リハビリの限界?どうしても良くならない!

 

2020年1月7日

リハビリの限界?どうしても良くならない!(その1) 
 脳卒中片麻痺になって4ヶ月の70代の男性。認知症もなく、見たところ麻痺の程度もそれほど重い様子はない。「歩けるようになって、元通りの一人暮らしに戻りたい」と意欲的に話される。前の病院の報告書では「もっと改善すると思ったが、腰痛の訴えがあり、あまりリハビリが進まなかった」というニュアンス。しかし見守りや軽介助での伝い歩き、4点杖歩行は可能になったとのこと。
 当老健では、「体幹の柔軟性と腰痛改善」のために徒手療法、「全身リソースの改善のためと生活動作スキル習得」のために臥位~立位の課題各種を選択し、実施する。
 1週間後には腰痛はほぼなくなり、各課題も意欲的に取り組まれ動作時の速さや力強さも改善している・・・・一方で初日から少し気になるところが日に日に大きくなってくる。
 たとえば床上での動作は良いのだが、起立になると動作開始に時間がかかり、モタモタした様子が見られる。そして座位から前方への重心移動を躊躇される。起立介助の開始時にわずかに抵抗が見られる。立位になってもすぐに座ろうとされることがある。小刻み。セラピストがそばで声をかけないと歩こうとされない・・・これは不安な姿勢・動作を避けようとする傾向だ。
 また立位になって杖を持っても、歩隔が広い。杖を前方遠くに突く。ゆっくりと3動作歩行をされる・・・これは基底面を広くとってバランスを広くとろうとする傾向。
 その他立位・歩行全般に動きがぎこちない、緊張気味で慎重な動き、かすかに不安定さなどが見られる。さらに縦手すりなど特定の状況に固執したり、病棟スタッフから依存傾向が強いと言われる・・・結果的に1ヶ月間、課題を変化させながら実施するも、この状況は変わらなかった。
 早い話、できることはできるが、それ以上に恐さや不安が勝っているように見える。
 このような立位、移乗や歩行などに関しての不安の傾向は、CAMR(カムル:Contextual Approach for Medical Rehabilitation)では「安心確保方略」と呼ばれる。人がよく行う問題解決方略は6つあるが、そのうちの一つである。(続く)

 

 

2020年1月14日

リハビリの限界?どうしても良くならない!(その2)
 通常私たちはこのような問題に接すると、まず問題の原因を求めるように教育されてきた。つまり「できる事もあるが怖がって?一人ではされようとしない」し、「病棟からは依存性が強い」とも言われると、その原因を探す。
 この場合、よく見られるセラピストの態度の一つは、「できるのにやろうとしない。怖いと言ったってすぐに転倒するレベルでもない。早い話、意欲が低いんだと思う。あるいは依存的な性格なんだよ」などである。
 セラピストがこの考えに囚われてしまうと、患者さんは可哀想だ。恐れと戦いながら動いても褒められるどころか、逆に叱咤激励されてしまう。「恐れ」は客観的な根拠があろうがなかろうが、自然の感情である。怖いものは怖いのである。それを否定されてしまうわけだ。ひどいときは「やる気のない人」というラベルが貼られてぞんざいに扱われてしまう。
 もっと良いセラピストなら恐れは自然の感情だと認め、むしろ「立位を恐れるには、何かしら身体的な原因があるのではないか」と考える。たとえば立位のような狭い基底面で重心が高い姿勢では、「重心を基底面内にコントロールする能力が低下」していると考える。その結果、恐れが生まれてしまう。健常者にはなんてことのない平らな床も、彼らには綱渡りをしているような状態だと想像する。
 そこで筋力や柔軟性を改善し、様々な状況下での立位コントロールの経験を積むような練習を行うだろう。更にうまくコントロールできる、できないの範囲を本人に探索してもらい、上手くいったときの成功体験を繰り返し経験し、ご自身の状況をよく理解していただく。その結果、ご本人ができる状況と課題をよく理解され、そんな場面ではより積極的に動かれるのではないかと期待したのだが・・・・・現実にはこの方達は一向に改善の傾向を見せないのである。そしてセラピストは呟くのである。「リハビリにも限界はあるさ」(続く)

 

 

