全部で18の出版社に原稿を送ってみました! -商業出版への道

 

2020年5月12日

全部で18の出版社に原稿を送ってみました!
 -商業出版への道(その1)
 実は毎週火曜日のエッセイに書きたいテーマが見つからないのです。そこで本を出版したときのことを思い出して書いてみることにしました。軽い読み物です(^^)

 本の原稿を書いてみようと思いたったのは58歳になってすぐのことだった。その頃はそれまで忘れることなどなかった人の名前や言葉が急に出てこなくなる経験を繰り返した。物忘れが日常で普通のことになり始めていた。自分の中の何かが変わり始めたのだ。なんだか自分の残り時間が少なくなったことを実感して愕然とした。
 それでなんとなくそれまでに考えていたことをまとめて本にしてみたいと思うようになった。そして毎日毎日パソコンに向かい、寝不足と戦いながらなんとか原稿を仕上げた。書き始めて10ヶ月が経っていた。タイトルは「説明の言葉 諦めの言葉 解決の言葉」今思うとタイトルからは内容がまったく想像がつかない(^^;)
 僕は早速学生時代に教科書などでお馴染みの8つの出版社に原稿を送付した。だがすぐに不安になってインターネットで検索した医療系の他の10の出版社にも更に送付した。A4で57ページの大作だ(^^;)それを18部印刷して送ったのだ。なかなか大変だったが、送られて読む方はかなり面倒だったに違いない。
 そして待つこと数週間、最初の返事のメールが入ってきた。「残念ながら・・・」という書き出しだったが、最後に「友人が熱意を持ってやっている自費出版社を紹介しましょう」とあった。自費出版は考えていなかったので残念ながらお断りした。
 次の一社は丁寧な感想と説明をいただいた。曰く「常識とされていることを疑って追求し,既存の考えを覆していくことは・・中略・・編集部内でもお原稿は高評価でございました.むしろ臨床の方々に求められていることだと信じております」とした上で「しかし 弊社で手掛けている本は学生向けテキストや分厚い臨床書がほとんどで,読み物的な商品,気軽に読める本というものがあまりありません.また,医学書専門コーナーをもつ大型書店での販売に限定されるなど,販路もせまくなってしまいます.そのような面で不得手な領域のため,今回辞退させていただいた次第です.」というものだった。今思うとリップサービスが半分以上だろうが、なんだか大いに勇気をいただくメールだった。
 しかし最初に送った8社のうち、返事があったのはこの2社だけだった。(続く)


 

 

2020年5月19日

全部で18の出版社に原稿を送ってみました!
 -商業出版への道(その2)
 後から送付した10社では、2社から返事が寄せられた。しかしいずれも自費出版の勧めだった。結局全18社中返事があったのが4社で、そのうち3社が自費出版を勧めてきたことになる。
 僕はすっかり意気消沈した。「けっ!所詮はつまらない内容だったのだ・・・・あー、俺なんか、俺なんか」とか「あー、なんとあさはかな俺よ!内容もたいしたことないのにまさか他人が本を出してくれると思ったか!愚か者めっ!」などと机に頭を何度も打ち付けたい気持ちだった(痛いことは嫌なのでしないのです)
 しかし、ガッカリばかりしてもいられない。思い直して自費出版で出すことに気持ちを切り替えた。
 そこで自費出版の話をいただいた出版社をインターネットで調べ、二社のうち自分に合いそうな本を出しているところに返事を出した。直ちに返事が来て、やれ編集者と打ち合わせをしたいとか言ってきた。僕としてはまず金額を知りたかったのでそれを聞いたところ「100万円!」と即答される。
 「はあー、100万円か!それでもそれで自分の本が出るなら!」とその時にはもう自分の本を出すことで頭の中は一杯だった。それですぐに「お願いします!」と返事を出したものだ。
 その100万円はどう捻出するかはまったく頭の中にはなかった。独断では妻が激怒するのではないかとも一瞬恐れたが、もうどうでも良かったのだ。 
 今思うと、もしこの頃自費出版詐欺のようなものがあったらいとも簡単にかかっていたに違いない。値段を200万、300万とつり上げられても平気で承諾したに違いない。
 ともかくすぐに返事するとまたまたすぐに返事が来て「では打ち合わせは早い方が良いでしょう。いつにしますか?当方は・・・」とある。こちらの気持ちが冷めぬうちに・・・とそんな雰囲気だったのかもしれない。
 そしてすぐに東京に来いという。ああ、東京に来いという。100万円に加えて東京までの往復交通費も出せという。「そうか、すぐに出かけねばなるまい」と妙に熱い気持ちを抱いたまま「明後日の金曜日はどうですか?」と知らせたところ、それは良い、すぐに東京に来いとまた言う。

