治療方略と治療技術 (その3)
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.25 No.1, p4-37, 2014) ”
これは上田法治療ジャーナルに載せた最後のエッセイになります。
これを機にこれを機に
③作動特性型治療方略
作動特性型治療方略は、システム論の立場から人の運動システムを観察し、その作動上の特性を基に治療方略を組み立てるものである。
実際には「試行錯誤型治療方略」と同様に、「できる状況変化を起こすので原因追及は不要」、「いま、この場で何が起きているか?」と問い「今この場でできるところから始める」など、試行錯誤型治療方略と共通点がある。
違いは運動システムの作動特性を基に、何を観察し何を理解するかが明白になっている。また目標や実施の判断基準も明確になっており、闇雲に試行錯誤を行わないというところが大きな違いである。つまり試行錯誤するまでもなく、最初から状況変化の方向性やなすべきことがまとめられており、戦略を立てるときの「兵法書」のようなもの、と考えると分かりやすい。
試行錯誤型治療方略はその過程のほとんどが個人の経験やセンスに委ねられているが、作動特性型治療方略は知識の体系としてまとめられており、経験やセンスに関係なく、誰でも学ぶことができ、ある程度の効果を出すこともできる。(もちろん経験はどこまでも重要な要素ではあるが)
それでシステム論から見た人の運動システムの特性にはどのようなものがあって、何を観察し、それを基にどのような訓練実施のルールが導き出されるかが重要である。
現在僕は人の運動システムの作動上の特性を8-10個ほど想定している。(まだうまくまとまっていないところもあって特性の数ははっきり定まっていない)そしてそれらの特性を基に、実施上のルールを決め、そのルールに基づいて治療を組み立てることになる。
すべての特性についての詳細な説明は紙面の都合上不可能なので、次の章ではそのうち4つの特性を説明し、その特性を基にした治療上のルールを説明してみたい。
その後でもう一度、作動特性型治療方略の説明をするつもりである。
3.人の運動システムの作動上の特性
ではシステム論によって理解される運動システムの作動の特徴をまとめてみよう。
①人の運動システムは豊富な運動余力を持っているため、状況変化に応じて無限に運動の形を変えて機能を維持しようとする
この作動特性は歩行を考えてみれば容易に理解できる。たとえば暖かい室内、寒い屋外、でこぼこ道、坂道、泥田、砂浜など人は様々な状況の中で歩行の形を変えて歩行という機能を維持する。つまり人の運動システムは無限に運動の形を生み出し、その時その場の状況にもっともふさわしい運動の形を生み出して機能を維持していることになる。
どうしてそんなことが可能かというと、人の運動システムは非常に豊富な運動余力を持っているからである。運動余力とはまさしく状況に応じて無限の運動を生み出し機能を維持する能力である。
一方、障害があると運動余力は貧弱になってくる。そうすると状況に応じて生み出される運動の形は少なくなってくる。つまり状況が変化しても、それに応じて形を変化させることができなくなる。平らな室内は歩けても、アスファルト面では足底が引っかかって、危なくて歩けないなどということになる。脳性運動障害者の運動が「定型的」と言われるのはこのような運動余力の低下によるものである。
つまり運動余力が豊富になれば、状況変化に対する適応力が高まる。この作動特性から生まれてくる治療方略の最初のルールは、「いつでもできる限り運動余力を増やすこと」である。これはどのような疾患・障害であれ、どのような状況であれ、第一の目標になる。
運動余力をどうやって増やすか?まず運動余力のことを理解してみよう。運動余力は運動リソースと運動スキルの2つの視点から理解することができる。
運動リソースとは、課題達成のための運動を生み出すために使われる資源のことである。運動リソースには人が持つ身体リソースと環境内にある環境リソースがある。
身体リソースは運動を生み出すための身体そのものや身体の持つ性質や機能(柔軟性・筋力・持久力・痛みなどの感覚・認知など)のことである。
環境リソースは、運動の産出に影響を与える環境内にある資源のことである。たとえば人は立って歩くとき床や大地を利用する。水田では泥水が人の歩行を作り出す。凍った道路ではその路面が、砂浜では砂が、岩山では様々な傾きや形、滑りやすさの岩が人の歩行の形を生み出す。
明るさや暗さ、温度や風なども歩く人の歩行の形を生み出す。
家の中では床や畳が、急な階段が、側に立つ壁や家具類が歩行の形を作り出す。
足に痛みがあって、杖をつく人はその杖が、腰痛があってコルセットをしている人ではそのコルセットが痛みと共にその歩行の形を生み出す。
犬を連れて散歩するとき、あるいは熊と出くわしたときはそれらの動物が歩行の形を生み出している。
あなたが葬儀に参加するとき、あるいはパレードの後についていくときも歩き方はそれらの状況に規定される。社会的な価値観や文化、情報なども歩行を生み出すときの環境リソースとして使われていると考えることができる。
運動スキルとは「課題達成のための運動リソースの使い方」のことである。
運動リソースが豊富になれば運動スキルも多彩になり、状況変化に対応する力も高くなってくる。つまり柔軟性や全身の筋力が豊富であれば、ここからあそこまで行くスキルは、普通に歩く、後ろ向きに歩く、横向きに歩く、走る、両脚交互に跳んで、ケンケン、両脚ジャンプ、横向きにジャンプ、寝返りで、這って、いざって、側転しながら・・・・などと移動に関する無限の運動スキルを生み出すことができる。この中からその状況にあった適当な運動スキルを選べば良い。たとえば有刺鉄線が低い位置に張り巡らされている場合は「這って」進めとなる。
リソースが豊富であれば、スキルは多彩になるということがわかる。また逆に運動スキルが多彩になれば運動リソースも増えてくる。
たとえば鉄鉱石を考えて見よう。鉄鉱石は紛れもなく鉄を作るためのリソースであるが、もし鉄を作る知識も技術もなければ、それはただの石に過ぎなくなる。同様に松葉杖は痛みのある方の歩行には有効なリソースだが、まったく初めて見た方にとってそれはリソースとは映らないであろう。しかし他の人が松葉杖を使ったり、セラピストから指導されたりして使っているうちに、松葉杖はリソースとして認識される。そしてその使い方、つまり運動スキルを発達させ始めるに従って、松葉杖は運動リソースになる。
こうしてみると「リソース」は運動スキルによって「運動リソース」になるのである。そして豊富な運動リソースを持つことによって多彩な運動スキルを発達させる。あるいは運動スキルの多彩さが運動リソースを豊富にする。運動リソースと運動スキルはコインの裏表のようなものだ。運動余力というコインを運動リソースと運動スキルという両面から見ることができる。
つまり「運動リソースが豊富になり、運動スキルが多彩になるということ」が「運動余力が豊富になる」ということだ。もっと簡単に言えば、沢山のリソースを様々な状況の中で、種々の課題達成のためにいろいろと使う経験を重ねることによって、運動リソースは豊かになり運動スキルは多彩になる。
たとえば上田法で柔軟性というリソースを改善する。そしてクライエント自身が改善した柔軟性を利用し始める。改善した柔軟性はそれまでより新しい運動スキルを生み出し始めるし、新しい運動スキルによって、柔軟性というリソースは運動リソースになる。運動余力が豊富になるということは、運動リソースの豊富化と同時に運動スキルの多彩化によって初めて成り立つのである。
(運動リソースのうち、環境リソースの増大についてはその範囲が広範で分かりづらい。後の節に「活動的環境」という名前で簡単にまとめている)
この観点から伝統的な筋トレのやり方をみると無駄が多いように思える。たとえば、あるクライエントが歩行不安定で、その原因が下肢筋力の低下とする。そうすると下肢筋力を鍛えれば良いとなるので、それなら座位で下腿を持ち上げても良いだろうと思える。
しかし運動リソースと運動スキルという視点から見ると、座位で鍛えた場合と立位で鍛えた場合では同じ四頭筋強化でも、運動スキルがまったく異なっていることになる。座位では下腿を持ち上げるという運動スキルだが、歩行では重心を保持しながら体重支持をするという運動スキルなのである。
残念ながら座位で下肢筋を鍛えたからと言って歩行ですぐに役立つわけではない。従来から言っている「筋力強化における特異性」とはこのことを言っているのである。
