その1 人はなぜゴルフ・スウィングが難しいのか?

 テニスや卓球のプロ選手を見ていると一球一球違ったコースや速度、球種に対して実に器用に打ち返していきます。それは無限の状況変化に対応して、無限に運動変化するという人の運動変化の特徴そのものを見ているような気がします。
 一方でゴルフは、自分の好きなところにボールを置いて、自分の使い慣れているクラブで自分の好きなタイミングで打つ競技なので、逆にどうしてそんなに難しいのだろうか?と昔思ったことがあります。でもこれがいざやってみるととても難しい。
 これはバスケットボールのゲームの中で、ディフェンスをかわして体勢を崩しながらシュートするのと同様にフリースローがなぜあんなに難しいのか、というのと一緒ですね。アメリカのプロのバスケットボールの選手はコートに上がるまでに少なくとも100万回のフリースローの練習をしているそうです。それでもフリースローは難しいと言います。
 この疑問に明快に答えてくれたのがロシアの神経学者Bernsteinでした。彼のアイデアを簡単に言えば、人は機械のように同じ運動を繰り返すのが苦手なのです。機械というのは同じ動作を繰り返すために作られます。こちらの希望通りの動作を正確に繰り返すことが望まれるのです。だから運動の制御を簡単にするために、できるだけ各部品の動きを小さく制限します。
 たとえば壁の電灯のスイッチを押すことを考えてみましょう。スイッチから1メートル離れたところに立って、長さ60センチの硬い樫の棒でスイッチを入れる場合と、同じ長さの柳の柔らかい枝で、ムチのように叩いてスイッチを入れる場合とを考えてみればよく分かります。樫の棒に比べて柳の枝はブラブラして、とてつもなく沢山の思いもよらない軌道を描きます。スイッチを押す道具としては樫の棒の方が遙かにコントロールしやすいですよね。
 つまり機械の一つ一つの部品は樫の棒のようなもの、人の体の各部位は柳の枝のようなものです。硬い部品は柔らかい部品に比べて遙かに運動制御が容易です。ベルンシュタインはこの部品の運動の軌道の多さを「運動の自由度」と呼んでいます。機械の部品はほとんどのものが自由度1(直線上を行ったり来たりとか軸の回りを回転したり)でできています。
 一方人の体は多くの場合自由度2(平面の中でそれこそ無限に軌道を取ることができる)や3(空間の中で無限の軌道を取ることができる)の部品から成り立っています。さらに上肢だけを見ても肩関節や肘関節、手関節のように自由度3の関節を三つ組み合わせています。さすがに人差し指の指節間関節のようにとても繊細な仕事を要求される指先の関節は、コントロールしやすいように自由度1の関節になっていますね。
 さらに横紋筋というのは、歴史的に平滑筋の後に発生したより力強い筋肉なのですが、平滑筋のように自由に滑らかに力をコントロールできるわけではなく、爆発的な収縮を行うのだそうです。これは丁度大砲の弾をドンと撃つようなものです。横紋筋の収縮は最初にドンと撃ったら、後は空気抵抗や風まかせの大砲の弾のようなものです。これだけでもコントロールが難しくなるのは分かります。
 だから人はその多すぎる運動の自由度を制限して、異なった状況の中で正確にいつも同じ運動結果を繰り返すためにとても沢山の練習を必要とするのです。プロのスポーツ選手や色々な職業の職人さん達が一人前になるのにとても長い修練を必要とするわけです。

 実を言うとその昔僕は、上田法治療研究会の会誌に「人は機械よりも上手にゴルフスゥイングできるか?」(1993)というエッセイを載せたことがあります。今となってはとても恥ずかしい内容です。今思い出すだけでも、ああ、恥ずかしい・・・(赤面)(2013年 西尾幸敏)
 

次回予告
 今回、最後に「だから人はその多すぎる運動の自由度を制限して、異なった状況の中で正確にいつも同じ運動結果を繰り返すためにとても沢山の練習を必要とするのです」と書いています。でも本当のところ「人は運動の何を学習しているのか?」と考えたことがありますか?多くの人は、「同じ運動を再現するための運動プログラム」などと言ったりします。でもそれは変な話なのです・・・というのが次回の話題の心なのだ!(小沢昭一風に。分からない人、ごめんなさい)

今回の文献はこれです!是非読んでみてください!!面白いですよ。
ニコライ・A・ベルンシュタイン;「デクステリティ 巧みさとその発達」,工藤和俊訳,佐々木正人監訳,金子書房, 2003.