医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い-二つの異なる理論的枠組みから見る上田法(その3)

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 -
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.24 No.1, p3-35, 2013) ”
 続きです。まだまだ続きます。
 
   

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 - その3
葵の園・広島空港 西尾幸敏

②基本的な考え方の違い
 その2 焦点を当てるのは障害か、システムの作動か?
 従来型アプローチでは、まず原因を求める。当然その原因は障害であり、その障害を中心に説明と解決のアプローチが図られることになる。原因を探れば、障害に焦点を当ててしまうことが当然となるからだ。「障害にアプローチする」という表現はあまりにも当たり前すぎて誰も疑いもしないだろう。
 だがシステム論を基にしたCAMRではそうは考えない。システム論で動物の運動システムが「運動システム」として定義できるのは、「環境内で適応するために運動を生み出す」という「作動(働き)」を持っているからこそである。
 ではもう一度運動システムとは何かということについて考えてみよう。システム論で言う運動システムは、課題を達成するための運動を生み出すことに関係する様々な要素を含んでいる。皮膚に囲まれた身体以外に重力や様々な自然環境、人工環境も含む。また他人や動物なども含まれる。
 あなたがある晴れた秋の日の街路を歩いているときのことを考えてみよう。落ち葉を踏み締めると乾いた音がして心地よい。あなたは落ち葉を見つけてはわざわざそれを踏むように歩幅を変えていく。特に形の良い大きな落ち葉はくしゃっと踏んでみたくなる。この時あなたはそのような落ち葉を探索し、あなたの歩行はその落ち葉によって導かれる。それらの歩道や落ち葉はあなたの運動システムの一部になってあなたのその時の歩行を創り出しているのである。
 そんな無邪気な落ち葉踏みにほんの少しの間夢中になっていたが、前から犬を連れた女性が近付いてくる。あなたは犬が苦手である。できるだけ犬から離れてすれ違いたい。あなたは歩行の軌道を変えて犬と反対側の端を歩く。すれ違う少し前に女性がお辞儀してくる。あなたもお辞儀を返すが、目が犬から離れない。犬はどうやらあなたには無関心らしい。なんとか無事に通り過ぎる。やれやれ・・・
 こうして犬や女性は、一時的にあなたの運動システムの一部となりあなたに軌道を変えさせたり、お辞儀させたりとあなたの運動を規定する。あなたの運動システムはあなたの心身の状態や社会的な価値観や自然環境や他人などからなるのである。そしてそれらの構成要素の相互作用からその時その場に応じた運動を生み出している。
 もう一つ例を考えてみよう。自動車を操る操舵システムが壊れた場合を考えてみる。ハンドルを右へ切ろうと思うけれど自動車は直進したり、直進しようと思っても左に急カーブを切ったりする。これは危険である。とりあえず自動車の使用を止めよう、ということになる。そうするとこの鉄の工作物は構造的には自動車でも、システムの作動上から見るともはや自動車というシステムではなくなる。システム論から見ると自動車は自動車として考えられる作動をするから自動車というシステムなのである。
 従来システムは構造としてみられてきた。止まっていても構造的に見れば、自動車は自動車だ。しかしシステム論から見ると使われなくなった段階でシステムとは見られなくなってしまう。
 従来型アプローチでも、人の運動システムは構造としてみる。人の運動システムとは、皮膚に囲まれた内側にある。当たり前なので誰も改めて運動システムの定義など語らない。
 こうしてシステムが何かということが分かってくると、システムの作動が見えてくる。
 システムの作動上から見ると、運動を生み続けるから人の運動システムなのである。車のように上手く操作できないから使用を止める、というわけにはいかない。生きている限りは作動するし、作動を止めるときは死である。例え効率が悪くても、見た目が違っていたとしても、適応的でなくても、本人にとって苦痛を生んだとしても人の運動システムは生きている限り作動を続けようとする。
 家で寝ているあなたも運動はしているが、まあ寝ているので床と重力が運動システムの主な環境的要素であろう。しかし一旦目を覚まし、お腹が空いていることに気がついて台所に行こうとするかもしれない。こうしてシステムには視覚的な環境情報が加わり、壁や家具などの環境内の様々なものが運動システムの要素となる。また「食べるものを求める」というその時の課題によってそのような運動が組織化されてくることが分かる。
 先ほどの重度脳性運動障害の方の過緊張の状態を考えてみよう。少しでも筋の硬さを生み出さなければ、重力に押しつぶされたままだ。しかし神経筋活動による筋の張力メカニズムが働かなくなったので、サブの張力メカニズムを使って、筋の硬さを生み出すしかない。つまりこの方の運動システムは床や重力に対する身体の支持や重心移動という機能を生み出そうとしているのである。
 CAMRはこのように人の運動システムの作動に焦点を当てている。起きてしまった障害ではなく、あくまでも運動システムの作動に焦点を当てる。
 従来型アプローチの枠組みでは、脳の障害によって行為のコントロールが失われ、伸張反射や筋緊張が亢進し・・・などと障害を中心に考えてく。こうしてこの障害にどう対処しよう・・という流れになる。ただ障害に焦点を当てていくため、しばしば障害を軽くしたり治したりという方向へ向かいやすい。
 CAMRではその時の運動システムが何で、どのように働き、どのように課題を達成するかに焦点を当てる。それでその作動をどう変化させ、生み出された運動結果がクライエントにとってもっと価値のあるものにならないかと考えていく。
 障害によって失われた機能ではなく、現在持っている機能、先々持つであろう機能こそ重要と考え、どう利用していくかという方向へ向かうのである。
(このアイデアは以前から言われていた「リハビリは失われた機能ではなく、残存機能を改善すること」というアイデアと似ている。まあ、このアイデアとの違いをここで詳しく述べるつもりはない。全体を読んでいただければ、分かってくることと思う)
 もちろん障害をまったく無視するという意味ではない。障害毎の特徴・注意点は考慮するものの、それでも見るべきは運動システムの作動であり、それによって生み出される機能である。