Camrer(カムラー; CAMRを行う者) 第2話「ダブルバインドの裏表」

Camrer(カムラー; CAMRを行う者)第2話 ダブルバインドの裏表(その1)
 休之介さんはいつものようにゆっくりと話し始めた。
休之介「怖い父親が子どもに向かって紐を結んで見せる。そしてこんな風に言うよ。
『さあ、やってみろ!』
 でも子どもは一度見ただけではどうやって良いかわからないので戸惑っていると
『何をグズグズしてるんだ!さっさとやれ!』
 と叱る。それで子どもが思いきってやると
『何やっている!下手くそ!お前はバカか?』
 と叱る。
 つまり子どもは、何をどうしても、しなくても叱られることが繰り返される。そうすると子どもは自信を失い、何もできなくなる。もちろんその場を逃げようとすると、『こらっ!これができるまでここを離れるんじゃない!』と叱られる訳だよ。
 こんな状態を『ダブルバインド』、あるいは『二重拘束』と呼ぶんだよ。つまり逃れられない関係の中で、矛盾した2つの命令をされて、どうしたら良いのかわからなくなって身動きできない状態になることだよ。やれと言われてやってもやらなくても叱られるんだよ。」
 僕は脇の下に冷たい汗が流れていることに気がつく。ドキドキする。自分の喉が渇いていることを意識しながら休之介さんに言い返す。
僕「でも、それは父親が悪いというか、異常というか・・・大介さんには悪意はありません。僕たちのことを思って言ってくださっているのだと思います。それに叱ることは嫌われることです。そのような損な役回りを敢えて進んでやってくださっているんだと思いますよ。」
休之介「うーん、そうだね。大介君は良い人だよ。それは間違いない。ただ叱るという指導法はそれだけ難しいんだよ。たとえば・・・次のような会話を考えてごらん。
母が『今晩のおかずは何が良い?好きなもの言ってごらん』
子どもが『焼き肉!』
母『あら、昨日も肉だったでしょう?毎日肉ばかり食べてちゃダメよ。他には?』
子ども『じゃあ、ラーメン!』
母『あら、それはね、あまり健康的な食事じゃないわよ。油と炭水化物がたっぷりで塩分も多いのよね』といった会話がいつも繰り返される。
 『好きなものを作ってあげる』と一方で伝えながら一方ではそれを否定する訳だよね。これが続くと子どもは何を言って良いのかわからなくなって『何でも良い』って言い出すよね。つまり自分の判断に自信を失って母親に任せるようになる。
 この場合、母親は悪意を持って子どもに接しているかな?」
僕「・・・いいえ・・・子どものことを思って食事の内容を検討しているんだと思います・・・でも大介さんの場合は、明らかに悪いのは指導を受ける僕たちですよ!僕たちが色々できないからこそ迷惑をかけてるんです!」
休之介「そう、そこが問題点を指摘する指導法が陥りやすい罠なのかな・・・たとえば今来ている実習生の修君はかなり知識不足の子だよね。だから色々な場面で発言できないし、上手くいかない。つまり問題を起こす。でも知識不足はすぐその場で改善するわけではないから、次々と問題を起こしては叱られる。彼としては何をどうやっても失敗するから逃げ出したくなる。でも逃げ出したらその場で実習自体に失敗してしまう。つまり何をしても問題だし、逃げ出しても問題。自信を失い、何もできなくなってる状態だよ。」
僕「でも、それは元は修君が悪いのだと・・・悪いところを指摘してわかってもらうのは必要です。」
休之介「知っている!ただ問題を指摘して指導するやり方はマイナスの方向に働きやすい。
 修君はいくらでも失敗をするよね。つまり大介君はさまざまな場面、レベル、状況の中でその問題を次から次に指摘できる。むしろその指摘の作業は自動化してしまい、大介君の善良さを覆い隠すほどに繰り返されている。大介君はその問題を修君に骨身に染みて理解して欲しいのかもしれない。もちろんそれは善意から行われていると思うけど、結果的に修君は彼のすべてを否定されているような気持ちになるだろう!」
 いつになく激しい休之介さんの言葉に僕は何も言えなくなってしまった。
休之介「済まない・・言いすぎたかもしれない。これは大介君を責めると言うよりも昔僕自身がそうだったからね。他人のミスを指摘し続けてその人を追い詰めてしまったことがある。今でも後悔している・・・」

 そもそもこの問題を持ち出したのは僕だった。
 昨日の夕方、実習生の修君が涙ぐんでいた。
修「僕はこれまで勉強してこなかったし、今のままでは理学療法士になる資格はないんです・・・」
 僕も分かっていた。大介さんは実習生に厳しい。だけど大介さんは、一方でとても優しいし、親切だ。僕が何とか一人前に仕事ができるようになったのも大介さんの指導のおかげだと思っている。だけど修君のことも気の毒だ。もう少し、大介さんが手加減してくれれば良いのに・・・僕は気持ちを切り替えた。