作動特性型治療方略で言うところの筋トレとは、筋繊維を太くし筋張力を増大すること(運動リソースの増大)と「課題達成のため」のその筋の使い方(運動スキル)を同時に身につけることであり、そのような「運動課題を実施」することである。
さてセラピストが介助して「正しい運動の形を学習してもらう」というアブローチを考えてみよう。クライエントが自分独りでできない場合、セラピストが介助を行う。クライエントから見ればセラピストはリソースであり、「セラピストというリソースを使っての課題を達成するための運動スキルを身につけている」ということになる。決して脳には、一人で行う正常な運動の形が学習されているわけではない。だからセラピストが離れた途端、元の運動しかできないということに不思議はない。
では筋力の弱いクライエントを介助して立っていただくというもう一つの介助を考えてみよう。「立つ」という課題に対して下肢筋力の増強とそれらを使ってどう立つかという運動スキルの両方を身につける必要がある。だが筋力が不足すると「立つ」という課題そのもの、つまり運動スキルが経験できない。
そこで「介助して立つ」という課題に切り替える。セラピストがリソースとしてクライエントに利用してもらいながら課題達成を行う。セラピストは同時に筋力が増加するにつれて介助量を減少していくという治療方略を自分に課していく。セラピストは常に状況を探りながら、最小限の介助を行うか、逆に多めの介助を行うなら、起立回数という課題の量を増やしていく。こうして運動余力の増加を見ながら「一人で立つ」という運動課題、そして「どのような状況でも一人で立ち上がる」という課題へ移行する。
前者の介助は、「同じ運動の形を繰り返せば、その形の発現のための運動プログラムが脳内に形成される」と期待しているわけだが、先に述べたように「セラピストを利用するプログラム」を作っているだけである。もしこの過程に運動余力豊富化の過程が含まれない以上は、なんの効果も上げないことになる。
だが「運動余力の豊富化」と「常に課題達成すること」を目的に、課題達成のために工夫する介助技術は、運動余力を豊富にするための有効な治療技術となる。従来の臨床場面でも、身体介助は時には有効な治療技術だったはずだ。
作動特性型治療方略では身体介助の技術を課題設定のやり方や目標によって体系化し、誰もが学習し、利用できる強力な治療技術として改めて利用する。
②人の運動システムは、自律的に課題達成を図る。あるいは課題達成のために自律的に問題解決を試みる
人は「オギャッ」と生まれて以来、誰から学ぶことなく乳を吸い、動き始め、歩くようになる。生まれながらになんとか課題を達成する存在である。
また課題達成に問題が起きると、なんとかその問題を解決して課題を達成しようとする。脳卒中で片麻痺になり、それまで思い通りに動いていた身体が未知の身体になってしまう。思うように動けない。それでもなんとか力の入らない脚で身体を支え、独自の歩き方を身につけていく。
もちろん生まれながらの麻痺が重いと使える身体リソースも少ないので課題は必ずしも達成できない。脳卒中後の麻痺が重ければ同様に問題を解決できない。それでも、その置かれた状況でなんとか課題達成しようとし、問題解決を試みようとするのが人の運動システムの特徴である。
この作動特性から生まれてくる治療方略上のルールは、「セラピスト側が運動を指示・管理するべきではない。セラピスト側は運動余力の豊富化に力を注ぐのみ。運動余力の豊富化によってクライエントの課題達成の選択肢が増えれば、運動状態の変化や運動のやり方は自律的に変化する」だ。
このルールは、次のような誤解を生みやすい。「訓練室で筋トレをして、柔軟性訓練をして後は放っておけと言うことか?」いや、もちろんそうではない。先にも述べたとおり、柔軟性は改善して放っておいては、リソースとは言えても運動リソースにはならない。筋トレは最初から適切な運動課題を通して初めて運動余力の豊富化に繋がる。運動余力豊富化の過程には常にセラピストの専門家としての目が必要なのである。
ここで言っている「セラピストが管理しない」のは「課題達成の方法をセラピストが決定しない、限定しない」ということだ。たとえば反張膝で歩かれるクライエント。「反張膝は健常者には見られない異常な歩行の形だからやってはいけない」と安易に禁止しないことだ。それはそれで歩行を達成するための立派な運動スキルである。
だからセラピストが「反張膝歩行を矯正する」ことを目標に訓練を行う必要はない。先に述べたようにセラピストは第一の目標である「運動余力の豊富化」を行う。その結果、患側下肢の半伸展位での支持性が改善し、それを使った運動スキルがクライエントに都合が良くなればその歩行スキルが選ばれる。つまり条件が揃い、選択肢が増えれば自然にその状況で一番適切なものが選ばれるようになる。
また患側下肢の半伸展位での歩行が十分に可能になったとする。しかし場面や状況によっては反張膝歩行のスキルも見られる。だからといってセラピストが「半伸展位での歩行ができるのだから、反張膝歩行は止めてください」ということはできない。不安定な場所や疲労してきたときには、反張膝歩行のスキルもまた必要になるのである。「そこはクライエントに任せましょう」ということだ。(ただこの部分はこの少ない紙数ではどうしても語り尽くせない。ここではこれくらいに留めておきたいと思う)
結論を述べるとセラピストのできることは、できる限り豊富な運動リソースと運動スキルを身につけていただくということ。つまりクライエントの課題達成の方法を指示・管理するのではなく、クライエントの運動課題達成の選択肢を増やすことである。そして実際にどのように課題達成するかは、クライエント自身に選択していただこう、ということだ。
③人は生まれながらの自律的な運動問題解決者ではあるが、貧弱な手持ちの運動リソースと運動スキルを総動員して何とか課題を達成しようとする余り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」の袋小路に入り込んでしまうことがある。
内骨格系である人の運動システムでは、柔軟で無限の動きをする骨・関節を常に筋緊張をコントロールして、状況に応じて支持性と運動性の両方を瞬時に切り替えながら調整しなければならない。
一方外骨格系の甲殻類(カニや昆虫など)では、支持性は外骨格によって生まれるので関節の運動さえコントロールすれば良いことになる。結果、内骨格系の動物は複雑な運動コントロールのために脳を発達させ、しなやかで無限の運動を生みだし環境変化に適応するようになる。対して甲殻類は、脳は発達せず、反射的な行動を繰り返す。4)
内骨格系である人では、麻痺などによって筋張力が生まれなくなると、柔軟すぎる内骨格を支えながら運動をすることが困難になる。そこで体幹や患側上下肢の筋緊張を部分的あるいは全体的に高め、硬くすることで、まるで甲殻類のように動きのなくなった体幹や下肢で支持を行うようになる。
こうすることで重心の移動範囲や運動範囲は狭まり、コントロールするべき要素も量も減ってくるので、たとえば歩くという課題達成が容易になってくるのである。僕はこれを「外骨格系運動方略」と呼んでいる。1)
つまり身体が硬くなったのは、脳性運動障害の直接の症状ではない。脳性運動障害の直接の症状は麻痺による低緊張なのだが、それでは動くことができないため、二次的に身体を硬くするという運動スキルを用いて、新たに運動課題を達成しようとしている、と理解している。外骨格系運動方略は脳性運動障害者がごく一般的に採用し、それなりに有効な運動スキルなのである。
ただし、時にはこの外骨格系運動方略が「貧弱な解決」に陥っている可能性もある。
本来は運動課題を達成するために、出来るだけたくさんの運動余力(運動リソースと運動スキル)を身につけることによって、より多彩な運動解決の方略をとることが人の運動システムの特性だ。しかし何らかの原因(脳の傷害や末梢性神経麻痺、廃用による筋力低下など)で運動余力が失われた場合、人は残った運動リソースと運動スキルをなんとか利用して少ない、あるいはたった一つのやり方で課題を達成しようとする。
実際、それなりに効果を上げているのだが、それがいつまでも不安定でぎこちなくエネルギー効率が悪いなどの問題を側面に抱えてしまう。それでも他に選択肢が見つからない場合、ひたすらそれを繰り返し強めてしまう。つまり「常にそれしか選択肢がなく、繰り返しては強められる」という場合、それを「貧弱な解決」と呼ぶ。
脳卒中などの脳性運動障害ではこの貧弱な解決は、傷害直後に起きやすい。病気などで変化してしまった未知の身体をなんとか動かし、試行錯誤を繰り返しながらなんとか辿り着いたのが外骨格系運動方略や反張膝だったりする。
