シリーズ 治療方略と治療技術(西尾幸敏)2015年7月22日-2015年11月23日

 

 

 

 

シリーズ 治療方略と治療技術

その1「支配される痛みから管理される痛みへ」という治療方略
2015年7月22日
1. 治療方略とは?
 痛みを訴えて訪れる患者様に徒手療法を施し、痛みを軽くしたり無くしたりして「痛くなったらまたきてね」ということを繰り返しているセラピストがいます。もちろん痛みを軽くしたり治したりすることは素晴らしいことです。ただそれは治療技術を繰り返しているだけで、「痛みが再発する」という状況については何一つ考慮していないかもしれません。
 まあ、それを望んでいて実際にそれで構わない経済的にも時間的にも余裕のある患者様なら構わないのです。しかしそういった患者様達は少ないと思います。実際に僕がよく聞くセラピストに対する患者様の不満は、「やってもらったときは気持ちいいけど、すぐ後にまた元に戻っちゃうのよね」です。
 つまり治療技術は一時的な効果しか生み出さない場合も多いのです。この問題を解決するには「痛みに関わる状況をどう評価し、どのような方向性を持って治療技術を用いるか?」という治療方略が必要なのです。
 CAMRではこれまで学校などでは教えられることのなかった「状況評価」と「治療方略」という視点を新たに提案しています。「詳しくは講習会で」と言いたいところですが、講習会を開くのもなかなか大変です。ここでは簡単に説明していければと思っています。(次回「2.痛みはモンスターのようなもの」に続く)
 なお自前で講習会を開くのは大変ですが、勉強会を開いていただけるならできるだけ「必要経費+お志」程度で伺います。少人数でも構いません(^^)


その1「支配される痛みから管理される痛みへ」という治療方略
2015年8月4日
2. 痛みはモンスターのようなもの
 何か問題が起きるとその原因を知りたがるのは人の本性のようなものかもしれません。痛みの原因を専門家から説明されるとひとまず落ち着きます。そうすると問題解決に向かう心構えができたりします。
 逆に原因が分からないと、何かしら正体不明のモンスターに襲われているような不安や恐怖感を感じます。これは痛みに常に焦点を当てることになり、痛みを強くしたり持続したりします。「原因不明」は患者様を不安な状況に置いてしまいます。
 あるいは次のような例もあります。頸部骨折術後に痛みを訴える患者さん。術後一年は経つのに、痛みが取れない。ご本人によく話を聞いてみると「手術で何かしらの失敗があったのではないか?」などと仰います。自分で原因を想像して不安を強くしておられます。それも「あんな失敗ではないか?」、「もしかしたらこんな失敗?」などと想像力をたくましくされています。まあ、無理のないことなのです。
 この患者様の場合、「手術の失敗が原因」と考えてしまうので「手術のやり直しが必要」などと考えて、回りの人たちに相談して回り、さらに新たにいろいろなトラブルを起こしてしまいます。
 痛みの原因を知ることは大事なことですが、誰かが納得できる説明をしてくれないと、自分で勝手に考えたり、他人の噂話のようなものを受け入れてしまったりすることがよくあります。人はそれぞれに自分のストーリーで空白の部分を埋めようとするのです。
 さらに想像したその原因が誰に相談しても、一方的に否定され、あるいは誰からも解決方法を示されない場合、「解決不能の問題」となりその不安により強く支配されてしまいます。「ああ、大変なことになった。どうすれば良いんだ!・・・」(次回「3.繰り返される痛み」に続く)