 その夜は妻にこっぴどく叱られた。「もっと冷静になって!」と言う。「一言、相談しても良いじゃないの!」とも言う。まったくその通りで,ぐうの音も出ない。しかし最後には「まあ、あなたの夢だから仕方ないわね。その代わりベッド付きの車(車中泊もできる簡易なキャンピングカー)は諦めてね!」
 「はい」と殊勝に頷いた。あ、そんな形で100万円が用意できるのか、と感心もした。冷静でよい妻である。そしてもう内心は万々歳である!「これで本が出せるのだ!この10ヶ月間の苦労が報われるのだ!」と。
 さてさて、どうなることやら・・・・今思っても冷や汗ものである。さて、その結末は如何に?(「その3」へ続く)

 

 

2020年5月26日

全部で18の出版社に原稿を送ってみました!
 -商業出版への道(その3)
 翌日は朝早く目覚めた。翌日の東京行きのチケットの手配をした。まずは今日が新しいスタートだ!しかし仕事に出かける前に妻が「もしかしたらもっと安い出版社があるかも知れないから探してみたら?」と言う。ああ、なんということだ。言われてみればその通りだ。もっと安いところがあるかも知れない。急に憂鬱な気分に襲われた。「俺のバカ!そんなことも思いつかなかったのか!」
 昼休みにスマホを見ると、またメールが来ていた。なんと最初に原稿を送った8社のうち返事のなかった6社の中の1社からメールが届いたのである。自己紹介の後、「原稿を読んだが面白かったです。少し話をしてみませんか?」というものだった。「ただこちらからそちらへ行く余裕はないので、もし東京に来る都合があればその時にお目にかかれませんか?」ともあった。これだけしか書かれていなかった。出版についてはなにも書かれていない。ただ話をしに東京に来いと言うことらしい。しかし一言「面白かった」と言ってもらえたのが嬉しかった。何かのついでで良い、というさりげなさも良かった。そしてなによりも商業出版の会社であり、「もしかしたら100万円出さなくても本を出してもらえるかも・・・」と大いに胸が膨らんだ。
 まさに天にも昇る気分だった!もしかしたら「100万円+東京への往復費」が「東京への往復費」だけになるのかもしれない!なんだかとてもお得な気がした。現金なものである。
 僕は早速「ちょうど明日,別件で東京へ行く用事があるのでどうでしょうか?」と返事を出した。すぐに返事が来た。「それはちょうど良かったです」と。すぐに待ち合わせが決まった。
 その後、自費出版の方に断りのメールを入れた。他の出版社から話があったことは伏せて、気持ちが変わったとだけ伝えた。本当のことを言って「私より良い相手が見つかったですって?キーッ、あんたが誰にも相手にされずに落ち込んでいた時、救いの手を差し伸べたあたしを捨てるのねーっ!この裏切り者!この薄情者っ!」などと非難されるのではないかと大いに恐れたからである。しかし返事は「残念です。また気持ちが変わったらご連絡くださいね」という優しいものだった。後ろめたさと共にホッとした。
 翌日はいよいよ東京である。様々な妄想を膨らませながら夜は更けていく。翌朝、寝不足のまま東京へ向かって出発した。(その4に続く)

 