目の前の課題(立つとか歩くとか)の課題達成が最優先されるため、手っ取り早く利用出来る運動方略が選ばれやすい。そして「貧弱な解決」は、最初にうまくいったからという理由で、単に繰り返されるばかりか、ますます強められる傾向がある。
実は元々使われていない運動余力があるかもしれない。また立位・歩行を続けるうちに患側下肢や体幹部の筋力等の運動余力が改善し、他の運動方略を選択する可能性が生まれたかもしれない。
しかし「貧弱な解決」が繰り返されるためにそれらの可能性に気がつかない場合もある。この気づかれていないあるいは使われていない運動余力を「隠れた運動余力」と呼んでいる。実際気づかれるまでは、ないのと同じなのである。
もう一つ、「偽解決」という解決手段を取ってしまう方もいる。外骨格系運動方略は何とか課題達成のために身体を硬くするのだが、逆に過剰に硬くなりすぎて動けなくなるケースが見られる。課題達成のために採用した運動方略が逆に課題達成を妨げてしまう。
また動けないだけではなく、それが変形や痛みを強め、それが元で緊張が高まって更に硬くなってしまうなどと状況を悪くするような悪循環に入ってしまうような解決法を「偽解決」と呼ぶ。
「貧弱な解決」は決まり切った方法ではあるが何とか課題達成を行うことができる。ただしその場合は、新しい運動スキルも発達せず、「停滞」という循環に入ってしまう。「偽解決」は課題達成ができないだけではなく、それによってますます状況が悪くなるような「悪循環」の状態に入ってしまう。
このように人は課題達成者であるが故に、自律的に問題解決を図り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」に陥ってしまう。貧弱な解決による停滞の循環や偽解決による悪循環のような袋小路に入ってしまうと、クライエント一人ではそこから抜け出すことができない。こんな時に必要なのがセラピストの適切な手助けである。
運動余力の豊富化と様々な状況での課題達成経験を通じて、「隠れた運動余力」を発見し、貧弱な解決や偽解決の循環から抜け出せるよう手助けをする必要がある。
この特性を基にしたルールは次のようになる。
「クライエントの置かれた状況を理解し、隠れた運動余力を探り出し、停滞や悪循環の状況からクライエントを救い出すのはセラピストの重要な役割」
④運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい。
この作動特性は上田法での臨床経験を引用して説明してみよう。
上田法は、脳性運動障害に対する過緊張を低下させ、柔軟性を改善・維持するための有効な徒手手技である。
上田法はそれまで行っていた過緊張状態にある筋のストレッチを止め、むしろ短縮させて3分間保持するというやり方によって、それまでよりは過緊張を持続的に強力に低下させるようになった。未だにその明白なメカニズムは説明されていない。
上田法によって持続的に柔軟性が改善・維持されるようになるといくつかの新しい状態が見られるようになる。
まずその一つが図1のような状態である。
これは、「上田法によって過緊張を落とす」→「これまで見られなかった新しい(よりしなやかだったり、逆により不安定だったりする)運動の出現」→「その運動の自発的繰り返し」→「前の過緊張状態に戻らず、新しい緊張分布と新しい運動の安定した発現」のような経過である。
これまで見られなかった新しい運動には様々な状態があり、「よりしなやか」だったり、逆に「より不安定」だったりする。クライエントからも「動きやすくなった」と言われる場合もあれば「なんだか動き難くなった」と言われる場合もあり、様々である。
ただし不安定な場合でもこの歩行を繰り返すと次第に最初よりは、安定した歩行に落ち着いてくることが多い。
またこの新しい運動が落ち着いてくると、今度はここでその状態が安定する。たとえば病気などで安静を長く続けるなどの問題がなければ、前の状態に戻ることなく安定する。つまり上田法実施前の状態から比べると持続的な改善を起こしたことになる。
上田法をきっかけに、継続的な変化を示す方達は、普段から実用的な移動レベルにある方が多いように思う。つまり普段は身体を硬くして外骨格系運動方略などを使っており運動範囲が小さくなるため、実は元々持っている「隠れた運動余力」が使われていない。
また上田法実施後に不安定に見える方は、使っていた外骨格系の運動方略が上田法によって消失あるいは低下してしまうので、逆に不安定になられるのだと思う。
上田法による柔軟性改善で運動範囲が拡大し、重心移動範囲や運動範囲も広がるので、それに連れて活性化する筋の数や範囲も広がってくる。今まで使われなかったような筋活動も現れ、新しい運動スキルも使われるようになる。つまり今まで使われていなかった隠れた運動余力が使われ始める。それによって自発的に新しい運動が繰り返し使われ、その運動スキルが熟練し、安定していった可能性が高い。
元々動いておられる方なので、自分で筋の活性化の継続や柔軟性を維持される。それで上田法実施前の硬い身体の状態には戻られないというわけだ。
二つ目の状態は、図2のような状態で、「過緊張を落とす」→「上田法実施直後には、これまで見られなかった新しい(観察者の)目に見えるような運動の出現」→「少しの時間経過で元の過緊張状態に戻り、新しく現れた運動も消える」のような状態である。
この場合、図1の時と同じように上田法実施後に一旦は身体各部位の過緊張は低下し、これまで見られなかった観察者の目に容易に見えるような運動が見られるのだが、しばらく後あるいは時間経過によってその運動は消え、すっかり元の状態に戻ってしまう。そしてこの「一時的な変化と元に戻る」を上田法実施毎に繰り返すのみで、図1で見られたような継続的な変化には至らない。
これはもちろん図1の方に比べて、元々の身体能力が低いために、自分で継続的に動くのにより努力を要する、あるいは動くことに苦労する方達だからである。また隠れた運動余力も低く、一旦出現した新しい運動も全体の変化を起こせない。
普段から運動量も少ない。新しい運動が出るとは言っても非常に困難だったりして、自律的に繰り返すことが容易ではない。移動運動は訓練場面でセラピストの介助や環境設定の元で実施されている場合が多い。
三つ目は図3の状態で、過緊張は低下するものの目立つ新たな運動の出現は見られない。また少しの時間経過と共に元の過緊張の状態に戻ってしまう。
このように「過緊張は低下」しても「新しい運動」は見られないケースでは、大抵は比較的重度の麻痺の方で寝たきりの方が多い。過緊張が低下して運動範囲が広がったからといって、元々筋張力を生み出す能力が低いので新しい運動自体が出てこないのだろう。
もちろん目に見える大きな運動変化が現れないと言うだけで、実際には呼吸が深くゆったりする、身体が緩んで苦痛の表情が緩んでくるなど、慣れた観察者ならば気づかれるような小さな運動変化は見られる。そういった意味では新しい運動は現れていて、これまた時間経過と共に消えていくという状態変化だけを見れば図2の方達と同じである。
さて上田法施行によって3つの状態が見られたわけだが、これを図4に表してみた。
図中のA~Cは以下のような状態を表している。
Aは「過緊張が低下して新しい運動が現れ、これが新たな状態として安定した。また歩行や移動は実用レベルの方が多い」
Bは「過緊張が低下して新しい運動が現れたが、比較的短時間に新しい運動は消え、過緊張も元の状態に戻った。移動は訓練レベルの方が多い」
Cは「過緊張は低下したが、新しい目立つ運動は現れず、比較的短時間に元の過緊張の状態に戻った。重度で寝たきりの方が多い」
この図では、縦軸に身体リソース、横軸に環境リソースが取ってある。
この中ではAの方達は図のような分布を持っている可能性が高い。つまり身体リソースが高ければ環境リソースは低くても自分でかなり動けるか、逆に少し身体能力は低くても環境リソース(たとえば手すりがあるとか装具を作ったとか)が多いと新しく出現した運動が自発的に維持できるということである。
Bの方達は、運動余力が低いあるいはより低くてもそれなりに環境リソースがあるために新しい運動が出現する。たとえば環境リソースとして訓練室で平行棒を使い、セラピストが介助したりしてより沢山の環境リソースが揃っていれば、新しい運動が現れるといった状態である。
Cの方達は、重度の麻痺で身体リソースも環境リソースも貧弱であるので、新しい運動は目立たない呼吸や表情に出てくるというわけだ。
