その3 運動を教える側と教えられる側(その1)

 私たちの仕事は、患者様や利用者様に安全で効率的な運動を教えること、と思っている方がおられます。まあ、そんな側面もあるのでしょう。でもそうではないような・・


 僕が若い頃に(と言っても30代ですが(^^;))最も影響を受けた本の一つは、マトゥラーナとバレーラの「知恵の樹」です。とても衝撃的でしたが、内容を上手く理解できず、そして今でも理解できない本の一つだと思います。理解できないのに影響を受けた、と言うのも変ですが、実際そうなのだから仕方ない。
 
 その中にこんなアナロジーが出てきます。
 「ずっと潜水艦の中だけで生きてきた人を想像してみよう。彼はそこから出たことはない。潜水艦の操縦の仕方は教えられている。さて、僕らは岸部に立ち、潜水艦が優美に浮上してくるのを見ているところだ。それから僕らは無線を使って、中にいる操縦士に呼びかける。『おめでとう!あなたは暗礁を避けて、見事に浮上しましたね。あなたは潜水艦の操縦が本当にお上手ですね』。潜水艦の中の操縦士は、戸惑ってしまう。『なんですか、その暗礁とか浮上とかって?私がやったのはただ幾つかのレヴァーを押したりノブを回したりして、いろんな計器のあいだに、ある関係を作り出しただけのことなんですよ。それは全部、私がよく馴れている、あらかじめ決まった手続きにしたがっているんです。特別な操作はなにもしなかったし、それになにより、あなた方は潜水艦とかおっしゃっていますね。何のご冗談でしょうか』」
 潜水艦の中にいる人にとっては、計器とレヴァーの関係だけだ。彼にとっては岸辺も暗礁も水面も浮上も、潜水艦すらも存在しない。潜水艦の振る舞いは、外部にいてそれを見ている僕達だけに存在する。そんなことです。
 実は運動を教えていると思っている人と教えられている人のあいだにもそんな関係が存在するのではないだろうか?「上腕二頭筋の緊張が高く、三頭筋の相反性抑制が起きている」と三頭筋をタッピングしながら、「この筋に力を入れて」という指示は、している側とされている側で、どれだけのズレを生じているのだろうか?(次回は「その2」に続くの心なのだ!)(2013年 西尾幸敏)
 今回の文献です!是非読んでみてください!!面白いですよ(^^;)特に若い人に読んで欲しい本です。「分からないけど、面白い。それがなにか・・・・」といいたくなる本です。うんうん(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)
ウンベルト・マトゥラーナ+フランシスコ・バレーラ;「知恵の樹」,管 啓次郎訳,朝日出版社,1987.(確か何年か前に文庫本も出ているはず・・・)