痙性裁判(最終回)

”痙性裁判(上田法会誌, Vol.9 No.1, p25-40, 1997) ”
 今回でこのエッセイは最後です。
 
 久しぶりに昔のものを読むと、浅慮もさることながら、何というか勢いも感じます。ああ、「あの時僕はー若かったー♪(堺正章ふうに)」なのだ(^^;)
 それでは、始めます。  

痙性裁判
    国立呉病院附属リハビリテーション学院(←1997年当時です) 西尾幸敏

<検事側発言その6>
 我々が手を出す必要はないということか。もし患者が常に、最良に代償を行っている、あるいはもっとも適応的な方法で振る舞っているなら、我々セラピストの役割はなくなってしまうのではないか。第一そのようなことは、我々の臨床的な経験ともあっていない。放っておけば歩けなくなる患者だっている。訓練によって速く歩けるようになった患者さんもいる。

<弁護側発言その6>
 その場その場では最良であるから、放っておけと言うことではない。人の運動は、様々な構成要素の相互作用から生まれると考えている。1つの構成要素が変化すれば、当然最良の方法も自然に変わってくる。たとえば下肢筋力が増加すれば、代償として生じていた痙性は弱まるだろう。その時、新たな運動方法が選択されるはずである。私たちは患者さんの運動システムを構成する各要素を、量的に変化させることができる。むしろどのような運動パターンが生じてくるかは患者さん任せなのである。持久力や筋力、関節可動域が量的に増加すると、患者さんはそれだけ、自然に、日常生活において適応的に振る舞えるようになるのである。

<検事側発言その7>
 それは患者が選択するなら、どのようなやり方でも良いということか。変形を生み出すようなやり方でも良いということか。むしろ重要なのはパターン学習ではないのか。

<弁護側発言その7>
 システム理論では、運動パターンは各構成要素の相互作用から、その場その場で偶然に生じると考えている。運動パターンを教えたりする事はできないのだ。運動パターンはセラピスト自身にもよくわからないものである。たとえばアイスクリームを食べるところを思い浮かべてみよう。スプーンを突き刺すと、意外に硬かったりすると、自分でも予期しないほど多様なパターンでスプーンを操り、柔らかいところを探したり、アイスクリームを削ったりするものである。自分にとっても考えていない予測不可能なパターンが次から次へと出てくる。つまり状況の変化に対応して、様々な運動パターンを生み出す。後からモニターする事はできるが、運動の出現や変化とはそのように意識外のものだ。
 たとえば刻々と変化する状況に応じて歩行は変化する。前から人が来れば、あるいは床面が濡れていれば、でこぼこだらけの道では・・・・。それぞれの状況に対して、一体どんな運動パターンを教えるというのか。それをセラピストの教えるたった1つのパターンで乗り切れるはずがない。運動パターンの創出は、患者さん自身が行うことだ。

判事発言(その2)「両名に言っておきたい。今の運動パターンの問題は今回の問題からは、ずれているのでここまでにしてもらいたい。これ以上、話を進めるとまた脱線しそうだ。それで最後に弁護人に聞きたいのだが、痙性は適応の過程であって、セラピストはアプローチする必要はなくなるということか。」