さてBやCの方達の運動変化が少しでも継続できるように考えてみよう。私たちの仕事では、現れた新しい運動がなんとか継続して、より好ましい状況がなんとか長続きすることを期待されるからである。
当然身体リソースのアップは、Bの方にはある程度期待できるもののCの方には余り期待できない。(図の上向きの矢印)
しかしBやCの方でも、環境リソースの工夫ではかなりなんとかできる可能性もある。たとえば重度四肢麻痺の方でも、頭部はなんとか自由に動かせる方である。こんな方には顎で操作するコントローラをつけた電動車椅子という環境リソースが良いかもしれない。頭部の動きは練習を積み重ねるにつれて次第に移動のスキルへと変化していく。そしてこの新しく出現した運動は、電動車椅子やそれに乗せてくれる介助者などの沢山の環境リソースの維持によって継続される可能性が高くなる。
つまり麻痺や障害が重度になればなるほど環境リソースの果たす役割は大きくなる。これはまあ、みんな知っていることではあるが。
もちろん実際には身体リソースの豊富な方達にも環境リソースは重要である。退職後、意欲を失ってテレビばかり見ているお父さんがいる。元々仕事一筋の人で、近所には知り合いもいない。仕事をしていたときは、通勤はできるだけ歩いていたし、階段も意識して使っていた。しかし退職後はなにかしら張り合いのようなものを失ってしまった。そしてテレビの前で過ごすようになり、いつの間にか足腰は弱り、少し歩くと両方の膝が痛み出す始末。痛いのでますます動かなくなった・・・こんな方達にも環境リソースは必要である。
つまり継続的な変化をする人と一時的な変化しかしない人との違いの一つは、身体リソースと環境リソースのバランスにありそうだ。作動作成型治療方略では、ある人が活動するためのより良い条件を揃えた環境を「活動的環境」と呼ぶ。それは行為者が活動することに意味や価値を見いだし、実際に活動を達成するための環境リソースが豊富である環境である。
少し話が前後するが、この活動的環境を整えることは先の身体リソースを豊富にするのと同様、「運動余力を豊富」にするための方法の一つである。ただこのことを詳しく書きくと、紙数がとても足りないのでここではこれで止めておく。また次の機会にでも。
さて一時的な運動変化をより継続的な変化にするためのもう一つの作動特性(これがこの節のメインテーマ(^^;)なのだが・・)が次に挙げるものである。図5を見ていただきたい。
図5では、上田法によって人の運動システムを構成する要素の中で、柔軟性という身体リソースの一つだけを変化させている。これだと様々な要素が相互作用する中で、折角の柔軟性の変化も消耗され、消失してしまう。
だが、図6のようにしたらどうだろう?図6では一度に3つの要素を変化させている。こうすると他の構成要素との相互作用の中で、むしろそれまでの要素間の関係性を変化させてしまう可能性も高くなる。
柔軟性改善のような単一の要素変化は、他の要素(筋力など)が乏しいと、「自発的に動き出す」、「新しい運動が繰り返される」、あるいは「運動量が増加する」といった全体の状況変化を起こせない。つまり元々の運動余力が小さければ、柔軟性を改善しても、不安定な運動が短時間出現するだけだったりする。結局その単一運動リソース変化は他の変化しない要素群の中で、消耗され、消失してしまう。
逆に隠れた運動余力が豊富だと、柔軟性のような単一の要素変化でも自律的な全体の状況変化を起こすきっかけとなる。柔軟性の改善は、重心移動範囲を広げ運動範囲を広げ、使われなかった筋の活性化を導き、クライエントにとって意味のある運動を生み出す。こうして単一の要素変化はより継続した全体的な変化を生み出す。
このような作動特性を「運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい」と簡単にまとめておこう。
そしてこれを基にしたルールは、「セラピストは一つの要素だけではなく多くの要素とその関係性にも常に同時にアプローチして、システム全体の状況変化を起こしやすくするよう心がけなさい」ということ。各要素の変化は少しずつでも、たくさんの要素が変化するなら全体としては新しい状況変化も起こりうる。もし継続的な運動変化・状況変化を起こす可能性があるなら、単一の要素より沢山の要素変化を起こした方が良い。
たとえば定期的な腰痛を訴えられ、上田法を行うと比較的腰痛が軽くなる方がいる。しかししばらくすると元に戻ってしまう。一方座位で腹筋などを行うと、やはり腰痛は軽くなるが、しばらくすると元に戻ってしまう。そこで上田法で柔軟性を改善し、すぐに座位での腹筋運動、臥位での腹筋・背筋運動や寝返り運動を行うと、かなり長期的に腰痛が消えてしまうことがある。一つ一つの要素の変化は、時間の経過と共に消えてしまうが、いくつかの要素変化を同時に起こすと要素間の関係も変化して、より安定した新しい状態に落ち着くのではないかと考えられる。
こう考えると上田法を実施後、自発的な運動が繰り返され、新しい運動状態が安定されるような方は、上田法実施だけで良いと思う。が上田法によって起こされた変化が短時間で消えてしまうようなら、いくつかの運動課題を同時に行ってより多くの筋群を活性化したり、新しい環境リソースを加えたりとたくさんの要素と要素間の関係を同時に変化させるよう試みることを勧める。
作動特性型ではセラピストは常にクライエントの運動余力の豊富化を目指すので、麻痺が重度で運動余力が貧弱な方については、セラピスト自らがリソースとなり介助なり環境リソースの工夫なりで、クライエントが常に新しい運動を出現させたり、それを繰り返したりするよう配慮することが大事である。
もちろん結果として、最大限努力して活動的環境を含む多要素に同時にアプローチしたとしても一時的な状態変化のみで継続的な状態変化は生まれないかもしれない。が、運動余力の維持という点で見ればそれでも訓練効果を生んでいる。派手な運動パフォーマンスのアップはないかもしれない。しかし過緊張が落ちて、ストレッチやより大きな呼吸運動を定期的に繰り返すことで、動かない場合に起きる廃用性の柔軟性や筋力の低下を予防しているのだから。つまりその方にとっては訓練を前提に、「良い状態、つまり良循環の安定」を作り出しているからだ。
ともかくどんな結果に終わろうと、実現できない理想を追って現実逃避するよりも、「今、この場でできる限りのことをする」ことが私たちにできること、するべきことに違いないだろう。
さて作動作成型治療方略で使われる運動システムの作動の4つの特徴とそれから得られる治療方略上のルール、キーワードのまとめである。
作動特性型治療方略上のルールその1 keyword: 「運動余力を豊富に!」
「運動余力が豊富になれば、状況変化に対する適応力が高まる。それでともかくできる限り運動余力を豊富にすること」
(作動特性:人の運動システムは豊富な運動余力を持っているため、状況変化に応じて無限に運動の形を変えて機能を維持しようとする)
作動特性型治療方略上のルールその2 keyword: 「自律的運動変化を待て!」
「セラピスト側が運動を指示・管理するべきではない。セラピスト側は運動余力の豊富化に力を注ぐのみ。運動余力の豊富化によってクライエントの課題達成の選択肢が増えれば、運動状態の変化や運動のやり方は自律的に変化する」
(作動特性:人の運動システムは、自律的に課題達成を図る。あるいは課題達成のために自律的に問題解決を試みる)
作動特性型治療方略上のルールその3 keyword: 「隠れた運動余力を探せ!」
「クライエントの置かれた状況を理解し、隠れた運動余力を探り出し、停滞や悪循環の状況からクライエントを救い出すのはセラピストの重要な役割」
(作動特性:人は生まれながらの自律的な運動問題解決者ではあるが、貧弱な手持ちの運動リソースと運動スキルを総動員して何とか課題を達成しようとする余り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」の袋小路に入り込んでしまうことがある)
作動特性型治療方略上のルールその4 keyword: 「多要素同時アプローチ!」
「セラピストは一つの要素だけではなく多くの要素とその関係性にも常に同時にアプローチして、システム全体の状況変化を起こしやすくするよう心がけなさい」
(作動特性:運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい)
さて次の章では、ここで取り上げた「人の運動システムの作動特性」を基に、もう一度作動特性型治療方略を考えてみよう。