その1「支配される痛みから管理される痛みへ」という治療方略
2015年8月24日
3. 繰り返される痛み
 お年寄りが腰痛に苦しんでいます。そこでセラピストを訪ね徒手療法で痛みを軽くしてもらいます。「ああ、楽になった。良かった・・」
 しかし2日も経たないうちにまた痛みが強くなってきます。「やれやれ、また先生のところに行って治してもらわんといけんわ・・・治っては悪うなり、治っては悪うなり・・・情けないことじゃけん。死なんにゃ治らんわい」
 セラピストは通常、現に現れている痛みとその直接の原因を仮定して因果の関係を想定します。たとえば「腰痛の原因は○○筋の柔軟性低下によって痛みが出る」などです。だから原因であると仮定する○○筋の状態ばかりに目が行きがちです。徒手療法などの評価も治療手技も基本的にはこの因果の関係を基にしていますから、「○○筋のストレッチ」とかがアプローチとして出てきます。
 そして実際に「○○筋のストレッチ」を行うと、腰痛も軽くなるという経過を見るし、「○○筋が原因で腰痛が結果」という因果の関係はすんなりとセラピストには信じられてしまいます。
 でもこの経過は別の解釈も可能です。たとえば以下のようなもの。「腰痛には様々な要素が関係している。そのうちの要素の一つを変化させる。たとえば○○筋のストレッチを行って○○筋が緩むと、この部分的要素変化が全体の状況に影響を与えて腰痛が軽くなる。しかしこの痛みを生み出すシステム全体は、様々な構成要素が常に相互作用を起こしながら状況変化を起こしていることを忘れてはいけない。つまり○○筋のストレッチの効果が薄れて筋の柔軟性が低下するにつれまた元の状況、つまり腰痛の状態に落ち着くのである」
 このような解釈を行うと、○○筋という一要素の変化が全体の状態変化に一時的な影響を与えているだけのことであり、単純な因果の関係は存在していないことになります。○○筋の柔軟性低下は、腰痛発生の一要素としても単純な原因ではないからです。だから○○筋のストレッチは一時的な効果しか生まず、繰り返す痛みは長い目で見ると少しも変化しないのかもしれません。
 もしそうだとすれば別の治療方略が必要になってきます。その新たな治療方略にはざっと考えても3種類あります。(次回「4. 繰り返す痛みに対する3つの治療方略」に続く)


その1「支配される痛みから管理される痛みへ」という治療方略
2015年9月4日
番外編 治療方略とは何か? その1
 このシリーズを進めるに当たって、先に治療方略とは何かを考えておいた方が良いと思いなおしました。というのもこれから一つの問題に対して様々な治療方略を様々な角度から検討してくことになります。そのためにも治療方略という言葉の意味をもう少し明確にしておかないと大きな誤解を生みそうだからです。
 さて僕たちの仕事はクライエントの依頼(クライエントの運動問題を解決し、あるいはクライエントの希望する運動課題を達成する)に僕たちのできる範囲で応えることです。もちろん僕たちは魔法使いではないので、残念ながら僕たちができることは限られています。「(脳性の)麻痺を治して」と言われてもそれに応えることはできないでしょう。
 しかし麻痺を治すことはできなくても、麻痺に伴う問題を軽くすることはできるかもしれません。
 どうやって?たとえば従来の運動スキルによって達成できなくなった機能を代償的なやり方(運動スキル)で埋め合わせることができるかもしれません。あるいは新しい運動リソース(資源)を持ってきて、全く新しいやり方で失われた機能を再生することもできます。歩けなくても車椅子というリソースを持ってきて、その使い方(運動スキル)を獲得すれば、移動という機能は生み出せるわけです。
 さて、まず治療方略とは、現時点で達成可能な方針を選んでみることが大事です。もちろん「脳性の麻痺を改善する」という治療方略の可能性があることも確かですが、約60年前に日本に入ってきたこの治療方略は未だに現実的であるとは思えません。
 「麻痺を治すというのは遠大で困難な目標なので、すぐには実現できないかもしれないが、これこそが根本的解決であり、努力する価値がある」というのが一つの言い分でしょう。研究者はそれが大事でしょうし、その努力を是非してほしいものです。しかし臨床家にとっては目の前ですぐにでも何とかしたいと思っている患者様に「今すぐには実現できない目標を掲げること」は失礼かもしれません。今この場でできる解決策を目指すというのがCAMRの最初の基本的な方針です。(「治療方略とは何か? その2」に続く)