<弁護側発言その8>
 先ほど述べたように、機能的動作における痙性の持つ意味は多様である。先ほどは痙性の有利な点を述べたが、明らかに痙性が機能的運動を妨害しているのも確かだ。たとえば下肢を硬くすることは体重支持には有利だが、下肢を振り出すときには可動域の低下となって不利になる。片麻痺患者さんの患側上肢の屈曲は、立位・歩行時には有利に働くかもしれないが、更衣動作では明らかな不利となる。つまり多様で柔軟性に富む、適応性の高い神経メカニズムによる筋力発生がうまく働かないので、代わりに頑固で柔軟性に乏しい粘弾性メカニズムが過剰に代償している。痙性はある部分では有利に働いても、他の部分では不利に働く。どちらの意味を持つかは、状況や課題によるというわけだ。痙性は傷ついた運動システムの適応の結果であるが、同時に次に生じる運動障害の原因となる。
 それともう一点、先ほど述べたように粘弾性による代償は患者さんにとってより楽な経済的な代償方法かもしれないということだ。そのために残存している神経系メカニズムによる筋力発生の方法を次第に使わなくなっているかもしれない。つまり粘弾性メカニズムによる過剰代償ということだ。粘弾性メカニズムに張力発生を頼りすぎてしまって、使える能力を眠らせているかもしれない。
 これはある意味で悪循環である。システムが傷つき、構成要素が変化してその相互作用の結果、痙性が出現する。ところが今度はシステム全体が出現した痙性を維持する方向で作動するのである。さらに痙性は維持され…・といった循環の末、システムは神経筋活動を使わない方向で安定してしまう。これはかなり強固な安定性で、人の運動を変化させるときに大きな壁となる。
 セラピストは神経筋単位をできるだけ活性化させる必要がある。最大限、神経筋単位を働かせるためには、やはり粘弾性による代償はできるだけ低下させた方がよい。この悪循環を断ち切り、持続的に筋緊張を変化させるのが上田法である。痙性をとってから筋力強化するといったやり方が、考えられるベストの方法かもしれない。システム理論を基にした治療では、可動域を改善するためや粘弾性メカニズムによる過剰代償を防ぐために、痙性を低下させるだろう。
 痙性をとったからといって正常運動がでてくるわけではない。脳性運動障害は、筋力低下や筋の持久力の問題、全身の持久力の問題、認知の問題、そして痙性の問題など多くの構成要素の相互作用の結果である。私たちは痙性だけを有罪とするのではなく、他に多くの共犯者がいることを見逃してはいけない。
 最後に陪審員のみなさんにお願いしたい。痙性は、脳性運動障害の結果であり同時にその運動システムの活動を決定する原因となる。他人の犯した罪の尻拭いをしたり、新たに別の罪を犯しているわけである。犯行はもっと組織的で大がかりなものなので、その構造全体にメスを入れる必要がある。痙性一人のせいではない。公正な判決を望みます。以上。

<検事発言その8>
 賢明な陪審員諸君はもうお気づきのことで、今更私が言うまでもないが、弁護側の発言のほとんどが仮定に基づいているということは最後に注意を向けておきたい。以上。

判事発言(その3)「検事の発言にも、同様のことが言えるね…。さて陪審員のみなさん、仕事に取りかかってください。痙性が運動の妨害をしているという点では、両者とも一致したようです。もっとも弁護側の主張では、痙性は部分的に役立ち、部分的に運動を妨害するというものだし、脳性運動障害にはもっとたくさんの共犯者がいて、それを見逃すべきではないという主張だった。痙性の意味は何かとか、痙性が運動障害の原因か結果か、筋力低下が大きな原因かどうか、筋力低下以外の共犯者の可能性とか、考えることはたくさんあります。それでは陪審員室へ。」

4.おわりに
 いまさら言うのも何だが、ここでは痙性に関する問題を議論することが第一の目的ではない。単に痙性に関することならば、するべき議論は他にもたくさんある(dorsal rhizotomyやKatzの実験など)。
 むしろ一番言いたかったのは、ある現象を見る場合、立場が違えば見方が随分変わってくると言うことだ。階層型理論のものの見方の枠組みは、還元論的(複雑な現象は簡単な部分に分け、部分の説明から全体を理解しようとする)である。部分に分けていく過程で、肝心の相互作用という関係性も切り捨てられてしまう。さらに直線的な因果関係論(部分と全体の間に継時的な単純な原因-結果の関係を想定して、現象を単純化して説明する)でもある。「痙性(原因)があるから、正常運動ができない(結果)」
 システム理論の枠組みにおいては、痙性は様々な相互作用の結果であって同時にその痙性を維持するように次の運動を決定する原因となるといった風に、直線的な因果関係では捉えられない関係性を浮き彫りにすることができる。自ずとそれを基にしたアプローチも大きく変わってくるのだがここでは紙数の都合で書けなかった。
 もっとも一見してどんなに素晴らしい理論であろうと、必ず限界を持つものである。システム理論が還元論に置き換わるというのはナンセンスである。お互いの欠点を補っていけばよいのだ。全体論的な視点は、還元論的・因果論的なアプローチのより現実的な適用の役に立つだろう。それでこれを機会に、システム理論の視点を身につけるきっかけになればと考えている。どんな素晴らしいアイデアや言葉でも、現実をすべて表せるものではない。敵対する二つの視点を身につけることは、現実を受け止めるための良い方法であると思うのだ。

参考・引用文献
<検事と弁護人の紹介>
・階層理論とシステム理論について
 →①Horak FB: Assumptions Underlying Motor Control for Neurologic Rehabilitation. (ed. by Lister MJ): Contemporary Management of Motor Control Problems. Proceedings of the ⅡSTEP Conference. FOUNDATION FOR PHYSICAL THERAPY,Virginia, 1991, pp 11-27.