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.25 No.1, p4-37, 2014) ”
これは上田法治療ジャーナルに載せた最後のエッセイになります。
これを機にこれを機に
これを機に僕は本格的にCAMRの活動を開始しました。(実際にこれを書いたのは2012年から2013年にかけてでした)思い出深い一本となりました(^^)
③作動特性型治療方略
作動特性型治療方略は、システム論の立場から人の運動システムを観察し、その作動上の特性を基に治療方略を組み立てるものである。
実際には「試行錯誤型治療方略」と同様に、「できる状況変化を起こすので原因追及は不要」、「いま、この場で何が起きているか?」と問い「今この場でできるところから始める」など、試行錯誤型治療方略と共通点がある。
違いは運動システムの作動特性を基に、何を観察し何を理解するかが明白になっている。また目標や実施の判断基準も明確になっており、闇雲に試行錯誤を行わないというところが大きな違いである。つまり試行錯誤するまでもなく、最初から状況変化の方向性やなすべきことがまとめられており、戦略を立てるときの「兵法書」のようなもの、と考えると分かりやすい。
試行錯誤型治療方略はその過程のほとんどが個人の経験やセンスに委ねられているが、作動特性型治療方略は知識の体系としてまとめられており、経験やセンスに関係なく、誰でも学ぶことができ、ある程度の効果を出すこともできる。(もちろん経験はどこまでも重要な要素ではあるが)
それでシステム論から見た人の運動システムの特性にはどのようなものがあって、何を観察し、それを基にどのような訓練実施のルールが導き出されるかが重要である。
現在僕は人の運動システムの作動上の特性を8-10個ほど想定している。(まだうまくまとまっていないところもあって特性の数ははっきり定まっていない)そしてそれらの特性を基に、実施上のルールを決め、そのルールに基づいて治療を組み立てることになる。
すべての特性についての詳細な説明は紙面の都合上不可能なので、次の章ではそのうち4つの特性を説明し、その特性を基にした治療上のルールを説明してみたい。
その後でもう一度、作動特性型治療方略の説明をするつもりである。
3.人の運動システムの作動上の特性
ではシステム論によって理解される運動システムの作動の特徴をまとめてみよう。
①人の運動システムは豊富な運動余力を持っているため、状況変化に応じて無限に運動の形を変えて機能を維持しようとする
この作動特性は歩行を考えてみれば容易に理解できる。たとえば暖かい室内、寒い屋外、でこぼこ道、坂道、泥田、砂浜など人は様々な状況の中で歩行の形を変えて歩行という機能を維持する。つまり人の運動システムは無限に運動の形を生み出し、その時その場の状況にもっともふさわしい運動の形を生み出して機能を維持していることになる。
どうしてそんなことが可能かというと、人の運動システムは非常に豊富な運動余力を持っているからである。運動余力とはまさしく状況に応じて無限の運動を生み出し機能を維持する能力である。
一方、障害があると運動余力は貧弱になってくる。そうすると状況に応じて生み出される運動の形は少なくなってくる。つまり状況が変化しても、それに応じて形を変化させることができなくなる。平らな室内は歩けても、アスファルト面では足底が引っかかって、危なくて歩けないなどということになる。脳性運動障害者の運動が「定型的」と言われるのはこのような運動余力の低下によるものである。
つまり運動余力が豊富になれば、状況変化に対する適応力が高まる。この作動特性から生まれてくる治療方略の最初のルールは、「いつでもできる限り運動余力を増やすこと」である。これはどのような疾患・障害であれ、どのような状況であれ、第一の目標になる。
運動余力をどうやって増やすか?まず運動余力のことを理解してみよう。運動余力は運動リソースと運動スキルの2つの視点から理解することができる。
運動リソースとは、課題達成のための運動を生み出すために使われる資源のことである。運動リソースには人が持つ身体リソースと環境内にある環境リソースがある。
身体リソースは運動を生み出すための身体そのものや身体の持つ性質や機能(柔軟性・筋力・持久力・痛みなどの感覚・認知など)のことである。
環境リソースは、運動の産出に影響を与える環境内にある資源のことである。たとえば人は立って歩くとき床や大地を利用する。水田では泥水が人の歩行を作り出す。凍った道路ではその路面が、砂浜では砂が、岩山では様々な傾きや形、滑りやすさの岩が人の歩行の形を生み出す。
明るさや暗さ、温度や風なども歩く人の歩行の形を生み出す。
家の中では床や畳が、急な階段が、側に立つ壁や家具類が歩行の形を作り出す。
足に痛みがあって、杖をつく人はその杖が、腰痛があってコルセットをしている人ではそのコルセットが痛みと共にその歩行の形を生み出す。
犬を連れて散歩するとき、あるいは熊と出くわしたときはそれらの動物が歩行の形を生み出している。
あなたが葬儀に参加するとき、あるいはパレードの後についていくときも歩き方はそれらの状況に規定される。社会的な価値観や文化、情報なども歩行を生み出すときの環境リソースとして使われていると考えることができる。
運動スキルとは「課題達成のための運動リソースの使い方」のことである。
運動リソースが豊富になれば運動スキルも多彩になり、状況変化に対応する力も高くなってくる。つまり柔軟性や全身の筋力が豊富であれば、ここからあそこまで行くスキルは、普通に歩く、後ろ向きに歩く、横向きに歩く、走る、両脚交互に跳んで、ケンケン、両脚ジャンプ、横向きにジャンプ、寝返りで、這って、いざって、側転しながら・・・・などと移動に関する無限の運動スキルを生み出すことができる。この中からその状況にあった適当な運動スキルを選べば良い。たとえば有刺鉄線が低い位置に張り巡らされている場合は「這って」進めとなる。
リソースが豊富であれば、スキルは多彩になるということがわかる。また逆に運動スキルが多彩になれば運動リソースも増えてくる。
たとえば鉄鉱石を考えて見よう。鉄鉱石は紛れもなく鉄を作るためのリソースであるが、もし鉄を作る知識も技術もなければ、それはただの石に過ぎなくなる。同様に松葉杖は痛みのある方の歩行には有効なリソースだが、まったく初めて見た方にとってそれはリソースとは映らないであろう。しかし他の人が松葉杖を使ったり、セラピストから指導されたりして使っているうちに、松葉杖はリソースとして認識される。そしてその使い方、つまり運動スキルを発達させ始めるに従って、松葉杖は運動リソースになる。
こうしてみると「リソース」は運動スキルによって「運動リソース」になるのである。そして豊富な運動リソースを持つことによって多彩な運動スキルを発達させる。あるいは運動スキルの多彩さが運動リソースを豊富にする。運動リソースと運動スキルはコインの裏表のようなものだ。運動余力というコインを運動リソースと運動スキルという両面から見ることができる。
つまり「運動リソースが豊富になり、運動スキルが多彩になるということ」が「運動余力が豊富になる」ということだ。もっと簡単に言えば、沢山のリソースを様々な状況の中で、種々の課題達成のためにいろいろと使う経験を重ねることによって、運動リソースは豊かになり運動スキルは多彩になる。
たとえば上田法で柔軟性というリソースを改善する。そしてクライエント自身が改善した柔軟性を利用し始める。改善した柔軟性はそれまでより新しい運動スキルを生み出し始めるし、新しい運動スキルによって、柔軟性というリソースは運動リソースになる。運動余力が豊富になるということは、運動リソースの豊富化と同時に運動スキルの多彩化によって初めて成り立つのである。
(運動リソースのうち、環境リソースの増大についてはその範囲が広範で分かりづらい。後の節に「活動的環境」という名前で簡単にまとめている)
この観点から伝統的な筋トレのやり方をみると無駄が多いように思える。たとえば、あるクライエントが歩行不安定で、その原因が下肢筋力の低下とする。そうすると下肢筋力を鍛えれば良いとなるので、それなら座位で下腿を持ち上げても良いだろうと思える。
しかし運動リソースと運動スキルという視点から見ると、座位で鍛えた場合と立位で鍛えた場合では同じ四頭筋強化でも、運動スキルがまったく異なっていることになる。座位では下腿を持ち上げるという運動スキルだが、歩行では重心を保持しながら体重支持をするという運動スキルなのである。
