状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(その2)

  ”状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(上田法治療ジャーナル, Vol.22 No.2, p59-88, 2011) ”
 今回は4章と5章を載せています。
 状況的アプローチをまとめるきっかけとなったのは、2011年のドイツ、ニュルンベルグでの上田法講習会のための教科書を作ることだった。
 システム理論を基にしたアプローチには「課題主導型アプローチ」があるが、上田法のような徒手技術を上手く組み込めないという問題があった。もともと上田法技術は「柔軟性を改善するのに良い方法」であるという実感があったのと、ベルンシュタインの本の中で「脊椎動物の最大の武器は柔軟性」というアイデアが結びついて「運動パフォーマンスアップのための柔軟性戦略」というのを臨床でもいろいろ試していた。これをメインのアイデアとして書いてみよう、と。これは現在のドイツ講習会のテキストになっている。
 その後、より臨床的な立場から書き直したのがこの論文になる。しかしこれを書いてすでに1年以上の時間が経っており、未熟なアイデアが其処此処に目につき、すでに書き直しの必要も感じている。尤も書き直しても、書き直しても、「きりがない」のは分かっているのだが・・・

状況的アプローチ
-上田法技術を活かすための枠組み
                葵の園・広島空港 理学療法士 西尾 幸敏
4.システム理論とは?
 階層型理論はその分かりやすさと古くから社会全般に認知されているおかけで、今や小学生でも「脳が字を書かせたり、ピアノを弾かせたり、キャッチボールをさせている」と考えている。「コンピュータに指令されて歩くロボット」のような具体的なものが身の回りにあることも関係しているだろう。コンピュータにプログラムを入力して、その通りにロボットに振る舞わせる、という喩えは人の運動を説明する時にも分かりやすい。
 一方システム理論では、脳は運動を一つ一つコントロールしていると言うよりも全体を緩く調整していると考えられる。階層型では脳が上位で筋骨システムは下位で、上位から下位へ階層型の構造をしている。そして環境はシステムの外部にあるものと考える。が、システム理論では脳も筋骨のシステムも環境も同一のレベルにあり、お互いに相互作用しながら運動を生み出している3)、と考える。
 これだけ聞くとどうも分かりにくい。システム理論は未だに世の中に馴染みがないし、説明も分かりにくい。まず分かりやすい喩えで説明しておきたい。
 10人程度の宴会を開くことになった、と考えよう。この宴会の幹事が脳だと考えてみよう。他の参加者が体の他の部位である。まず階層型理論で幹事の仕事を考えてみる。階層型幹事はまずプログラムを見ながら、1人1人の参加者に細かな指示を出す。「Aさんはそこ、BさんはAさんの右隣・・・」など。「みんなが揃ったところで・・」とプログラムを見て、乾杯に移ろうとする。しかしAさんが「俺、太ってるんだけど、ここ狭いんだよね。席を変えてよ」と言い出した。階層型幹事はプログラムを見ながら「今は乾杯の時!えーと、このような場合は・・乾杯終了後に比較的痩せているDさんの席が広いからそこと替わって」と指示する。これが階層型理論での脳のイメージ。幹事(脳)は絶対的なコントローラーで、プログラムに従いながら指示を出し、他のメンバーはそれに従順に従っていく。
 一方でシステム理論型幹事は、「ハイハイ、みなさん適当に座ってね。ではそろそろ乾杯良いかな?」という感じ。(幹事だけに・・)そこでAさんが狭いと文句を言う。「じゃあ、その辺で適当に話し合って席替わってくれる?うん、そんな感じ。じゃあ、そろそろ乾杯いこうかな」という感じ。(幹事だけに・・しつこい?)
 階層型では、脳が絶対的なコントローラーで、プログラムに従って物事を進めていくのに対して、システム型では脳はその場その場の調整役で、ある程度の決定権、実行権は現場に任せている、というイメージだ。
 運動を生み出す場面でも、階層型理論では脳が状況を判断し、プログラムに沿って特定の筋群、収縮のタイミング、強さなどを脳が直にコントロールすると考えるが、システム理論では筋肉同士はある程度お互いに動きを制限し合うまとまった仕組み(注2)があり、そのまとまりが動き出すに連れて、脳はちょっとした調整を加える、と考える。
 それではシステム理論で人の運動システムをどのように捉えているかを検討してみよう。
注2 ベルンシュタインが言うところの協応構造をイメージしている。紙面の関係でここでは詳しい説明はしない。次の文献を読んで欲しい。
Bernstein A: デクステリティ 巧みさとその発達. 工藤和俊訳, 金子書房, 2003.

