状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(その4)

”状況的アプローチ - 上田法技術を活かすための枠組み(上田法治療ジャーナル, Vol.22 No.2, p59-88, 2011) ”
 今回は7章を載せています。
 前回のつぶやき部分で、このエッセイで取り上げている「人の運動システムの特徴」は2つだけである、と書いたが実は3つでした(^^;))最初の段階では計5つを取り上げて説明していたのでした。僕は昔から簡単にこんなミスをしてしまう。数などを簡単に勘違いしてしまうのです。申し訳なかったです。(もう修正しています)

 今回の運動システムの特徴は実際にアプローチを組み立てるときに直接関係するアイデア群です。
 それでは、始めます。  

状況的アプローチ
-上田法技術を活かすための枠組み
                葵の園・広島空港 理学療法士 西尾 幸敏

7.豊富なリソースと多彩な運動スキル
 -システム理論から見た人の運動システムの特徴 その3
A.豊富なリソース
 どうして人は状況一体性で表されるように、絶え間なく変化を起こして、状況に適応し続けることが可能なのだろうか?様々な理由が考えられるが、一つには運動に使えるリソースが豊富である、ということが言える。リソースとは、あなたが達成しなければならない運動課題があるときに利用できる資源や手段、性質である。
 リソースには身体の柔軟性や筋力、体力、関節の構築的な制限などの「身体リソース」と、環境内で運動に利用できる「物」や介助者といった「人」などの「環境リソース」がある。
 人は日常生活を送るには十分すぎるほどの柔軟性、筋力、体力を持ち、環境内の沢山の物や人をうまく利用することができる。それ故、人の運動システムは「余剰なシステム(必要以上にあり余るほどのリソースを持つシステム)」(Keshner)5)とも呼ばれる。それこそ豊富過ぎるリソースを持つことはさまざまな状況変化に対応するための基礎となる。
B.多彩な運動スキル
 リソースを利用して、運動課題を達成するような身体の使い方を運動スキルと呼ぶ。運動スキルはリソースが豊富になればなるほど、より多彩に発達することができる。豊富なリソースは運動スキルをより多彩にするので、状況変化により対応しやすくなる。リソースの豊富さと運動スキルの多彩さが、運動変化の多様さの基盤なのである。
 ところが障害を持つとリソースは乏しい。たとえば脳卒中後では、最初筋力が低下する。その後筋緊張が高まり柔軟性が低下してくる。余り動けなくなるため全身の持久力も低下してくる。麻痺があって健康な時の運動スキル(身体の使い方)が役に立たなくなり、環境利用もままならなくなってしまう。運動障害を持つとはリソースの豊富さや運動スキルの多彩さを失うことなのだ。
 また運動スキルを獲得するということは、単に課題達成のための身体の使い方を憶えるだけでない。ある運動スキルを獲得することは、課題達成のためのリソースの使い方とその結果を繰り返し経験することであり、やがてある状況下での課題達成の見通しを持つことなのである。人はリソースを様々な状況の中で使う経験をし、より実用的な運動スキルを発達させることができる。またその結果として、運動結果の見通しを持つようになるのである。
C.運動スキルは無限の運動変化を起こす
 たとえば子供用のオモチャの歩くロボットのことを考えてみよう。このオモチャは、テーブルの上に置くとちゃんと歩いているように見える。が、ほんの少しの起伏や傾斜のために倒れてしまう。環境変化に対して自らの運動を変化させることができない。ただ同じ運動を繰り返して倒れてしまう。そして倒れたあとも同じ運動を続ける。
 これは状況変化に対して歩行という機能ではなく、運動の形を維持するシステムである。このロボットが持っているリソースは、柔軟性に乏しい体と力を生み出す駆動装置、同じ動きを繰り返させる伝達装置だけである。
 一見すると沢山の部品から成り立っており、複雑な動きをしているように見えるが、どの部品も結局は直線上を行ったり来たりする自由度1の運動しかできない。元々リソース自体で動きが固定されていて(注3)、リソースを利用する装置もなく、運動スキルと言える物が存在しない。
 これに対して最近出てきているホンダのASIMOなどの歩行ロボットは、様々に運動を変化させながら歩くことができる。歩幅を調整し、上半身の重心移動でバランスを取りながら、安定した旋回、8字歩行、階段の上り下りができる。また将来の動きをリアルタイムに予測してあらかじめ重心を移動させる。まだ他にもスリップを防いだりするための調整が可能とのこと。
 これは神経系による力やタイミングの調整の働きに似ている。従ってこの新しいロボットは、より柔軟な体を持ち、リソースの使い方を状況によって変化させる運動スキルを持ち、見通しを持って運動変化を起こしていると言える。
 アシモは、平らな床面上ではそれこそ無限に歩行が変化すると言ってもよい。床面に接するために歩幅を調整し、重心を移動するという運動スキルがあるだけで無限の運動変化を起こすことができるのだ。