残念ながら座位で下肢筋を鍛えたからと言って歩行ですぐに役立つわけではない。従来から言っている「筋力強化における特異性」とはこのことを言っているのである。
作動特性型治療方略で言うところの筋トレとは、筋繊維を太くし筋張力を増大すること(運動リソースの増大)と「課題達成のため」のその筋の使い方(運動スキル)を同時に身につけることであり、そのような「運動課題を実施」することである。
さてセラピストが介助して「正しい運動の形を学習してもらう」というアブローチを考えてみよう。クライエントが自分独りでできない場合、セラピストが介助を行う。クライエントから見ればセラピストはリソースであり、「セラピストというリソースを使っての課題を達成するための運動スキルを身につけている」ということになる。決して脳には、一人で行う正常な運動の形が学習されているわけではない。だからセラピストが離れた途端、元の運動しかできないということに不思議はない。
では筋力の弱いクライエントを介助して立っていただくというもう一つの介助を考えてみよう。「立つ」という課題に対して下肢筋力の増強とそれらを使ってどう立つかという運動スキルの両方を身につける必要がある。だが筋力が不足すると「立つ」という課題そのもの、つまり運動スキルが経験できない。
そこで「介助して立つ」という課題に切り替える。セラピストがリソースとしてクライエントに利用してもらいながら課題達成を行う。セラピストは同時に筋力が増加するにつれて介助量を減少していくという治療方略を自分に課していく。セラピストは常に状況を探りながら、最小限の介助を行うか、逆に多めの介助を行うなら、起立回数という課題の量を増やしていく。こうして運動余力の増加を見ながら「一人で立つ」という運動課題、そして「どのような状況でも一人で立ち上がる」という課題へ移行する。
前者の介助は、「同じ運動の形を繰り返せば、その形の発現のための運動プログラムが脳内に形成される」と期待しているわけだが、先に述べたように「セラピストを利用するプログラム」を作っているだけである。もしこの過程に運動余力豊富化の過程が含まれない以上は、なんの効果も上げないことになる。
だが「運動余力の豊富化」と「常に課題達成すること」を目的に、課題達成のために工夫する介助技術は、運動余力を豊富にするための有効な治療技術となる。従来の臨床場面でも、身体介助は時には有効な治療技術だったはずだ。
作動特性型治療方略では身体介助の技術を課題設定のやり方や目標によって体系化し、誰もが学習し、利用できる強力な治療技術として改めて利用する。
②人の運動システムは、自律的に課題達成を図る。あるいは課題達成のために自律的に問題解決を試みる
人は「オギャッ」と生まれて以来、誰から学ぶことなく乳を吸い、動き始め、歩くようになる。生まれながらになんとか課題を達成する存在である。
また課題達成に問題が起きると、なんとかその問題を解決して課題を達成しようとする。脳卒中で片麻痺になり、それまで思い通りに動いていた身体が未知の身体になってしまう。思うように動けない。それでもなんとか力の入らない脚で身体を支え、独自の歩き方を身につけていく。
もちろん生まれながらの麻痺が重いと使える身体リソースも少ないので課題は必ずしも達成できない。脳卒中後の麻痺が重ければ同様に問題を解決できない。それでも、その置かれた状況でなんとか課題達成しようとし、問題解決を試みようとするのが人の運動システムの特徴である。
この作動特性から生まれてくる治療方略上のルールは、「セラピスト側が運動を指示・管理するべきではない。セラピスト側は運動余力の豊富化に力を注ぐのみ。運動余力の豊富化によってクライエントの課題達成の選択肢が増えれば、運動状態の変化や運動のやり方は自律的に変化する」だ。
このルールは、次のような誤解を生みやすい。「訓練室で筋トレをして、柔軟性訓練をして後は放っておけと言うことか?」いや、もちろんそうではない。先にも述べたとおり、柔軟性は改善して放っておいては、リソースとは言えても運動リソースにはならない。筋トレは最初から適切な運動課題を通して初めて運動余力の豊富化に繋がる。運動余力豊富化の過程には常にセラピストの専門家としての目が必要なのである。
ここで言っている「セラピストが管理しない」のは「課題達成の方法をセラピストが決定しない、限定しない」ということだ。たとえば反張膝で歩かれるクライエント。「反張膝は健常者には見られない異常な歩行の形だからやってはいけない」と安易に禁止しないことだ。それはそれで歩行を達成するための立派な運動スキルである。
だからセラピストが「反張膝歩行を矯正する」ことを目標に訓練を行う必要はない。先に述べたようにセラピストは第一の目標である「運動余力の豊富化」を行う。その結果、患側下肢の半伸展位での支持性が改善し、それを使った運動スキルがクライエントに都合が良くなればその歩行スキルが選ばれる。つまり条件が揃い、選択肢が増えれば自然にその状況で一番適切なものが選ばれるようになる。
また患側下肢の半伸展位での歩行が十分に可能になったとする。しかし場面や状況によっては反張膝歩行のスキルも見られる。だからといってセラピストが「半伸展位での歩行ができるのだから、反張膝歩行は止めてください」ということはできない。不安定な場所や疲労してきたときには、反張膝歩行のスキルもまた必要になるのである。「そこはクライエントに任せましょう」ということだ。(ただこの部分はこの少ない紙数ではどうしても語り尽くせない。ここではこれくらいに留めておきたいと思う)
結論を述べるとセラピストのできることは、できる限り豊富な運動リソースと運動スキルを身につけていただくということ。つまりクライエントの課題達成の方法を指示・管理するのではなく、クライエントの運動課題達成の選択肢を増やすことである。そして実際にどのように課題達成するかは、クライエント自身に選択していただこう、ということだ。
③人は生まれながらの自律的な運動問題解決者ではあるが、貧弱な手持ちの運動リソースと運動スキルを総動員して何とか課題を達成しようとする余り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」の袋小路に入り込んでしまうことがある。
内骨格系である人の運動システムでは、柔軟で無限の動きをする骨・関節を常に筋緊張をコントロールして、状況に応じて支持性と運動性の両方を瞬時に切り替えながら調整しなければならない。
一方外骨格系の甲殻類(カニや昆虫など)では、支持性は外骨格によって生まれるので関節の運動さえコントロールすれば良いことになる。結果、内骨格系の動物は複雑な運動コントロールのために脳を発達させ、しなやかで無限の運動を生みだし環境変化に適応するようになる。対して甲殻類は、脳は発達せず、反射的な行動を繰り返す。4)
内骨格系である人では、麻痺などによって筋張力が生まれなくなると、柔軟すぎる内骨格を支えながら運動をすることが困難になる。そこで体幹や患側上下肢の筋緊張を部分的あるいは全体的に高め、硬くすることで、まるで甲殻類のように動きのなくなった体幹や下肢で支持を行うようになる。
こうすることで重心の移動範囲や運動範囲は狭まり、コントロールするべき要素も量も減ってくるので、たとえば歩くという課題達成が容易になってくるのである。僕はこれを「外骨格系運動方略」と呼んでいる。1)
つまり身体が硬くなったのは、脳性運動障害の直接の症状ではない。脳性運動障害の直接の症状は麻痺による低緊張なのだが、それでは動くことができないため、二次的に身体を硬くするという運動スキルを用いて、新たに運動課題を達成しようとしている、と理解している。外骨格系運動方略は脳性運動障害者がごく一般的に採用し、それなりに有効な運動スキルなのである。
ただし、時にはこの外骨格系運動方略が「貧弱な解決」に陥っている可能性もある。
本来は運動課題を達成するために、出来るだけたくさんの運動余力(運動リソースと運動スキル)を身につけることによって、より多彩な運動解決の方略をとることが人の運動システムの特性だ。しかし何らかの原因(脳の傷害や末梢性神経麻痺、廃用による筋力低下など)で運動余力が失われた場合、人は残った運動リソースと運動スキルをなんとか利用して少ない、あるいはたった一つのやり方で課題を達成しようとする。
実際、それなりに効果を上げているのだが、それがいつまでも不安定でぎこちなくエネルギー効率が悪いなどの問題を側面に抱えてしまう。それでも他に選択肢が見つからない場合、ひたすらそれを繰り返し強めてしまう。つまり「常にそれしか選択肢がなく、繰り返しては強められる」という場合、それを「貧弱な解決」と呼ぶ。