    シリーズ 治療方略と治療技術
2015年9月13日
番外編 治療方略とは何か? その2 「景虎、15の冬(1)」
 もう少し治療方略のイメージを膨らませましょう。そのために以下のようなエピソードを挙げてみました。上手くいくかどうか・・・
 上杉謙信は「毘沙門天の生まれ変わり」とか「鬼神」と讃えられる戦国時代の名将です。彼が15歳の頃は景虎と呼ばれていました。景虎は15歳の冬に800人の兵士を率いて戦います。彼は川の片側に陣を張り、敵を待ち受けます。物見を出して敵の様子を探り、地形を見るなど様々な状況を観察して回ります。戦(いくさ)前にはひどく冷え込み雪も降り始めていました。非常に冷たい風が吹きすさび、降った雪は根雪になるだろうと予想されました。
 さて敵軍が徐々に対岸に現れます。総勢6000人以上!なんと景虎軍の8倍の人数です。敵軍は一斉に鬨(とき)の声を上げ、貝や太鼓をどっと打ち鳴らします。景虎軍はそれを見、すさまじい音を聞き、色を失い動揺します。
 その様子を見た敵軍は「やれ敵どもは萎縮しておるわ。今がチャンスじゃ!敵どもを踏みつぶしてしまえ!」と先を争って川に入ってきます。
 一方景虎は何もしません。回りの大将や旗本たちは焦って景虎に進言します。「敵軍が川を渡ってしまうとますます相手の士気上がり、我が軍の士気ますます下がりまするぞ。今から打って出て川の中程で戦い、河を渡ってくるのをなんとか食い止めましょうぞ!」

 それに対して景虎は、「わしが合図するまで動くでない。たき火に当たるなり、酒を飲むなりしてゆっくりしておけ」などとのんきなことを言います。ああ、景虎君15歳、なんのつもりか?果たしてこの戦の結末は?ベンベン!血湧き肉躍るこの話の続きは次回の巻・・・の心なのだ!ベンベン!(西尾)


  シリーズ 治療方略と治療技術
2015年9月17日
番外編 治療方略とは何か? その3 「景虎、15の冬(2)」
前回のあらすじ
 ベーンベン・・・景虎軍800人と敵勢6000人以上が川を挟んで対峙します。敵軍は景虎軍のびびった様子に調子に乗って一斉に攻めかけます。敵軍は川をドンドン渡ってきます。しかし景虎は何の采配もしません。川を渡ってくる大軍にこのままやられてしまうのか・・・ベンベン!
 さて、そのうちに敵軍のほとんどが川の中に入り、さらに1/3あまりが川の中からこちらの岸に渡ってきました。しかし冷たい風に吹かれ、深く冷たい川の中を渡って来るうちに、手足が凍えきったようです。動作がひどく鈍くなり、武器を取り落としたりしています。
 それを見て取った景虎は豹変します。「かかれ!かかれ!かかれ!」と激しく叫び、采配をふるいます。そして敵軍の兵は削り取られ、あるいは川の中に追い落とされてしまいました。まあ、激しい戦いも局所的に起きたようですが最後は敵軍総崩れとなり逃げ出しました。「皆のもの、勝ち鬨(どき)じゃ、えいえい、オー!」めでたし、めでたし、景虎、15の冬であった・・・・

