痙性裁判(その1)

”痙性裁判(上田法会誌, Vol.9 No.1, p25-40, 1997) ”
 今回は少し気分を変えて、もっと以前に書いたものの紹介です。
 このエッセイを書いたのは約16年前です。上田法会誌の締切があと2週間と迫り、散々焦った挙げ句に思いつき、書き終わるまでは丁度2週間ほどだったと思います。それはもう夢中になって書き上げた想い出のエッセイです。
 ところがこれが意外と好評で、上田法の上田先生が、全国のリハ医学界の特別講演で、これを配付資料としてくださったのがとてもうれしかったです。
 今継続して載せている「状況的アプローチ」の原稿も再度読み直すといろいろと考えるところが多く、少し悩み気味なので・・・といった意味でも気分を変えてというところです。
 それでは、始めます。  

痙性裁判
    国立呉病院附属リハビリテーション学院(←1997年当時です) 西尾幸敏

1.痙性は本当に有罪か?
 これまで痙性はおおむね悪党扱いを受けている。多くの臨床家はその臨床経験から、痙性が如何に正常運動を邪魔するかといった点を力説する。私とて、必ずしもそれらに全面的に反対するつもりはないのだが、世間様は少しばかり痙性を非難しすぎているのではないかと思わないでもない。たった一人に罪を押しつけていると、他の悪者の影が薄くなって、見逃しやすくなってしまうものだ。
 本論の目的は、痙性に弁護人をつけ、公正な裁判を受けさせることである。それによって、脳性運動障害像に関与する他の犯人像を浮かび上がらせることである。これを読んでいる一人一人が陪審員というわけだ。私は判事としてできるだけ公正な裁判を進めたい・・・といっても所詮無理である。かなり手前勝手な展開になるであろう。できるだけ多くのご批判を待っている。

2.痙性を弾劾する立場の検事と弁護人を紹介しておきたい
 検事は階層理論である。この分野での花形スターである。階層理論はジャクソンJacksonによって1932年に提案されている。現在の臨床神経学の基礎となっており、これまで中心となって脳性運動障害の現象を説明してきた。私たちにとってはなじみの考え方でもある。階層理論では、中枢神経系は随意的な運動をコントロールする高位レベルから、もっとも反射的な運動をコントロールする下位レベルへと階層型の構造をしていると考えられる。脳性運動障害では、下位レベルの反射に対する高位レベルのコントロールが失われ、そのために下位レベルの反射が運動を支配するようになると考えられる。原始反射が持続し、また伸張反射が過剰に活動し痙性が現れる。特に根拠らしいものも見つからないのだが、そうして出現した反射群は、高位レベルの協調した正常運動が出現するのを妨げると考えられた。それで治療目標は、原始反射の存在を確かめ、原始反射が持続することを制止し、より高位レベルでの協調された運動が可能となるように伸張反射の過剰活動を減少させることである。
 このような階層型理論を部分的に基礎にしたアプローチには、神経生理学的アプローチがある。ボバース夫妻のNDTやブルンストローム法などが有名だ。これらのアプローチの目標は、正常運動パターンの促通と異常な筋緊張と原始反射を抑制することである。
 もう一つこの理論の特徴は、人の運動変化の主要な原因は中枢神経系にあると主張するものである。たとえば私たちが歩くのも、飯を食うのも、運動は全て中枢神経系の命令(運動プログラム)によって発動し変化すると考える。
この立場では、痙性は運動障害の主要な原因の一つと考えられている。

 弁護人はシステム理論である。ロシアの神経生理学者ベルンシュタインBernsteinの提案を基に、アメリカの認知心理学者ギブソンGibsonらの影響を受けながら育った。1990年に行われたIISTEP会議では、アメリカの理学療法研究者・教育者たちは、すでに限界の明確になった階層理論に代わって、このシステム理論を理学療法カリキュラムに採用することを決定している。
 システム理論の特徴の一つは、人の運動システムの作動は状況や環境から切り離して考えることはできないというものだ。伝統的に、運動システムというと皮膚で外界と区別して、その内側の身体のみを運動システムとして考える。しかしシステム理論では、人の心身が活動する場である環境も運動システムに含んでしまう。階層理論では、環境はせいぜい運動を修飾する程度の影響だが、システム理論で見ると環境がなければ運動は生じることはない。見た目の構造ではなく、その機能から運動システムが定義されるのだ。
 また階層型理論では人の運動は、中枢神経系の変化を基礎にして説明されてきた。中枢神経系の構造と運動の間には因果関係があると考えられている。が、システム理論では少数の要素に全ての原因を帰することはできないと考える。ある現象はいくつかの主な原因との因果関係ではない。たくさんの構成要素の相互作用から生じる、すなわちその相互作用性こそが運動システムの本質である。
 さてシステム理論が痙性をどのように捉えていくかは、これから先、明らかになるであろう。