脳卒中などの脳性運動障害ではこの貧弱な解決は、傷害直後に起きやすい。病気などで変化してしまった未知の身体をなんとか動かし、試行錯誤を繰り返しながらなんとか辿り着いたのが外骨格系運動方略や反張膝だったりする。
目の前の課題(立つとか歩くとか)の課題達成が最優先されるため、手っ取り早く利用出来る運動方略が選ばれやすい。そして「貧弱な解決」は、最初にうまくいったからという理由で、単に繰り返されるばかりか、ますます強められる傾向がある。
実は元々使われていない運動余力があるかもしれない。また立位・歩行を続けるうちに患側下肢や体幹部の筋力等の運動余力が改善し、他の運動方略を選択する可能性が生まれたかもしれない。
しかし「貧弱な解決」が繰り返されるためにそれらの可能性に気がつかない場合もある。この気づかれていないあるいは使われていない運動余力を「隠れた運動余力」と呼んでいる。実際気づかれるまでは、ないのと同じなのである。
もう一つ、「偽解決」という解決手段を取ってしまう方もいる。外骨格系運動方略は何とか課題達成のために身体を硬くするのだが、逆に過剰に硬くなりすぎて動けなくなるケースが見られる。課題達成のために採用した運動方略が逆に課題達成を妨げてしまう。
また動けないだけではなく、それが変形や痛みを強め、それが元で緊張が高まって更に硬くなってしまうなどと状況を悪くするような悪循環に入ってしまうような解決法を「偽解決」と呼ぶ。
「貧弱な解決」は決まり切った方法ではあるが何とか課題達成を行うことができる。ただしその場合は、新しい運動スキルも発達せず、「停滞」という循環に入ってしまう。「偽解決」は課題達成ができないだけではなく、それによってますます状況が悪くなるような「悪循環」の状態に入ってしまう。
このように人は課題達成者であるが故に、自律的に問題解決を図り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」に陥ってしまう。貧弱な解決による停滞の循環や偽解決による悪循環のような袋小路に入ってしまうと、クライエント一人ではそこから抜け出すことができない。こんな時に必要なのがセラピストの適切な手助けである。
運動余力の豊富化と様々な状況での課題達成経験を通じて、「隠れた運動余力」を発見し、貧弱な解決や偽解決の循環から抜け出せるよう手助けをする必要がある。
この特性を基にしたルールは次のようになる。
「クライエントの置かれた状況を理解し、隠れた運動余力を探り出し、停滞や悪循環の状況からクライエントを救い出すのはセラピストの重要な役割」
④運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい。
この作動特性は上田法での臨床経験を引用して説明してみよう。
上田法は、脳性運動障害に対する過緊張を低下させ、柔軟性を改善・維持するための有効な徒手手技である。
上田法はそれまで行っていた過緊張状態にある筋のストレッチを止め、むしろ短縮させて3分間保持するというやり方によって、それまでよりは過緊張を持続的に強力に低下させるようになった。未だにその明白なメカニズムは説明されていない。
上田法によって持続的に柔軟性が改善・維持されるようになるといくつかの新しい状態が見られるようになる。
まずその一つが図1のような状態である。
これは、「上田法によって過緊張を落とす」→「これまで見られなかった新しい(よりしなやかだったり、逆により不安定だったりする)運動の出現」→「その運動の自発的繰り返し」→「前の過緊張状態に戻らず、新しい緊張分布と新しい運動の安定した発現」のような経過である。
これまで見られなかった新しい運動には様々な状態があり、「よりしなやか」だったり、逆に「より不安定」だったりする。クライエントからも「動きやすくなった」と言われる場合もあれば「なんだか動き難くなった」と言われる場合もあり、様々である。
ただし不安定な場合でもこの歩行を繰り返すと次第に最初よりは、安定した歩行に落ち着いてくることが多い。
またこの新しい運動が落ち着いてくると、今度はここでその状態が安定する。たとえば病気などで安静を長く続けるなどの問題がなければ、前の状態に戻ることなく安定する。つまり上田法実施前の状態から比べると持続的な改善を起こしたことになる。
上田法をきっかけに、継続的な変化を示す方達は、普段から実用的な移動レベルにある方が多いように思う。つまり普段は身体を硬くして外骨格系運動方略などを使っており運動範囲が小さくなるため、実は元々持っている「隠れた運動余力」が使われていない。
また上田法実施後に不安定に見える方は、使っていた外骨格系の運動方略が上田法によって消失あるいは低下してしまうので、逆に不安定になられるのだと思う。
上田法による柔軟性改善で運動範囲が拡大し、重心移動範囲や運動範囲も広がるので、それに連れて活性化する筋の数や範囲も広がってくる。今まで使われなかったような筋活動も現れ、新しい運動スキルも使われるようになる。つまり今まで使われていなかった隠れた運動余力が使われ始める。それによって自発的に新しい運動が繰り返し使われ、その運動スキルが熟練し、安定していった可能性が高い。
元々動いておられる方なので、自分で筋の活性化の継続や柔軟性を維持される。それで上田法実施前の硬い身体の状態には戻られないというわけだ。
二つ目の状態は、図2のような状態で、「過緊張を落とす」→「上田法実施直後には、これまで見られなかった新しい(観察者の)目に見えるような運動の出現」→「少しの時間経過で元の過緊張状態に戻り、新しく現れた運動も消える」のような状態である。
この場合、図1の時と同じように上田法実施後に一旦は身体各部位の過緊張は低下し、これまで見られなかった観察者の目に容易に見えるような運動が見られるのだが、しばらく後あるいは時間経過によってその運動は消え、すっかり元の状態に戻ってしまう。そしてこの「一時的な変化と元に戻る」を上田法実施毎に繰り返すのみで、図1で見られたような継続的な変化には至らない。
これはもちろん図1の方に比べて、元々の身体能力が低いために、自分で継続的に動くのにより努力を要する、あるいは動くことに苦労する方達だからである。また隠れた運動余力も低く、一旦出現した新しい運動も全体の変化を起こせない。
普段から運動量も少ない。新しい運動が出るとは言っても非常に困難だったりして、自律的に繰り返すことが容易ではない。移動運動は訓練場面でセラピストの介助や環境設定の元で実施されている場合が多い。
三つ目は図3の状態で、過緊張は低下するものの目立つ新たな運動の出現は見られない。また少しの時間経過と共に元の過緊張の状態に戻ってしまう。
このように「過緊張は低下」しても「新しい運動」は見られないケースでは、大抵は比較的重度の麻痺の方で寝たきりの方が多い。過緊張が低下して運動範囲が広がったからといって、元々筋張力を生み出す能力が低いので新しい運動自体が出てこないのだろう。
もちろん目に見える大きな運動変化が現れないと言うだけで、実際には呼吸が深くゆったりする、身体が緩んで苦痛の表情が緩んでくるなど、慣れた観察者ならば気づかれるような小さな運動変化は見られる。そういった意味では新しい運動は現れていて、これまた時間経過と共に消えていくという状態変化だけを見れば図2の方達と同じである。
さて上田法施行によって3つの状態が見られたわけだが、これを図4に表してみた。
図中のA~Cは以下のような状態を表している。
Aは「過緊張が低下して新しい運動が現れ、これが新たな状態として安定した。また歩行や移動は実用レベルの方が多い」
Bは「過緊張が低下して新しい運動が現れたが、比較的短時間に新しい運動は消え、過緊張も元の状態に戻った。移動は訓練レベルの方が多い」
Cは「過緊張は低下したが、新しい目立つ運動は現れず、比較的短時間に元の過緊張の状態に戻った。重度で寝たきりの方が多い」
この図では、縦軸に身体リソース、横軸に環境リソースが取ってある。
この中ではAの方達は図のような分布を持っている可能性が高い。つまり身体リソースが高ければ環境リソースは低くても自分でかなり動けるか、逆に少し身体能力は低くても環境リソース(たとえば手すりがあるとか装具を作ったとか)が多いと新しく出現した運動が自発的に維持できるということである。
Bの方達は、運動余力が低いあるいはより低くてもそれなりに環境リソースがあるために新しい運動が出現する。たとえば環境リソースとして訓練室で平行棒を使い、セラピストが介助したりしてより沢山の環境リソースが揃っていれば、新しい運動が現れるといった状態である。