2020年6月2日

全部で18の出版社に原稿を送ってみました!
 -商業出版への道(その4)
 待ち合わせは書店がいくつも並んでいる通りにある大きな本屋さんだった。思っていたよりも若い痩せた編集者だった。商業出版の編集者は貫禄があってひげを生やし、神々しいオーラを放って、大声でしゃべるのではないかと密かに恐れていたので安心した。
 彼は僕を連れて医学書や売れ筋の一般書を置いてあるコーナーを回った。本の並べ方などの説明を受ける。そしていろいろな本を紹介した。手に取ってみるように勧められる。
 それから次の書店に行きまた色々なコーナーを連れて歩かれる。本の最後をめくって「これは第何版の何刷」と言い、その意味を説明される。そしてまた次の書店へ。そこでは今度は出版不況の話をされる。その中でも売れている本をいろいろと紹介される。そして「読んだことがなければ何冊か買って読んでみてください」と言われ、経済学やコミュニケーションの解説書などを紹介される。全て一般書で僕は紹介されたうちの3冊を選んで買った。
 3店目を出た後に漸く喫茶店に案内された。今の本屋巡りの感想を聞かれるのではないかと察し、頭の中は感想を組み立てることでフル回転だった。
 しかしそんな質問はなく、淡々と僕の原稿を読んだ感想を聞かされた。「先生の原稿は読んでみると面白いが、誰が読むのだろうと思った。内容が難しいところがある。対象の読者がわからない。文体は砕けていてユーモアもあるが、学生や若いセラピストは内容が難しくて読まないだろうし、常識を覆すような攻め方は中堅・ベテランの反感を買うだろう。結局ほとんど読者を持たない内容である。これでは話にならない。今のままでは出版できないし、自費出版したところで売れない!」
 僕は頭から冷水を浴びせられたように感じた。ああ、やっぱりダメだったのかっ!しかも東京の往復の交通費+3冊の本代+寝不足+冷水である。打ちひしがれる・・・「しかし!」
 「しかし!」と彼は言う。もう少し内容をわかりやすくできないか?もっといろいろな人に受け入れられる書き方にしてみないか?と続ける。「もしこの内容で中学生でもわかるくらいの優しい表現に書き換えることができるなら、自費出版ではなく商業出版としてうちから出せるように私も頑張ってみます!」と。おおおっ!・・おおっ!と内からこみ上げるものがあった。若くて痩せた編集者さんが、急に神々しく見えた。
 その後もいろいろな話を聞いた。医療系の大手出版社で無名の持ち込み原稿が本になることはこれまでなかったそうだ。医療系の本とは、出版社で企画し、然るべき人物を選び、依頼してできあがるものだそうだ。もちろん有名な人が翻訳や企画を持ち込む例はあったが、無名で何の肩書きもない僕のような人間の持ち込み原稿が本になった例はないと彼は言いきる。それだけ高い壁なので、書き直しは「心して書き直すように!」と念を押されたものだ。(最終回に続く)

 

2020年6月9日

全部で18の出版社に原稿を送ってみました!
 -商業出版への道(最終回)
 僕は帰りの新幹線の中でいろいろと作戦を練った。まず原稿が長すぎる、短くしよう。読みやすさと言えば会話中心かもしれない。会話中心にするにはありきたりだが、ホームズとワトソンのような主人公とその助手が良いだろう・・・ホームズよりもっと個性的で現代風にしよう・・・・などと妄想が膨らみ、早速その夜から書き始めた。
 主人公はすぐに思いついたゲイのキャラにした。最近のテレビではゲイの人は良いイメージで受け入れられている。それはおそらく弱い立場の人が自分をさらけ出すことによって「とても正直で強い人」というイメージができあがっているからではないか?ともかく日本では受けている、などと考える・・・・
 結果、思ったより筆は進み、内容と量は最初の半分程度だがわずか2ヶ月で書き直してその原稿を送付した。
 しかし・・・そこからが長かった。何度か言われるままに書き直し、書き直し、そして6ヶ月も経った頃に漸く「これでいきましょう」ということになった。そして更にそこから校正とかイラストとかいろいろな打ち合わせが更に6ヶ月続いた。イラストはプロのイラストレーターに依頼した。下絵は自分で描いた。(これが今フェースブック・ページに毎週描いているイラストのきっかけになった(^^;))
 また本のタイトルは随分ともめたようだ。編集部が最終的に出してきた案は、僕は「なんか違うような?」と思ったのだが、出版のプロの意見を尊重した。
 そして遂に出版された!
 結局最初に思い立って原稿を書き始めてからなんと2年と2ヶ月が経っていた。
 しかし・・・!
 本は期待したよりも遙かに売れなかったのである。印税生活は夢のまた夢であった(^^;)
 結局出版のプロでさえ、見込み違いだったと言うことだろう。つまり売れない本だったということだ。
 医療系のまじめな本なのに主人公がゲイであるという意外性!しかし今の出版不況はそんな小手先の小細工では乗り越えられないのだろうと思った。
 まあ、僕は本を出したことでかなり満足だったが、あの若い熱心な編集者さんは気の毒だ。僕に関わったばかりに売れない本を出してしまい、きっと社内で肩身の狭い思いをしているのに違いない。先輩社員や上司やそのもっと偉い人達から「お前!なんてことしてくれたんだ!!」などと虐められているに違いない・・・ああ、違いない!本当に申し訳ない!あの若くて熱心で、心優しい編集者さんの輝かしい未来を閉ざしてしまってはならぬ!だから、どうか皆さん、どうか、以下の本を買って下さい!そして友人にも勧めてください!お願いします!(^^;)
「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」西尾幸敏著 金原出版(電子書籍版もあります!)
金原出版HP https://www.kanehara-shuppan.co.jp/books/detail.html…
アマゾンでは新品も中古も定価より高く売られています。金原出版なら送料はついても定価で買えます!(終わり)