僕「ということは、修君は大介さんによってダブルバインドの状態に置かれているということですよね。どうすれば良いんでしょうか?」
休之介「ダブルバインドの状態に陥るには二つの条件がある。簡単に説明しておこう。実習指導者と実習生のような逃れられない関係の中で、最初に出されたメッセージと矛盾するメッセージが繰り返されると言うこと。たとえば大介君はこれをやってごらんと言うけれど修君がやったり話したりすると間違っていると指摘する。知らないと言っても勉強不足と指摘される。最終的に修君はなにも言えず、何もできず、そしてその場から逃げ出すこともできないという状態に置かれるわけだよ」
僕「では大介さんに問題点を指摘する指導法の欠点について理解してもらうというのが良いのでは?」
休之介「うーーっ、怖いこと言うね。もちろん一郎君が大介君にその説明をするなら止めないけど」
僕「えっ!それは・・・」
休之介「まあ、聞きたまえ。まだもう一つの条件を言っていないよ。それはメッセージを受け取る側が、責められる原因が自分にあると思うことだよ。本当はダブルバインドを仕掛ける側が矛盾したメッセージを発しているよね。でも立場の弱い方がその矛盾の原因が自分にあると思う。つまり立場の弱い方がその矛盾の原因が自分にあると思うことだよ。立場の弱い方が強い人の矛盾を指摘することは危険だからね。だから自分が悪い、自分に原因があると納得しようとするんだよ」
僕「じゃあ、ダブルバインドの状態になるには仕掛ける側と仕掛けられる側の二つの条件が揃う必要があるということですね。ではどちらかを何とかすれば良いと・・・」
休之介「そういうこと」
僕「でもやはり大介さんにわかってもらった方が良いじゃないですか。大介さんが気づかない限り同じ問題が繰り返されるわけだし・・・より根本的な解決になるような気がします」
休之介「いやそれはどうかな?一郎君がそうすると言うんならまあ、止めないけど」
一郎「ええ、それはちょっと・・・休之介さんが指導してくれれば良いじゃないですか?指導係なんだし。大介さんも納得するのでは?大介さんにこんなことを続けて欲しくないんです」
休之介「嫌だよ。僕、大介君には嫌われてるもんね。これ以上嫌われたくないよ。ここで大介君に睨まれると働きにくいだろう。僕パートだし・・・パートおじさんだし」
僕「でもこのことに気づいたのは休之介さんだし、上手く説得できるとしたら休之介さんしかいません」
休之介「うーん、ところがそうはならない。実はこれは"誰の問題か"ということがポイントなんだ。どういうことかというと大介君に問題を感じているのは誰?」
僕「えっーと、休之介さんと僕です」
休之介「そうだよね。でも大介君自身はどう?」
僕「大介さんはまだ気がついていないから、問題を感じていないと思います。でも問題に気がつけば、改められるのでは?」
休之介「そうはいかない。大介君は問題を感じないどころか、これが正しい指導だと思っているからね。もし一郎君が問題があると言えば、彼はきっと怒ると思うよ。彼は正しいことをしていると思ってるんだから。うー、恐ろしい!」
僕「でもこのままにしておくとまた問題を繰り返すわけですから・・・」
休之介「それは一郎君、君の持っている問題だ。大介君はちっとも問題を感じていないよ。彼の指導法が上手く行くケースもあるわけだから。彼がそれを問題と認めるわけはない。それに彼はこのリハビリ部内では強者の立場にいるしね。間違いを指摘しようもんなら徹底的に叩きつぶしにくるね。間違いない。ううー、怖い」
僕「ではどうしたら良いんですか?さっきから怖い怖いって休之介さん、そんなキャラでしたっけ?」
休之介「問題解決は、問題を感じてその問題を解決したいと思っている人間がするべきなんだ。僕はただのパートおじさんだからね。特に問題を解決したいと思っているわけではない。そして一郎君は問題を解決したがっているし、一郎君が解決するべき。そして僕は指導係として一郎君の問題解決の手助けをする準備はあるよ」とにやりと笑う。
休之介「今問題を感じているのは修君だし、一郎君だ。問題を感じてるのは二人だから、問題解決をするのも二人だよ。
 さっきも言ったように、修君自身が矛盾の原因を自分だとしているよね。だから一郎君が上手く説明して、"修君には矛盾はない。矛盾があるのは大介君の方だ"と気づかせてあげれば良いんだよ」
僕「ええ、そんな簡単なことでこの問題が解決するんですか?」
休之介「解決するよ。実際、さっきまで一郎君は大介君は正しい、問題の原因は自分たちだと言ってただろう。」
僕「ええ、そう思っています」
休之介「おやおや・・でも大介君に矛盾があると認めたあとでは僕と一緒になって、大介君の矛盾を指摘したらどうかなんて言っている。つまり君自身が本当は大介君との間にダブルバインドの状態を築いていたんだよ。」
僕「えっ、そんな・・・」
休之介「でも大介君に矛盾があると気がついた途端にそのダブルバインドの状態から抜け出したんだ。君自身がこの問題解決方法の効果を証明したと思わないか?」(終わり)

Camrer(カムラー; CAMRを行う者)
第2話 ダブルバインドの裏表(簡単解説)
 ダブルバインドはしばしば「マインド・コントロール」の説明に使われます。ダブルバインドの状態に置かれると自分の判断や考えに自信が持てなくなり、「相手に判断を任せるようになる」というわけです。
 運動でもこれに似た状況を見ることがあります。矛盾した2つの課題の間で体が動かなくなります。(ピンときた方もいると思います^^;)
 最初はそれを書こうと思っていたのですが、知り合いの学生が実習で苦しんでいるという話を聞いて、ついついこちらで書いてしまいました。
 まあ指導する方はそれこそ善意で行っています。「ミスを指摘して気づかせるぺき」あるいは「そのような指導は必要だ。俺がやらねば誰がやる!」という気持ちでやっておられますのでなかなかこれに伴って発生する問題を解決するのは難しい。時にはこの指導法(欠点やミスの指摘が自動化するような)がうまく機能することもありますのでね。(それは学生の学ぶ力の方が凄いのかもしれませんが・・・^^;)

 2本短編で書きましたが、書いてみるとあまり面白くありませんね^^;しばらく「小説で読むシリーズ」はお蔵入りにします(^^)