5. 人は生まれながらの運動問題解決者
-システム理論から見た運動システムの特徴 その1
 あなたが歩くところを想像してみよう。
 もしあなたが明るい自宅内にいればあなたはリラックスして歩くだろう。しかし真っ暗な部屋の中なら身体を硬くして、足先で床を探るように歩く。寒い屋外では背中を丸めて前かがみになり、路面が凍っていればへっぴり腰となって小股で歩く。砂や水の中では埋まった足を抜き出すために膝を普段よりずっと高く上げるだろう。世の中の物理的な環境は無限の変化に富むので、歩行もそれに連れて無限に変化する。
 もしあなたが疲れていれば、脚を引きずるように歩くかもしれない。腰が痛ければ身体を硬くして慎重に歩く。あなたが嬉しくてたまらないなら弾むように歩き、悲しかったら肩を落として歩く。あなたの心身の状態が一刻一刻と変化するなら、あなたの歩行も刻々と変化する。
 天気の良い日、近所の公園をのんびり歩くのは快適だ。だがもしあなたの片思いの異性が急に目の前に現れたら、とても驚き緊張する。あるいは前から家族が来たら・・チンピラが来たら・・あなたの上司がきたら・・あなたの歩行はそれぞれに変化する。あなたの歩行は社会的な状況変化の中でも常に反応し続ける。
  無限の状況変化は、歩行を常に状況に適応的に変化させ続ける、という問題を人に突きつけているわけだが、健常な人はいとも簡単にこの問題を解決してしまう。誰から習ったわけでもなく、様々な状況の中で、直ちに運動を変化させて様々な運動課題を達成してしまう。
 あかちゃんは、誰に教わるでもなく重力に逆らって動き出し、歩き始めてしまう。また健康な人が片麻痺になると、それまでの慣れ親しんだ身体が未知の身体に変わってしまう。そんな場合でも麻痺のある身体を何とか使って歩くようになる。人は誰から教わるでもなく新しい歩き方を見つけることができる。
 このことから人は生まれながらの「運動問題解決者」4)と考えられる。人は生まれながらに様々な状況に適応して、課題達成のための運動を生み出し、変化させることができるのである。
 階層型アプローチの枠組みでは「人は指導され、管理される存在として扱われる」が、システム理論を基にした状況的アプローチの枠組みでは「人は自律的な運動問題解決者」として扱われることになる。ここが二つの理論的枠組みを比べた時の「人間観」の一番大きな違いとなる。
 階層型アプローチでは、「正しい運動」と「正しくない運動」が分類され、正しい運動だけをするように管理される。しかし状況的アプローチでは、人は運動問題解決者としてその場その場に相応しい運動を自律的に生み出そうとする、と考えられる。
 たとえ脳性運動障害者の運動が一見非効率的で課題達成的に見えなくても、問題を解決するために精一杯の能力を発揮して、試行錯誤を繰り返し自身の課題達成運動を生み出している、と考える。
 「生まれながらの運動問題解決者」という特徴は、必ず運動課題の成功を約束するものでもない。重度の麻痺があればあるほど、課題達成は適わなくなり、ますます文脈からかけ離れた運動をしているように見える。しかしうまくいかないのは持っている身体能力が低すぎるために他に選択肢がないからだ。それでも問題を解決しようとしてあがいておられる。決して「間違った運動を憶える」からではない。
 この人間観を受け入れられるかどうかが、状況的アプローチを理解できるかどうかの分かれ目となるだろう。(前述の熊谷の著書「リハビリの夜」もぜひ読んでいただきたい。脳性運動障害者の立場から、どのように身体を使うか、世界と関わっていくかが具体的に述べてある。きっとこの部分を理解してもらうのに参考になると思う)