2020年1月21日

リハビリの限界?どうしても良くならない!(その3)
 そしてセラピストは呟くのである。「リハビリにも限界はあるさ」
 もちろんこれはリハビリの限界ではなく、このセラピスト個人の限界に過ぎない。
 勘違いして欲しくないのだが、こんなことを書くと「そうそう、理想や夢を諦めちゃダメ。諦めたらそこでおしまいよ。頑張ってればいつか目標に手が届くのよ」などと言ってくる人がいるが僕が言いたいのはそんなことではない。具体的な方法は言わずにすぐにこんなことしか言わないのは、かないもしない夢や理想を「追い続けること自体」に価値を見いだす「ユートピアン」である。
 もちろんリハビリにも限界はある。これは事実である。たとえばリハビリで脳性運動傷害後の麻痺は治せない。
 もちろんユートピアンはすぐに反論してくるかもしれない。「そんなに簡単に諦めてたら治るものも治らない。私たちが諦めたらもう誰ももうそれを実現できないのだ。最近の科学的成果から考えても麻痺回復の可能性は高いと言えるのだ」と。
 でも日本ではこの考えはもう50年以上の歴史があり、僕も昔から繰り返しそう聞かされてきたが、現実には未だに麻痺が治ったという正式な報告は一件もされていないのである。
 僕が言いたいのはむしろ「リハビリの限界とは、問題の解決を身体能力の改善だけに求めることにある」ということだ。身体能力の改善だけに問題解決を求めてしまえば、当然身体能力の改善の限界が日々のリハビリの限界になってしまう。麻痺も失調症もパーキンソン病でもそうだ。
 もちろん麻痺筋にも筋力強化の効果がある場合もあり、またたとえば麻痺の脚を振り出すにも身体の非麻痺側、あるいは軽度麻痺の他の部位の筋収縮や全身の重心移動を使って振り出すスキルを学習し、熟練してパフォーマンスも上がる。だから身体能力の改善は当然できるだけ行うべきだが、それをもって「麻痺を治している」と勘違いするべきではない。身体能力の改善はずっと続くわけではない。それらの改善はいずれプラトーに達し、麻痺や他の身体や認知の能力の低下は依然として残るのである。
 そして今回のような立ったり歩いたりすることに恐怖を持ってしまう方達も、失調の方達もパーキンの方達も麻痺と同様に身体的に完全に治したりすることはできないのである。 
 しかし生活上のあるいは生活課題達成上の運動問題というのは必ずしも身体の問題だけから生じるものではない。様々な要素や環境や人間関係の相互作用からなり立っているものである。
 患者の身体能力が改善したからといって、家族間の人間関係や家屋環境や患者さんや家族の思い込みからちっとも生活上の運動問題が解決しないことだって往々にしてあるものだ。逆に麻痺は治らなくても患者さん自身や家族が、「リハビリを受けたおかげでなんだか人生の見通しが良くなったよ」と言ってもらえる場合もあるのである。(続く)

 