3.それでは「開廷!」
 判事発言(その1)「被告は痙性である。痙性は生理学的には『伸張反射の亢進症状を伴う他動的伸張に対する抵抗』と定義されている。臨床では単に「中枢神経障害に伴う筋の硬さ」としてもっと幅広い意味で使われている。ここで言う痙性は、臨床的な意味で用いられる筋の硬さのことである。
 さて脳性運動障害における痙性の役割は何か?正常運動の出現を妨害しているかどうかといった辺りが、論点である。」

<検事側発言その1>
 階層理論では、中枢神経系の上位レベルで随意運動を、下位レベルで反射運動をコントロールすると考えている。上位レベルが傷害されると、陽性徴候と陰性徴候の二つが出現する。陽性徴候は正常では見られない原始反射の優位な出現や痙性の出現を言い、陰性徴候とは正常で見られるはずの姿勢反応や随意運動の低下、消失を言う。痙性は、上位レベルコントロールの崩壊による直接の結果であり、脳性運動障害を形作る一次的な原因なのだ。しかも出現した陽性徴候は、正常機能の出現を邪魔するのだ。
 Pierrot-Deseilligny and Mazieresは、出現した伸張反射が正常運動出現を阻害するメカニズムを以下のように説明する。脳性運動障害では、過剰に伸張反射が出現する。従って随意的な運動が拮抗筋を引き伸ばして、拮抗筋の伸張反射を引き起こす。この出現した伸張反射が、随意運動の範囲と速度を制限する。
 Knutsson and Martenssonは、随意運動の間、拮抗筋に発生する筋活動を筋電図上で記録し、随意運動に対するこの抵抗を「拮抗筋抵抗」と名付けている。さらに、引き起こされた伸張反射が、異常な同時収縮を引き起こすとしている。彼らは、この異常な同時収縮に対して、弱くなった主動筋がその抵抗に打ち勝つことができないため、結果歩行や他の自発的な運動を障害すると説明する。またゆっくりした運動よりも速い運動に対して困難さを示すと報告している。
 ただしこういった研究を挙げるまでもなく、多くの臨床家は脳性運動障害における痙性の振る舞いについては経験的に知っているのである。つまり痙性があれば、正常運動がでないのである。痙性が落ちると正常な姿勢がとれるようになったりする。すなわち正常な姿勢筋緊張は、正しい姿勢と運動の基礎である。筋緊張の神経学的検査や筋緊張の分布に関する検査は重要であり、治療に関しては痙性を抑制することこそ重要である。

<弁護側発言その1>
 出現した痙性が、運動を妨げるかもしれないと言う指摘に対しては全面的に否定するつもりはない。脳性運動障害像を形作る重要な要素であるのは間違いない。ただ痙性がどうして生まれてきたのかという点に関しては、検事殿とは大きく意見を異にするのである。つまり痙性は脳性運動障害の原因であると同時に結果であるかもしれない。
 Sahrmann and Nortonは、二頭筋の伸張反射亢進の重症度と随意的な反復する速い動作速度の障害度は正の相関関係があると報告している。ここまでなら、なるほど過緊張が正常運動の出現を邪魔しているとなるのだが、しかし相関関係は必ずしも因果関係を示すものではない。彼らは随意運動中の速度の低下は、主動作筋の活動不足によることを示す筋電図結果を報告している。
 このように脳性運動障害で運動が出現しない原因が、筋力低下であるとする研究は多い。たとえば体幹に伸展パターンの見られる痙直型脳性麻痺児を、背臥位から引き起こす際の頸部の筋活動を筋電図によって調べた研究がある。これでは頸の伸展は、頸部伸筋の過活動が見られるものと思っていたが、伸展活動が実際に強まることはなく、むしろ主動筋である屈筋群の活動が見られなかった。また成人片麻痺患者では、麻痺側の筋に萎縮が認められ、運動単位は収縮時間を増やすとすぐ、容易に疲労してしまう。また同様に成人片麻痺で、運動単位が少なくなり、脱神経を示す筋繊維の存在が確かめられている。
 すなわち筋力低下で説明できる現象も多い。成人片麻痺患者の患側上肢を挙上する時に見られる全体的な屈曲パターンは、筋力低下を代償するために、てこの支点-作用点間の距離を短くするための方法かもしれない。同様にDuncanは、片麻痺患者が膝を曲げようとしたときに、股関節まで屈曲してしまう現象(屈曲シナジー)は、2関節筋であるハムストリングスの弱化の代償として、少しでも力学的に優位にするための方法であるとしている。
 運動障害の共犯の一人は筋力低下であるにも関わらず、そのことが見逃されているのではないだろうか。痙性に罪が全てかぶせられて。

