その4 運動を教える側と教えられる側(その2)

 「もっと詳しく書いて欲しい」というリクエストを受けたことがあります。でもそうはいかないのです。ホームページで全てをさらけ出しては、講習会で伝えることがなくなってしまうので(^^;))それにいくらホームページで書いても、何の反応もないことが多いです。孤独な作業です。フェースブック版CAMRの賑わいがうらやましい。僕も誰かに「いいね!」と言われたいものです。
 講習会はこれからも開いていきたいと願っています。ダイレクトにいろいろな反応が返ってくるので、こちらもいろいろ勉強になります。人に話している間に、自分の中の気づかないアイデアに気づいていく過程にもなっています。下関の講習会では大きな発見がありました・・・
 では始めます。

 人は運動のやり方というものを知らない、と言うよりは意識できないものらしい。自分がどんなに運動しているのだろうと思い、手足の動きに意識を集中した途端、手足の動きはぎこちなくなり、時には動かなくなる。
 回りから見ていると、運動はいつも適応的に変化して、様々な運動問題を解決していく。まさしく状況を理解し、判断し、適宜に変化させているようだ。とても知的な過程だが、そのほとんどの活動は意識されることなく進んでいる。
 まあ、運動のやり方は無意識のレベルで進んでいるが、意識レベルではその場でやるべき課題が意識される。「そろそろ起きて顔を洗おう」とか「シャツに汁気を飛ばさずにカレーうどんを食べよう」とか「昨日の日めくりカレンダーを破らなくちゃ・・」といった具合である。
 課題を意識するだけで、布団をはねのけ、起き上がり歩いて洗面台に向かうという様々の一連の運動が組織化される。(作られて形を成していく、といった意味)口をどんぶりに近づけ、汁が飛ばないようにあまり麺を持ち上げないで静かに啜る、という運動が組織化される。壁際まで歩き、片手でカレンダーを抑え、もう一方の手で1枚めくって引き破る、などの運動も組織化される。
 「イヤ、優秀なスポーツのコーチはちゃんと新しい技術を教えている」と言われる方もおられるが、実際に現場に立ち会うとコーチは運動のやり方を教えたりしない。「跳んだ後体を安定させながら、膝をできるだけ曲げて」などと課題を提示しているのである。選手がその課題をどう達成するかは選手任せである。まずい達成の仕方をするなら、改めて課題を作り直す。優秀なコーチは、何とか目標に近付いていける課題を設定し、それを明確に選手に伝えることが上手、ということだ。
 システム理論を基に課題主導型アプローチと総称される医療的リハビリの枠組みがある。これでは「運動は課題によって組織化される」ので、セラピストの役割は患者さんのパフォーマンスアップや社会生活への適応能力を高めるための課題を提供すること、と考えられている。
 状況的アプローチでもそうだが、「運動は教えられるのではなく、達成するべき課題を明確にすること」と考えられる。(2013年 西尾幸敏)