 さて、景虎は勝つために広い視点から状況を探りました。自分が戦いに利用できる手持ちのリソース(資源)は800人の兵士。対して敵は6000人以上。まともにやり合えば話になりません。そこで彼は戦いに利用できるリソースを環境内に探します。そして深い川とそこを流れる冷たい水、そして吹きすさぶ冷たい風雪などを戦いのリソースとして利用したのです。
 そして味方はゆっくり休ませます。敵軍の数に味方が萎縮しますが、その様子さえ敵を渡河に誘い出すためのリソースとして利用してしまいます。結果敵は寒さに凍え、川は渡ったもののまともに戦う能力を低下させてしまいました。後は800人の気力充実した兵士で、岸に上がったまともに戦えない2000人をやっつけ、川の中に追い落とし、勝利を達成したのです。
 リハビリ教育の中では、主に身体のみにリソースを求める傾向が強いと思います。学校で習う評価技術も視点も身体に原因を求め、身体のリソースを何とかすることで問題解決を図ろうとします。
 確かに身体にリソースを求めていくのは僕たちPT・OT・STが中心だから、身体に隠れた筋力や柔軟性、体力があれば見つけ、さらにそれらを鍛えスキルを学ばせようようとするのは当然です。でも身体リソースだけでは問題が解決できない場合(重い麻痺などで筋力アップが望めないなど)は、その環境内に何か利用できるリソースを探す必要があります。あるいは他所にあるリソースを持ち込んだりします。移動のために家具や壁は使えまいか?介護保険で車椅子を借りてこようぞ、という訳です。でもまだまだこれだけではありません。(続きは次回の心なのだ!ベンベン!・・・しつこい?(^^;))


    シリーズ 治療方略と治療技術
2015年9月24日
番外編 治療方略とは何か? その4
   治療方略のおぼろげなイメージはできたでしょうか?まあ、身体のみでなく環境内に存在するものはすべて「クライエントの課題達成や問題解決」に利用可能なリソースかどうかという視点と工夫が必要ということです。
 ただ治療方略はそれだけではありません。さらに戦国武将などの兵法のエピソードに例を取ってみましょう。
 上杉謙信は「戦は数でやるのではない、士気と工夫でやるのだ」といっています。今回は士気について考えてみましょう。
 多くの名将は部下の士気を高めるために武功に対しては十分な恩賞を与えています。黒田官兵衛は普段は質素倹約を旨とし、溜めたお金はいざというときには惜しみなく部下達に振る舞ったと言います。兼信も部下の武功には過分に恩賞を振る舞ったと言います。
 また戦う前には戦いの意義や意味を部下達に説き、貝や太鼓を打ち鳴らし鬨(とき)の声を上げて士気を奮い立たせることを行います。どの名将もそれぞれに士気を高めるためのそれぞれのやり方を持っていたのです。たとえば兼信は自ら常に先頭に立ち兵達を鼓舞し、采配は静から動へと一瞬に激しく変化します。
 名将達は自分たちの軍勢を決して単なる物理的なシステムと捉えてはいなかったということです。軍の強さは、訓練や士気、その場の形勢・状況などで大きく変化します。つまり単純に兵士や武器の数では見ていないということです。普通の人が寄り集まった普通の集団と考えているということでしょう。そこで名将達は、常に軍の士気や状態に焦点を当て、より良いものにするのが大事な兵法の一部と考えているのです。
 一方リハビリでも学校では患者様の意欲や動機付けが大事などと習ったと思います。心理学を習い、コミュニケーション論を習ったかもしれません。でも「意欲を高めよ!」とは言われるものの、実際に日々、現場でどのように振る舞うかという具体的な技術も不明ではありませんか?
 名将達は必要に迫られ、心理学を学ばなくても日々の生活経験の中から様々な士気を高める方法を身につけているように、僕たちにもそのための視点と技術を身につける必要があります。
   CAMRでは「足場作り」として意欲や治療的状況に関する視点と技術が経験的にまとめられています。
 さて、治療方略はもちろんこれですべてではありません・・・別に兵法書として有名な孫氏の十三篇を意識しているわけではないのですが、このシリーズはもう少しだけ続けます。(文責:西尾幸敏)
  シリーズ 治療方略「PT・OTは戦場をどこにするのか?」(その1)
2015年10月23日
 西尾です。「シリーズ 治療方略と治療技術」ですが、書いている間に新しい気付きや大きな反省があり、今の流れは僕の書きたいものから離れていっております。(いえ、歴史物特に軍略物は好きなのです。上杉謙信などを書こうとするとそちらの方ばかりに気が行って、元々の「治療方略」の説明がどうもおろそかに・・・^^;)
 勝手ながら新しい構想でもう一度最初から書き直していきます。