2020年1月28日

リハビリの限界?どうしても良くならない!(その4)
 まあ結局、リハビリで目標とするのはたとえば「生活課題の達成能力の改善」とか「生活問題を少しでも軽くする」ことであって、「麻痺や運動障害からの完全回復ではない」というのが僕が言いたいことです。
 確かに「麻痺や運動障害からの完全回復」は魅力的な目標だが、同時に運動だけでは達成不能な目標であることも多い。もちろん単純な廃用など実際に回復可能な例ならそうするべきだが、それが理想的な目標だからという理由だけでそれをするべきではない。リハビリでは現在達成可能なことをメインの目標とするべきだ。でなければユートピアンへの道を進んでしまう危険性が高くなる。
 たとえば「うちの父親は失禁ばかりして世話が大変」という相談を娘さんから受ける。デイケアに通い始めたばかりだ。「1人で歩いてトイレには行けるんだけど我慢できないみたいで・・・間に合わないことが多いんです。それに紙パンツやパッドを嫌っていて勧めるとすごく怒るんです。何とか失禁を治してもらえないかしら・・・」といった相談である。
 家族からそう言われると「失禁予防体操」などというのが頭に浮かぶのだが、もともとそれくらいで治るのであれば超ラッキーである。実際にはそれだけでは問題は解決しないものだ。
 だからあくまでも現実的な問題解決のための目標と治療方略を立てることが重要だ。
 僕の場合だと、「リハビリで失禁が治る確率は極めて低いこと、それでも今よりは失禁に関わる問題を軽くすることはできると思うがそれで良いか」と伝えた。娘さんは少しガッカリされたが「治せないなら仕方ないからそれでも良いです」と家族の了解を得る。できない事はプロとしては約束しない。代わりに何ができるかを提案、説明して納得してもらうことが大事である。
 そして治療方略を練る。何より大事なのは失禁が繰り返し起きるときには、その前に同じような状況が繰り返し起きていると言うことだ。だから繰り返すその状況を変化させることが大事だ。
 たとえばそろそろ失禁の時間だと思うと娘さんが口うるさく「早くトイレに行って」と注意していることがわかってくる。またお孫さんも含めて家族全員が父親の失禁問題に集中していることがわかってくる。だから口うるさく言うのを止めてもらうのは良いかもしれない。代わりに優しく一言、「念のために早めに言ってもらえると嬉しいわ」とお願いしてもらう。
 またうまくトイレで成功した「例外」の状況を探ったりもする。以前はそれなりにうまくいっていたが、最近は尿意を感じると急激に我慢ができなくなるとのこと。どうも今はうまくいっていない。家族が失禁に注目していることでかなりストレスを感じている様子だ。
 セラピスト側でも今この場でできることは何でもやる。失禁体操に加え、さらに各種身体機能の改善はできるだけやるようにする。腰痛があったので徒手療法なども行い、痛みがなくなったと喜んでもらえる。歩容が安定し、歩行速度も速くなる。デイケアにきて良かったと本人も言い、娘さんからも「頑張った」と褒めてもらう。失禁には直接関係なくても、努力して成功体験をすることはとても大事だ。
 実際失禁を繰り返すようになってから、なんとなく本人も暗く、イライラした感じだという。腰痛が治り、歩行が安定してからは話をよくされるようになった。成功体験の繰り返しは状況を変化させるのに大きな影響があるだろう。
 またデイケアでは介護や看護の職種から、紙パンツやパッド、ポータブルトイレのお試しを勧めてもらったりする。「皆さんに勧めている将来のためのお試しプログラム」と説明してもらう。乗っては来られないが、ともかくこれまでやっていないことは試してみる価値がある。失禁に繋がる状況を変化させることができるからだ。(続く)

 

2020年2月4日

リハビリの限界?どうしても良くならない!(その5)
 結局娘さんといろいろな状況を話し合った結果、家族には失禁に注目し、それに関して発言することを止めてもらうことに同意していただいた。また少しでも良い徴候(洗濯物のパンツが一枚でも減るなど)の時にはそれを褒めてもらうのである。「最近は洗濯物が減って楽になったわ。ありがとうね」などである。
 デイケア開始して3週間目に、拒否していた紙パンツとパッドの体験に自分から申し込まれ、そして使うようになられた。
 娘さんから「失禁は治ってないですけど、紙パンツも使ってもらえるようになったし、本当に洗濯物が減ったんです。本当にあんなもので人が変わるんですね。以前は朝は大量の洗濯物と子ども達の世話で目が回りそうだったけど、今は本当に楽になりました。お父さんも明るくなって楽しそうで、本当にこのデイケアにきて良かったです。ありがとうございます」と言われた。
 生活問題は様々な要素の相互作用として起きている。どれが原因とも言えない。今回だってどの状況変化が効いているのかは定かではない。また明らかにする必要もない。様々な要素が影響し合い、失禁を繰り返し生み出す状況になっていたのだ。だから状況を変化させて良い状況変化なら何でも繰り返した。もし変化しなかったり、悪くなるようだったらさらに別の状況変化を試すだけである。
 これがCAMRで提案する「状況変化アブローチ」の手法だ。原因は求めないで、状況変化を起こしていく。いくつもの試行を同時に並行させて行い、より大きな状況変化を起こすのである。
 この手法は麻痺や他の運動障害でも有効だ。転倒や失調、パーキンソン、そして安心確保方略の人達でも状況を変えて問題を軽くすることができる。
 しかし世の中では原因を求めるのが当たり前と考えられているので、「こんなのはダメだ!」という人も多い。しかし原因を求めて「脳細胞が壊れた結果の麻痺である」となったところで麻痺はリハビリでは治せないので、原因を求めることが必ずしも問題解決には繋がらないのである。
 そして麻痺や障害を治すことはできなくても、状況を変化させることはいつでも誰にでも可能である。工夫さえすれば。障害を根本的に治そうとするよりは、遙かに現実的なアプローチなのだ。(終わり)

 今回のシリーズは患者さんの「安心確保方略」について書くつもりでしたが、途中から大きく変わってしまいました(^^;)「安心確保方略」についてはまた詳しく書きます。