コルテ王の元気を回復し支配力を取り戻す」というものだった。続いて治療団から、スパイナを抑えつつ、コルテ王を元気にしてその支配力を再び手に戻させるための手技を学んだ。スパイナを抑えるものから、コルテ王を励まし奮い立たせるものまで実に沢山のものがあった。たとえばスパイナの忠実な情報係であったマスピンドをうまく操ってスパイナが暴れすぎないようにした。
 同時にコルテ王に元気だった頃の正しい姿勢と運動をしてもらい、それを繰り返すことは、コルテ王の支配力を増すのに役に立つと言われていた。ただコルテ王は自分でそれらの姿勢や運動はできなかった。また王はすぐに崩れやすく、治療師達はつきっきりでコルテ王の姿勢を正さなくてはならなかった。コルテ王は、今や治療師達の管理下に置かれていた。
 ビリーはこの治療に少し疑問を感じ始めた。たとえば上手く取れた姿勢を繰り返し練習する。元気な頃やっていた運動の中から、一つの運動を決めて繰り返す。しかし歩くにしても元気な時の歩行の形は、様々な環境や状況の中でどんどん変化する。たった一つの歩き方を繰り返し憶えて再現できるようになったとしても、刻々と変化する様々な状況の中で良い結果を出すことはできるのか?
 いずれにしてもスパイナは強力で、コルテ王は思った以上に弱々しく、なかなか支配力を回復することはできなかった。
 ビリーはやがて憔悴してくる。そしてある日、思いあまって神に呼びかけた。神は運動の精をビリーに遣わした。運動の精は重々しく答えた。「何の用じゃ?」ビリーは最初から思っていた最も大きな疑問を尋ねた。「運動の精よ、なぜあなたはニューロ家にわざわざ傍若無人なスパイナを入れたのですか?有能で素直なものだけを入れておけば問題はなかったではないですか?」
 運動の精は答えた。「リハ・ビリーよ。わしにはある考えがあったのだ・・』

 残念ながらこの後のページは破り取られており読む進むことはできなかった。
【運動王国物語の簡単解説】
 イヤ、中途半端な落ちで申し訳ない。もうお気づきだろうが、スパイナとは脊髄(spinal cord)ともう少し上のレベルを代表する悪役?である。過剰な伸張反射や緊張性反射を発生させる。コルテ王は大脳皮質(brain cortex)のことである。「伸張反射や緊張性反射を生み出す脊髄などは、手のつけられない暴れん坊だが、うまくコントロールすれば役に立つ」といったところだろうか?
 ちなみにマッスル家は筋肉系、スケルト家、ジョイン家は骨関節系、インタオルグの一族とはエネルギーを供給する内臓器官のことである。これらは中枢神経系に一方的にコントロールされる存在として考えられる。
 さて、このアイデア群では、脳卒中後に見られる独特の姿勢・運動は、「下位レベルの反射に対する高位レベルのコントロールが崩壊し、それによって反射や異常な筋緊張が出現したからである」と考える。あるいは反射的反応は、統合されるべきなのに支配的であり、それによって正常な運動の分化はブロックされている状態である、と考える。つまりコルテ王が倒れると、スパイナが緊張性の反射や異常な筋緊張を生んで、コルテ王による正常な運動の出現が邪魔される、となるわけだ。
 この場合、筋・骨・関節などには問題がないので、アプローチするのは当然壊れた中枢神経系である。中枢の運動プログラムによるコントロールが崩壊した状態だから、脳内にもう一度正常な運動プログラムができれば、また以前のコントロールを取り戻せるかもしれない。あるいはそれに近い新たなブログラムができれば、より正常な姿勢・運動の形に近づくことができるだろう。
 そして脳はいろいろな感覚運動の情報を栄養として、必要な機能的な運動プログラムを作りあげることができる、と仮定する。同じ運動を繰り返すと、それに対応したシナプスには何度も何度も刺激が流れて、最初はつながりの薄かったシナプスはやがて強いつながりを確立する。これが運動プログラムの構成のイメージである。
 たとえばシナプスはよく土の詰まった溝に例えられる。土が詰まっている間は水の流れは悪いが、何度も何度も掘り返しては水を流してやると、やがていつも水の流れる溝になる、と考えられる。だから流れが良くなるまで何度も繰り返すことが必要なのだ、と。
 具体的には、セラピストは患者に存在する反射や伸張反射、あるいはそれらの結果としての筋緊張の分布をまず調べる。そしてその異常な反射や筋活動を抑え、より高位レベルでの協調性のある立ち直りや平衡反応を強める。あるいは異常な筋緊張を抑えながら、より協調された(健常者の運動をモデルとした)運動を繰り返そうとする。それらは感覚入力として脳に達し、新たなシナプス結合を創り出すと仮定される。そしてモデルとなった健常な人の運動が再現されるようになる、という訳だ。
 もちろん患者は自分1人で異常な緊張を抑え、健常者の運動を真似することはできない。そこでセラピストが身体的な介助をしたり、タッピングなどの感覚入力を行って、患者は健常者の姿勢や運動を真似することになる・・・これは物語の中で、「たとえばスパイナの忠実な情報係であったマスピンドをうまく操ってスパイナが暴れすぎないようにした」とある。マスピンドとは筋の緊張状態の感覚器である筋紡錘(muscle spindle)のことである。異常な筋緊張のパターンが確かめられれば、治療的介入では、過剰緊張を減少させ正常運動を促通するために、固有受容覚システムが使われることを示している。
 もう一つ大事な点は、患者は上位コントロールを失った時点で、自分では何もコントロールできない存在と考えられる傾向がある。患者は間違った運動をして、より間違った運動を強める存在と考えられる。そのためセラピストが患者に間違った運動はさせないで正しい運動だけをするように管理する必要があると考えられる。
 物語は途中からリハ・ビリーの苦悩の物語となる。これは多くのセラピストが次のような悩みを訴えてきたことを基にしている。「私は異常な緊張パターンを探し、和らげた。患者の感覚入力をうまくコントロールして分化した運動を繰り返し出現させるが、それは私の手を使って日々繰り返すだけで一向に患者自身の運動コントロールは良くならない」「私の手が触れているとき、確かな運動変化が起きたのだが、私の手を離れた途端に元通りになってしまった」など。
 物語の中で、ビリーが「たった一つの歩き方を繰り返し憶えて再現できるようになったとしても、刻々と変化する様々な状況の中で良い結果を出すことはできるのか?」という疑問を出している。過去にうまくできたやり方を繰り返し憶えて、それが再現できるとしても、過去とは違った状況の中でうまくいくのだろうか?この疑問に対する答えは次の物語の中で語られるだろう。
 最後にはリハ・ビリーは、スパイナを抑え込みながらコルテ王の病気を治癒して、元通りの運動王国を復活させることができるのだろうか?それとも未だに悩んでいるのだろうか?あるいは・・・・?(「その2」へ続く)