状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(その5)

”状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(上田法治療ジャーナル, Vol.22 No.2, p59-88, 2011) ”
 今回は8章を載せています。
 このエッセイを書いたのは約1年前ですが、すでにいろいろと書き直しの必要を感じています。今回の章も、いつもいろいろと考えているところです。もしよろしければ皆さんの意見を聞いてみたい!と思っています。
 日々の臨床での様々な業務の繰り返しは、常に従来のアイデアの刷新を促します。この終わりのない作業を、僕はいつまで続けていくのだろうか・・・と時々イヤになります。もう止めようと思うのですが、なぜか止められない(^^;)
 それでは、始めます。  

状況的アプローチ
-上田法技術を活かすための枠組み
                葵の園・広島空港 理学療法士 西尾 幸敏

8.反張膝を改善する時に - 状況的アプローチの考え方
 さて前章で出た反張膝は、階層型理論を基にしたアプローチから見ると、代償的な運動なので出ないように禁止される。「人は間違った運動も憶えてしまい、一度間違った運動を憶えると、正しい運動を憶え直すのに苦労するから」というのはよく臨床で聞かれる。1人で歩いて反張膝にならないように、歩くことを禁止され、車椅子で過ごすということもあったようだ。
  一方状況的アプローチでも反張膝は「乏しいリソースの運動」としてできるだけリソースを増やし、その増えたリソースでより多彩な運動スキルを身につけるようにアプローチする。だが、決して反張膝は禁止しない。普段も反張膝で歩いていただく。
 反張膝も麻痺のある膝で体重を支持して歩くための立派な運動スキルだから止める必要はない。状況的アプローチではリソースを豊かにし、運動スキルを多様にして行くことだけを考える。
 さて当施設の経験では、反張膝で歩いている方でも適当な運動課題を設定し、それを繰り返していくと反張膝が消えて軽い半伸展位で歩かれる方も多い。一旦リソースが増えて、膝半伸展位でも支えられることが分かると、自然に反張膝から半伸展位での歩行に変化していく訳だ。リソースが増え、新しい運動スキルが身について、そちらの方が都合良い、という場合は自然にそうなる。人は生まれながらの運動問題解決者である、と実感する時である。
 もちろん完全に反張膝が抜けないことも見られる。たとえば疲れてくると反張膝歩行が出てくることもあるし、デコボコ道の路面の状態によっては反張膝がしばしば見られる。これは状況に応じて使われる運動の選択肢が増えたことの証拠だろう。
 またいつまでも反張膝が変化しない方もおられる。先に書いたが、身体の他の部位が協調して様々な状況変化の中で反張膝を維持する、という運動スキルがうまく発達した人は、容易にこのパターンから抜け出せない。
 しかしこの方は何年もこのパターンで歩かれているし、別に膝が痛いとかの問題がなければ、今の運動スキルを変化させる必要もないのだろうと思う。
 僕はよくセラピストを自動車修理工に喩える。自動車修理工は、自動車の性能を最大限引き出すように努めるだろう。そして車の性能(たとえば時速80キロでも安全に走って止まれる)をドライバーに伝える。それを自分の仕事と考える。
 そしてその車をドライバーがどう運転しようともそれはドライバーの問題である。整備工の口を出すところではない。整備工はひたすら性能を高め、その情報をドライバーに伝えるだけだ。
 状況的アプローチではセラビストは、クライエントのリソースを豊富化し運動スキルを多彩にするように努める。そしてその情報をクライエントと共有する。しかし実際の生活でクライエントがどの運動スキルを選ぶかはクライエントに任せるのである。人は生まれつきの運動問題解決者なので。
 ただしセラピストのアドバイスが全く不要かというとそんなことは決してない。たとえば膝関節変形症の初期の方にはよく見られるが、痛む膝で荷重する時、力を入れないようにして荷重時間を短くしようという運動方略を用いる方がおられる。むしろ逆で、痛む膝は安定させるイメージで、しっかり力を入れて支える、というアドバイスが有効であることが多い。
 他にも片麻痺の方の洋服の着脱の方法などは、セラピストが経験上よく知っている運動方略があるので、最初から運動スキル学習としてのモデルを示すのも効果的である。何もかも試行錯誤して身につけていく、というのは効率的ではない。セラピストは経験を重ねて、色々な運動方略についての知見を身につけているので、それを提供することは大事なことである。
 状況的アプローチで言っているのは、できもしない健常者の典型的なやり方を規範として押しつけることは止めましょう、ということである。脳性運動障害の方には世界と関わるための独特の運動方略があると認めることである。
 さらに言えば、クライエント自身が健常者の典型的な運動の方法を身につけることを望まれることもある。その場合は限界とできることを示し、それでもできるだけ近づきたいと言われれば、その目標に向かって努力することも当然である。クライエントの希望に沿っていくのは僕達の仕事の基本でもあるので。
 敢えてクライエントが達成不可能な課題を承知の上で選ばれたとしても、僕達にはそれを止める権利はないだろう。僕達は自分たちに用意できる最良と思う方法をお薦めすることはできるが、最終的に決定するのはクライエント自身だから。