<判事発言その1>
・痙性の定義
 →③Carey JR,Burghardt TP: Movement dysfunction following central nervous system lesions: a problem of neurologic or muscular impairment? Phys Ther. 1993;73:538-547.

<検事側主張その1>
・「階層理論では・・・・」
 →①の文献から。
・「Pierrot-Deseilligny and Mazieresは・・・・」
・「Knutsson and Martenssonは・・・・」
 →以上、③の文献からの孫引き。

<弁護側主張その1>
・「Sahrmann and Nortonは・・・・」
・「たとえば体幹に伸展パターンの見られる・・・」
・「また成人片麻痺患者では、麻痺側の筋に・・・」
・「成人片麻痺で、運動単位が少なくなり・・・・」
 →以上、④の文献からの孫引き。
  ④Craik RL: Abnormalities of Motor Behavior. (ed. by Lister MJ): Contemporary Management of Motor Control Problems.Proceedings of the ⅡSTEP Conference. FOUNDATION FOR PHYSICAL THERAPY,Virginia, 1991, pp 155-164.
・「成人片麻痺患者の患側上肢を挙上する・・・・」
 →⑤Mathiowetz V, Haugen JB: Motor Behavior Research: Implications for therapeutic Approaches to Central Nervous System Dysfunction. The American Journal of Occupational therapy,48:8:733-745, 1994.
・「同様にDuncanは、片麻痺患者が膝を・・・」
 →⑥Duncan PW: Stroke: physical therapy assessment and treatment.(ed. by Lister MJ): Contemporary Management of Motor Control Problems. Proceedings of the ⅡSTEP Conference. FOUNDATION FOR PHYSICAL THERAPY, Virginia, 1991, pp 209-217.

<弁護側発言その2>
・「そもそもJacksonは、階層型理論を・・・・」
 →④の文献から。
・「またBourbonnairらによると・・・・」
 →⑦Bourbonnair D, Noven SV: Weakness in Patients With Hemiparesis. The American Journal of Occupational therapy,43:5:313-319, 1989.
・「Dietzらは、尖足歩行をしている・・・・」
 →⑧Dietz V, Quintern J, et al.: Electrophysiological Studies of Gait in Spasticity and Rigidity. Brain, 104:431-449, 1981.
 →⑨Berger W, Quintern J, et al.: Pathophysiology of Gait in Children with Cerebral Palsy. Electroencephalography and Clinical Neurophysiology, 53:538-548, 1982.
・「Bergerらは片麻痺患者の歩行中の・・・」
 →⑩Berger W, et al.: Tension development and muscle activation in the leg during gait an dspastic hemiparesis: independence of muscle hypertonia and exaggerated stretch reflex. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 47:1029-1033, 1984.
・「Tardieuらによると、筋は短縮した・・・・」
 →⑪Tardieu C, Lespargot A, et al. : For how long must the soleus muscle be stretched each day to prevent contracture? Dev Med Child Neurol. 30:3-10, 1988.
・「Careryらは、粘弾性変化の原因として・・・」
 →③の文献
・「DietzとBergerは・・・・」
→⑫Dietz V, Berger W: Normal and Impaired Regulation of Muscle Stiffness in Gait: A New Hypothesis about Muscle Hypertonia. Experimental Neurology, 79:680-687, 1983.
<検事側発言その3>
・「Corcosらは・・・・・」
・「たとえばMcLellanらは・・・」
 →以上、③の文献からの孫引き。

<弁護側発言その3>
・「Campbellが指摘するように・・・・」
 →⑬Campbell SK: Central nervous system dysfunction in children. Pediatric Neurologic Physical Therapy.(ed. by Campbell SK) Churchill Livingstone Inc., 1991.
・「Dietzらの実験では・・・・・」
 →⑧の文献から。
・「TardieuはR比を使って・・・・・」
 →Tardieu C, Lespargot A, et al.: Toe-walking in children with cerebral palsy: contributions of contracture and excessive contraction of triceps surae muscle. Phys ther. 69:656-662, 1989.
・「DietzとBergerは、脳性運動・・・・」
 →⑫の文献から。

<弁護側発言その4>
・「ところがCarmickは・・・」
 →⑭Carmick J : Clinical use of neuromuscular electrical stimulation for children with cerebral palsy, part 1: lower extremity. Phys ther 73:505-513, 1993.

<弁護側発言その5>
・「Jengらは・・・・・」
・「Engsbergらは・・・・」
 →以上、⑮の論文からの孫引き。
  ⑮Darrah J, Bartlett D:Dynamic systems theory and management of children with cerebral palsy: Unresolved issues. Inf Young Children, 8(1):52-59, 1995.