<検事側発言その2>
 筋力低下の定義によるのかもしれないが、中枢神経系に筋力低下は存在しない。一見すると筋力低下に見えるが、それは痙性が出現しているために、正常な筋力出現が妨害されているのである。現に痙性筋は、非常に強い張力を生み出していることは誰でも知っている。私たちが痙性筋を引き延ばそうと頑張っても、なかなか伸びないではないか。それが拘縮でないことは、治療手技になどによって痙性が落ちたときにはっきりとわかる。

<弁護側発言その2>
 そもそもJacksonは、階層型理論を提案したときには陰性徴候の1つとして筋力低下を挙げていたのである。それがいつのまにか消えて、何十年間にもわたって無視され続けたことの方がむしろ驚異である。
 張力というものはいくつかのメカニズムによって生み出されると考えられる。1つは神経メカニズム、もう一つは粘弾性メカニズムである。正常な神経系メカニズムで見ると、張力は発火する運動単位(神経筋単位)の参加数が増えることや、より高閾値の運動単位が発火すること、発火頻度が増えることによって増大する。脳性運動障害では、発火順序が狂ったり発火頻度が低下することにより、筋力低下があると仮定されている。またBourbonnairらによると中枢神経系障害患者では、筋の空間的選択の問題が示唆されている。たとえば伸筋は伸展方向へ向かって、力が増大するように活性化される。脳性運動障害者では正常人に比べて筋の活性化のピークが90゜から最大135゜もずれていた。これは関節をある位置から他の位置へと動かすためのトルク発生の低下を意味する。これらは運動の消失や協調性のない運動の原因となる。
 粘弾性メカニズムについてはどうか。Dietzらは、尖足歩行をしている脳性麻痺児と成人片麻痺患者で、筋電図活動を調べた。背側可動域が保持されている患者で、遊脚期の間、腓腹筋に活動がなかったにも関わらず、尖足位は保持されたままだった。しかも前脛骨筋にかなりの筋活動が見られた。Bergerらは片麻痺患者の歩行中の両側アキレス腱の張力発生を調べた。立脚相の間、患側腓腹筋は張力を発生していたが、筋電図活動は見られなかった。これらは運動単位の活動が見られないにも関わらず、張力が発生していることを示している。
 粘弾性の変化とは、筋・腱・靱帯・関節構成体中の結合組織の柔軟性の変化や筋繊維の弾力性の変化を含む。Tardieuらによると、筋は短縮した位置に固定され、柔軟性のないもしくは硬い状態になると、正常可動域に戻して検査しても急速に筋節を失っていることを報告した。Careryらは、粘弾性変化の原因としてクロスブリッジ結合の変化を提案している。
 DietzとBergerは、中枢神経系患者では運動単位が活性化する代わりに、筋の機械的なメカニズムが変化して張力を生み出しているのではないかと提案している。彼らはこれを「偽りの伸張反射pseudo-stretch reflex」と記述している。考えてみると他動運動時の抵抗は、粘弾性変化によるものが大きいかもしれない。
 いずれにしても私たちが活動性張力と呼ぶ、筋単位の活性化による張力発生は失われ、逆に機械的な張力の増加によって筋の硬さが生まれているということがわかる。必ずしも上位レベルのコントロールの崩壊による反射レベルの亢進が実際の機能的運動に見られるわけではない。

その2に続く・・