シリーズ 治療方略「PT・OTは戦場をどこにするのか?」(その1)
 PT・OTは患者様毎に達成するべき目標を持つと思います。できればその目標は世間様から「うん、意味や価値があるよ」といとも簡単に承認される物がよろしい。
 という訳で障害直後に寝たきりの方がおられると、「食事や排泄の自立」が目標に挙がりやすいと思います。そうすると病棟のベッドサイドでのリハビリが重要となり、起座・座位保持・起立・移乗動作などの練習を行い、やがて食堂へ、トイレへなどと発展していくわけです。
 ただPT・OTが戦う場所としてはどうかと思うのです。リハビリスタッフは一日一回20-40分だけ個別で接していくことが多いのです。患者さんは残りの時間を病棟・病室・ベッド上などで、介護職・看護職さんと接しながら過ごされます。当然ある時期から排泄や食事は介護・看護職さん達の関わりがメインとなり、リハビリはこの場での存在意義を薄くしていきます。
 まあ、それで良いと思うのです。食事や排泄は生活の場でほとんど接している介護・看護職さん達の方がより専門的に扱える部分だと思うのです。もちろんそれらの職種と協同してリハビリ的な視点からのアドバイスなどはできるとしても、現場で主に接しているのはやはりその職種の方達であります。
 思うに日本ではリハビリ職の世界からADLなどの概念を言い出した関係上、リハビリ職が「ADLの専門家」と思われているいきさつがあるように思います。でも実際に働く場を見れば明らかなように、ADLは病棟・病室で働く介護・看護職の方達がドンドン専門的に扱う分野ではないかと思います。
 となるとリハビリ職は・・・と言うのがこのシリーズの内容になる予定(続く)


「治療方略」って何?
2015年11月23日
 西尾です。申し訳ない、「治療方略」に関するシリーズものは続いていませんね。ともかく内容に苦労しています(^^;いや、ホントに苦労しています(^^;(^^;
 いつかまとまることを祈りつつ・・・

「治療方略」って何?
 さて学生時代から現在に至るまで(このページ以外では)「治療方略」という言葉は聞いたことが無いと思います。でも習っていないわけではありません。実は学生時代には少なくとも二つの治療方略を学んでいます。
 僕たちが実際に学校で習ってきた治療方略の一つは「何か問題が起これば、その原因を身体に探り、その身体の原因にアプローチする」という治療方略です。皆さん、おなじみでしょう?転倒を繰り返す方がいれば、筋力検査や可動域検査、その他諸々の身体に関する検査を行って身体に転倒の原因を探します。そして筋力低下や可動域低下があろうものなら、「それそれ、それこそが転倒の原因じゃ!」となるわけです。そしてその原因らしい要素にアプローチするのです。筋力低下なら筋力強化、可動域低下なら可動域改善です。
 このような原因を探り、その原因にアプローチする考え方を「因果関係の治療方略」とここでは呼びましょう。
 ただし、原因が分かっていてもどうしようもない場合があります。たとえば両下肢の脊髄性の麻痺で下肢に支持性がない場合などです。原因は明白でも脊髄性の麻痺であれば筋力強化は期待できません。そこで装具などの身体以外のリソースを利用します。または松葉杖と両上肢を利用して支持の機能を生み出します。これはまあ名付けるとすると「代償的治療方略」とでも言うのでしょうか?これがもう一つ学校で習う治療方略です。
 原因に直接アプローチするか、原因が解決困難なので装具や他の身体部位を代償的に用いて問題解決を図るわけです。
 でも世の中にはもう一つのタイプの治療方略が存在します。これはおそらく学校では習わなかったと思います。それが「システム論を基にした治療方略」です。これは解決困難な原因を切り離し、その時その場で実際的で、より良い状況を作る治療方略です。(続く・・・か?)