CAMRの基礎知識 Part1 「探索」(西尾幸敏)2014年2月2日-2014年4月4日

 

CAMRの基礎知識 その1 2014/2/2
「探索に始まり、探索に終わる!」

 理学療法では「評価に始まり評価に終わる」と言われます。CAMRでは従来の「評価」も利用しますが、メインは「探索」になります。
 「評価」と「探索」は何が違うのでしょうか?評価はセラピストが評価項目を決め、クライエントに指示し、実施し、記録し、分析します。つまりセラピスト主導で行われます。
 この過程では、クライエントはしばしば自分自身の運動の情報から疎外されてしまいます。もちろん評価は基本的に専門知識を基に専門用語で表されるものですから、これをクライエントに分かりやすく伝えることは難しいのでしょう。
 しかしもっと問題なのは評価によって「指示し」-「従う」関係が作られることです。おまけにその情報からも疎外されてしまうので、自然にセラピストとクライエントの間には、「指示し」-「従う」関係、時には「管理し」-「管理される」関係といった一方的な関係が作られるように思います。
 CAMRでは、クライエントを「自律的な運動問題解決者」と捉えます。つまり運動状態を示す情報は、何よりもクライエント自身が知る必要があります。クライエント自身が主体で、セラピストはそのサポートに回るからです。
 また情報はクライエントとセラピストで共有する必要があります。共有することによって初めてクライエントはクライエントの立場から、セラピストはセラピストの立場から「協力して」問題解決に取り組めるわけです。
 このようにクライエントとセラピストが、クライエントの運動状態に関する情報を協力して探り、情報を共有する過程をCAMRでは「探索」と呼びます。 文責:西尾幸敏


CAMRの基礎知識 その2 2014/3/30
「探索に始まり、探索に終わる!」

 従来的アプローチでは、評価というのは人の運動を細かな部分に分けて見ていきます。たとえば歩行を見る時、座位での膝伸展筋や股関節屈筋の強さや臥位での股関節や膝関節可動域などを調べます。そして個々の評価を再び統合して全体像を理解しようというわけです。部分の振る舞いの総合として全体を理解しようします。これは要素還元主義と言って従来の主要な科学の基本的な枠組みでもあります。
 だけどこれは難しいことです。たとえば自動車のタイヤを個別に評価することができるでしょうか?タイヤだけを取り出して調べたところで、実際に車につけたときの操作性や乗り心地を評価できるものでしょうか?
 同様に座位で調べた四頭筋や腸腰筋の強さから歩行の様子を理解できますか?実習生や新人さんを見ていると、皆とても困惑しています。いったん目で見た姿勢や運動をバラバラの評価項目で部分部分に分解してみていきます。それで全体の動きが説明できるかというとどうも難しい。いやこれは正直僕にも難しい。
 実際何よりも問題なのは、あれだけ学生時代にたくさんの時間とエネルギーを費やして身につけたはずの可動域検査や徒手筋力検査法を臨床では使わないセラピストももたくさんいます。僕自身は必要をあまり感じない。なくても効果的な訓練は可能だし、これらは本当に僕たちに必要な技術・知識なのだろうか?

   CAMRの「探索」では、関節可動域検査や徒手筋力検査は使いません。人は全体として何ができるかできないか、と言うことを「探索」していきます。その人が望むこと、必要なことに沿って課題を設定し、それがどの程度できるか、どのように条件を変えるとできるかできないか、とかをクライエントとセラピストが協力して「探索」していくのです。(続く・・・)


CAMRの基礎知識 その3 2014/4/4
「探索に始まり、探索に終わる!」

 実習生のレポートを見ると、「股関節外転・外旋・屈曲」とか「足関節内反・尖足」とかよく書かれています。運動の評価に各部位や姿勢全体の形の記述が多いのです。
 確かに従来的アプローチは運動の形に焦点を当てています。佐々木正人さんがどこかに書いておられましたが、運動科学は映画の技術とともに発展したとのこと。運動はフィルムに記録され、一コマ一コマの姿勢の変化として捉えられたのです。運動科学は運動の形に焦点を当てて発達したのですね。
 また姿勢全体や各部位の形とかに焦点を当てると、自然に「健常者の運動の形」との比較になります。そうすると問題は「健常者の運動の形とのズレ」として捉えられ、また「健常者の運動の形に近づくことが良くなっていること」という流れを生み出しているように思います。
 時には麻痺があるのに健常者と同じ運動の形を目標にされたりします。でもそれは無理でしょう。健常者と同じ形を要求するなら「その前に麻痺を治して!」と患者さんが言いたくなるのも無理がないです。
 さらに姿勢や運動というのは、元々揺らぎを持っています。ある瞬間の場面の股関節の形を取りだしてどうこう言うのもどうなのでしょう?学生のレポートなどを見ると、その患者様はいつもその格好で歩いているかのような印象を受けます。たくさん見られる運動の形の中で、健常者の運動から一番かけ離れているものに注目して書いてあるような気がします。
 もちろん形に焦点を当てることは有効な場面も多々あります。形を見ることが悪いと言っているわけではありません。ただ一瞬の形だけを取りだして、それだけを基に色々言うのもどうかと思うわけです。(まあ、学生は形から入っていくことの方が簡単で取っつきやすい、というのはあるのでしょう)
 CAMRでは、基本的に形ではなく機能に焦点を当てます。たとえば「支持」し、「重心移動」し、「振り出す」機能があります。歩行は片脚で支持しながらその脚に重心を移動し、反対の脚を「振り出す」運動の繰り返しです。
 片脚支持という機能を実現するために身体だけで可能、あるいは杖や片手すりや平行棒が必要かどうかという状況を見ることによって、使われる運動リソースを理解できます。またその形を見ることで、どの運動リソースを利用したどのような運動スキルを生み出しているかがわかります。使われている運動リソースや運動スキルと機能の関係を見いだしていくわけです。
(文にするとややこしく感じられますが、実例で見ていくと簡単で、すぐにコツが掴めます)
 CAMRではセラピストが「機能と運動リソース・運動スキルの関係を探る」ことが探索の一部になります。その「探索」の過程を通して、「どの運動スキルを多彩にしていくか」と「どのような運動課題を選択するか」が見えてくるのです。