その2 異なった方法でいつも同じ結果を出すこと

ごめんなさい。「その1 人はなぜゴルフ・スウィングが難しいのか?」の最後の予告で、次は「運動学習では何を学習しているのか?」を次のテーマにすると書きましたが、その前にまだまだ色々人の運動変化の特徴について述べた方が良いことに気がつきました。というわけで今回のテーマは、「異なった方法でいつも同じ結果を出すこと」について。


 僕は麺類が好きです。とりわけうどんが大好きです。それでうどんを食べる場合を考えてみましょうv(^^)
 僕は普通割り箸でうどんを食べることが多いです。でも時々はプラスチック製の箸になったり、韓国製の鉄製の箸を使って食べたこともあります。立って食べたり、座って食べたり。時には誰かと話しながら、時には駅のホームで発車の時間に追われながら。台所ではうどんを作りながら、鍋から長い菜箸を使ってつまみ食いなどもします。菜箸などは長く使っていると反ってきます。反った箸は使いにくい。それでも何とか使いこなしてうどんを食べることができます。
 毎回僕は異なった状況下、異なったやり方でも何とか「うどんを食べる」という同じ運動課題を達成していることになります。これは考えてみると実に不思議なことです。毎回異なった状況に合わせて、異なった手段を用いて同じ運動結果を生み出していることになります。
 前回の説明では、同じ運動を繰り返せない、と書いてしまいました。でもそれだと「なんだ、同じ運動できないんだ」と、ちょっとガッカリしてしまいます(イヤ、そうでもない?)でも「毎回異なった状況の中、異なった手段で、同じ運動結果を繰り返す」と言うとなんだかすごくないですか?この点にこそ、人の運動システムを理解するための鍵があり、醍醐味があるような気がします。
 僕のアイデアは20年間、この周辺をウロウロして、この内容をどう言葉にするか?を考えていたように思います。(でも結局、ベルンシュタインの本に書いてあったんですけどね(^^;))
 
 今から20年前、Keshnerさんの論文を読んで衝撃を受けました。彼女のアイデアは、「人の運動システムは分散されたコントロールシステム」というもので、「同じ運動が様々の異なった系のシステムによって引き起こされる」というものでした。何度も読んで、「ああ、世の中にはこんなことを考えている人がいるのだ・・・」と感動したものです。
(その後実際に彼女の元に留学する機会を得て、1年間をシカゴのイリノイ大学で過ごしました。ただ僕の英語力が極端に低くて、彼女から直接学ぶ機会はとても少なくてそれが今でも心残りです)

 先ほどのうどんの話に戻ります。先ほどは色々な箸という環境リソースを利用したわけです。もし箸がなくてアツアツのうどんがあるときはどうするでしょう?フォークを使うかもしれません。あるいは机の中を探って、鉛筆2本で(^^;)代用するかもしれません。または2本のスプーンを利用して。どんぶりを傾け、唇と前歯で麺をたぐり寄せるかもしれません。
 実際に箸という環境リソースがなければ、それまで使ったことのないものを利用してうどんを食べることができるでしょう。スプーン2本でうどんを食べるときは、それまでにない運動スキルが使われることになります。しかしながら私たちは何とかしてしまう。それまでよく練習した運動スキルを簡単にまったく練習したことのない新奇の運動スキルに置き変えることができるのです。(もちろんうどんは箸で食べるのが一番美味いですけどね・・)
 人の運動システムの大きな特徴の一つは、この多彩な運動スキルの交換可能性による同一運動結果の達成にあるのでしょう。(2013年 西尾幸敏)


 次回予告はもう出すのを止めておこうと思います。どうせ、決めてても書き始めると何を書くのか分からないのだ・・・というのが次回の話題の心なのだ!(小沢昭一風に。しつこくてごめんなさい。分からない人、ごめんなさい)

今回の文献は引き続きこれです!是非読んでみてください!!面白いですよ。
ニコライ・A・ベルンシュタイン;「デクステリティ 巧みさとその発達」,工藤和俊訳,佐々木正人監訳,金子書房, 2003.
今回登場したKeshnerさんの論文。古いもので申し訳ないです。他にも沢山ありますが、僕が最初に感動したものです。
Emily A. Keshner. Controlling stability of a complex movement system. Pysical Therapy (1990)Vol. 70, Number 12