 オモチャのロボットは乏しいリソースのシステムの例、それに対してアシモは豊富なリソースと運動スキルを兼ね備えたシステムの例である。豊富なリソースを基にした運動スキルこそが、無限の変化を起こしうるのだ。(人はもっとすごいけどね!)
注3 モーターで生じた回転運動は、伝達系(ギアの組み合わせで)交互運動に変換され、そのまま脚の反復運動を起こしているだけ。強さやタイミング、方向などは変えられない仕組みになっている。
D.乏しいリソースと運動スキル
 脳卒中後の成人片麻痺の方が、歩き始めるようになる時のことを考えてみよう。中等度以上の麻痺のある下肢の筋力は極めて低下する。低下した下肢筋力で立って体重を支えようとする場合、しばしば見られるのが反張膝である。
  普通、膝の支持性は関節の構築的な制限や筋の張力によって生み出される。脳性運動障害で麻痺によって筋の張力が失われると、関節の構築的な制限だけによって体重を支持しようとする。膝の場合、過伸展位で保持することによって、体重を支持することができるようになる。これが反張膝の状態である。
 この場合リソースは関節の持っている構築的な制限で、運動スキルは立位での体重支持・重心移動時に膝を過伸展位に保つような身体の使い方、ということになる。これは膝だけを見れば乏しいリソースの代表で、体重支持という運動課題に筋力というリソースが参加していないので、非常に不安定である。
 通常は以下の3つのリソースが膝関節の支持に参加している。
①膝関節の構築的制限
②膝周囲筋の粘弾性張力(筋電図活動が見られない)(注4)
③膝周囲筋の収縮性張力(筋電図活動が見られる)
 対して反張膝で歩行する場合の、膝関節の支持のリソースは以下の1つである。
①膝関節の構築的制限
 とは言え、人によっては色々な路面状況の中で、反張膝を保持するために、全身のアライメントの変化という運動スキルはそれなりに熟練して、非常に適応的になっている場合もある。色々な状況の中で、反張膝を維持するために他の身体部分が多様な動きをして、アライメントを保つ訳だ。膝の部分では貧しいリソースとは言っても、他の部分のリソースが豊富であれば、それらを利用した運動スキルはやはり無限の運動変化を生み出す。
 しかしまだ上記の運動スキルが未成熟な頃には、反張膝はかなり歩行移動を不安定にする。ちょっとした重心移動で、反張膝のロックが外れ簡単に膝折れを起こしてしまう。よく見られるのは下り坂や小さな段差に踵が乗っかったような場合である。また身体の他の部分のリソースが豊富でなければ、反張膝を維持するための運動スキルも貧弱となり、環境に適応する力が弱いままである。
 また将来的に膝の痛みを心配されることもある。私は反張膝で歩く片麻痺の方が痛みを訴えない場合も多いので、必ずしも反張膝と膝の痛みとの間の強い因果関係は想定できないとは思う。が、反張膝位で立位荷重時に痛みを訴える方がいるのも確かだ。
 いずれにしても、もし可能であれば早期に、使われるリソースをより豊かになるよう試みたいものだ。だが筋の収縮性張力発生のリソースが麻痺によって失われてしまっている。麻痺は治らないので、リソースを増やすのは困難かと言えばそうでもない。
 脳性運動障害では筋の粘弾性張力の発生も可能性として挙げられる。これは臨床でよく見られる現象なので身近なところで試して欲しい。片麻痺の比較的麻痺の重い方でも、早くから膝半伸展位での荷重を繰り返すと、体重を支持して歩かれるようになる。この方に椅子に座ってもらって膝を伸展していただくと、力は非常に弱く、簡単に手で制止、屈曲できてしまう。
 しかしこの方が一旦立って歩き始めると、半伸展位の患側下肢で全体重を支えるだけの張力が発生していることがわかる。脳性運動障害で下腿三頭筋の立位での張力発生時に筋電計を当てて筋電図活動が見られない、という報告6,7)は見られる。しかし僕の不勉強のせいか、知っている範囲では大腿四頭筋での研究が見られない。誰かやってくれないだろうか?
 またもう一つのリソース、収縮性張力を改善すること、つまり脳性運動障害における筋トレの有効性8)も報告されている。中には不使用によって廃用性の筋力低下を起こしているケースもあるだろうし、筋トレはいずれにしても行ってみるべきである。
 柔軟性の改善、筋力強化、持久力強化などの身体的リソースを豊富にすることは、状況的アプローチでは重要な柱である。
注4 粘弾性張力を発生するメカニズムとして有力なのが、二枚貝の貝柱に見られるキャッチ収縮である。キャッチ筋は典型的な平滑筋である。アセチルコリンの分泌に伴って細胞内カルシウム濃度が上昇し、カルシウムが直接結合することで活性化したミオシンとアクチンが滑り運動を起こして収縮を開始し、張力を発生する。
 その後、細胞内カルシウム濃度が減少するとキャッチ状態に入り、長時間にわたって張力を発生し続けるが、その間エネルギーはほとんど消費されない。
 筋電図活動がみられない、温熱によって弛緩するなど、脳性運動障害に見られる筋の硬さとも共通点が見られる。
 また研究の多くは二枚貝の平滑筋で行われているが、脊髄動物の平滑筋や骨格筋でもキャッチ収縮と同様の現象が報告されている。
盛田フミ: 貝はいかにして殻を閉じ続けるか?-省エネ筋収縮"キャッチ"の制御と分子機構. タンパク質 核酸 酵素 Vol33 No8, 1988.