Cの方達は、重度の麻痺で身体リソースも環境リソースも貧弱であるので、新しい運動は目立たない呼吸や表情に出てくるというわけだ。
さてBやCの方達の運動変化が少しでも継続できるように考えてみよう。私たちの仕事では、現れた新しい運動がなんとか継続して、より好ましい状況がなんとか長続きすることを期待されるからである。
当然身体リソースのアップは、Bの方にはある程度期待できるもののCの方には余り期待できない。(図の上向きの矢印)
しかしBやCの方でも、環境リソースの工夫ではかなりなんとかできる可能性もある。たとえば重度四肢麻痺の方でも、頭部はなんとか自由に動かせる方である。こんな方には顎で操作するコントローラをつけた電動車椅子という環境リソースが良いかもしれない。頭部の動きは練習を積み重ねるにつれて次第に移動のスキルへと変化していく。そしてこの新しく出現した運動は、電動車椅子やそれに乗せてくれる介助者などの沢山の環境リソースの維持によって継続される可能性が高くなる。
つまり麻痺や障害が重度になればなるほど環境リソースの果たす役割は大きくなる。これはまあ、みんな知っていることではあるが。
もちろん実際には身体リソースの豊富な方達にも環境リソースは重要である。退職後、意欲を失ってテレビばかり見ているお父さんがいる。元々仕事一筋の人で、近所には知り合いもいない。仕事をしていたときは、通勤はできるだけ歩いていたし、階段も意識して使っていた。しかし退職後はなにかしら張り合いのようなものを失ってしまった。そしてテレビの前で過ごすようになり、いつの間にか足腰は弱り、少し歩くと両方の膝が痛み出す始末。痛いのでますます動かなくなった・・・こんな方達にも環境リソースは必要である。
つまり継続的な変化をする人と一時的な変化しかしない人との違いの一つは、身体リソースと環境リソースのバランスにありそうだ。作動作成型治療方略では、ある人が活動するためのより良い条件を揃えた環境を「活動的環境」と呼ぶ。それは行為者が活動することに意味や価値を見いだし、実際に活動を達成するための環境リソースが豊富である環境である。
少し話が前後するが、この活動的環境を整えることは先の身体リソースを豊富にするのと同様、「運動余力を豊富」にするための方法の一つである。ただこのことを詳しく書きくと、紙数がとても足りないのでここではこれで止めておく。また次の機会にでも。
さて一時的な運動変化をより継続的な変化にするためのもう一つの作動特性(これがこの節のメインテーマ(^^;)なのだが・・)が次に挙げるものである。図5を見ていただきたい。
図5では、上田法によって人の運動システムを構成する要素の中で、柔軟性という身体リソースの一つだけを変化させている。これだと様々な要素が相互作用する中で、折角の柔軟性の変化も消耗され、消失してしまう。
だが、図6のようにしたらどうだろう?図6では一度に3つの要素を変化させている。こうすると他の構成要素との相互作用の中で、むしろそれまでの要素間の関係性を変化させてしまう可能性も高くなる。
柔軟性改善のような単一の要素変化は、他の要素(筋力など)が乏しいと、「自発的に動き出す」、「新しい運動が繰り返される」、あるいは「運動量が増加する」といった全体の状況変化を起こせない。つまり元々の運動余力が小さければ、柔軟性を改善しても、不安定な運動が短時間出現するだけだったりする。結局その単一運動リソース変化は他の変化しない要素群の中で、消耗され、消失してしまう。
逆に隠れた運動余力が豊富だと、柔軟性のような単一の要素変化でも自律的な全体の状況変化を起こすきっかけとなる。柔軟性の改善は、重心移動範囲を広げ運動範囲を広げ、使われなかった筋の活性化を導き、クライエントにとって意味のある運動を生み出す。こうして単一の要素変化はより継続した全体的な変化を生み出す。
このような作動特性を「運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい」と簡単にまとめておこう。
そしてこれを基にしたルールは、「セラピストは一つの要素だけではなく多くの要素とその関係性にも常に同時にアプローチして、システム全体の状況変化を起こしやすくするよう心がけなさい」ということ。各要素の変化は少しずつでも、たくさんの要素が変化するなら全体としては新しい状況変化も起こりうる。もし継続的な運動変化・状況変化を起こす可能性があるなら、単一の要素より沢山の要素変化を起こした方が良い。
たとえば定期的な腰痛を訴えられ、上田法を行うと比較的腰痛が軽くなる方がいる。しかししばらくすると元に戻ってしまう。一方座位で腹筋などを行うと、やはり腰痛は軽くなるが、しばらくすると元に戻ってしまう。そこで上田法で柔軟性を改善し、すぐに座位での腹筋運動、臥位での腹筋・背筋運動や寝返り運動を行うと、かなり長期的に腰痛が消えてしまうことがある。一つ一つの要素の変化は、時間の経過と共に消えてしまうが、いくつかの要素変化を同時に起こすと要素間の関係も変化して、より安定した新しい状態に落ち着くのではないかと考えられる。
こう考えると上田法を実施後、自発的な運動が繰り返され、新しい運動状態が安定されるような方は、上田法実施だけで良いと思う。が上田法によって起こされた変化が短時間で消えてしまうようなら、いくつかの運動課題を同時に行ってより多くの筋群を活性化したり、新しい環境リソースを加えたりとたくさんの要素と要素間の関係を同時に変化させるよう試みることを勧める。
作動特性型ではセラピストは常にクライエントの運動余力の豊富化を目指すので、麻痺が重度で運動余力が貧弱な方については、セラピスト自らがリソースとなり介助なり環境リソースの工夫なりで、クライエントが常に新しい運動を出現させたり、それを繰り返したりするよう配慮することが大事である。
もちろん結果として、最大限努力して活動的環境を含む多要素に同時にアプローチしたとしても一時的な状態変化のみで継続的な状態変化は生まれないかもしれない。が、運動余力の維持という点で見ればそれでも訓練効果を生んでいる。派手な運動パフォーマンスのアップはないかもしれない。しかし過緊張が落ちて、ストレッチやより大きな呼吸運動を定期的に繰り返すことで、動かない場合に起きる廃用性の柔軟性や筋力の低下を予防しているのだから。つまりその方にとっては訓練を前提に、「良い状態、つまり良循環の安定」を作り出しているからだ。
ともかくどんな結果に終わろうと、実現できない理想を追って現実逃避するよりも、「今、この場でできる限りのことをする」ことが私たちにできること、するべきことに違いないだろう。
さて作動作成型治療方略で使われる運動システムの作動の4つの特徴とそれから得られる治療方略上のルール、キーワードのまとめである。
作動特性型治療方略上のルールその1 keyword: 「運動余力を豊富に!」
「運動余力が豊富になれば、状況変化に対する適応力が高まる。それでともかくできる限り運動余力を豊富にすること」
(作動特性:人の運動システムは豊富な運動余力を持っているため、状況変化に応じて無限に運動の形を変えて機能を維持しようとする)
作動特性型治療方略上のルールその2 keyword: 「自律的運動変化を待て!」
「セラピスト側が運動を指示・管理するべきではない。セラピスト側は運動余力の豊富化に力を注ぐのみ。運動余力の豊富化によってクライエントの課題達成の選択肢が増えれば、運動状態の変化や運動のやり方は自律的に変化する」
(作動特性:人の運動システムは、自律的に課題達成を図る。あるいは課題達成のために自律的に問題解決を試みる)
作動特性型治療方略上のルールその3 keyword: 「隠れた運動余力を探せ!」
「クライエントの置かれた状況を理解し、隠れた運動余力を探り出し、停滞や悪循環の状況からクライエントを救い出すのはセラピストの重要な役割」
(作動特性:人は生まれながらの自律的な運動問題解決者ではあるが、貧弱な手持ちの運動リソースと運動スキルを総動員して何とか課題を達成しようとする余り、時には「貧弱な解決」や「偽解決」の袋小路に入り込んでしまうことがある)
作動特性型治療方略上のルールその4 keyword: 「多要素同時アプローチ!」
「セラピストは一つの要素だけではなく多くの要素とその関係性にも常に同時にアプローチして、システム全体の状況変化を起こしやすくするよう心がけなさい」
(作動特性:運動余力が小さいと単一の運動リソース変化は、短時間で消耗し、消失してしまい、継続的な変化となりにくい)
さて次の章では、ここで取り上げた「人の運動システムの作動特性」を基に、もう一度作動特性型治療方略を考えてみよう。