その6 因果関係の罠(その2)

 前回の続きです。随分時間がかかってしまいました。元文献が見つからないので、なんだか書く気にならず、今回はちょっと短めです(^^;)
 以下に載っけているのは、哲学者の大森荘蔵氏のどれかの文献に載っていたアイデアです。ここしばらく元文献を探したのですが見つかりません。(簡略版の説明は見つけたのですが)そこで少しあやふやなのですが記憶を頼りに僕なりに書いてみます。
 僕の文章というのは皆さん読まれてご存知の通り、ややいい加減で大森氏に申し訳ないのです。誰か文献に心当たりがあれば教えてくださると助かります。
 他にもともかくメールください。必ず返事します、と予想します・・・(^^;))
 では始めます。


因果関係の罠(その2)
 一天にわかにかき曇り、雷がピカッと光った後、「ゴロゴロ・・」となる様を古代の人達はどんな風に見ていたのだろうか?きっと「ピカッ」と光るのが原因で、「ゴロゴロ・・」がその結果である、などと考えていたに違いない。
 しかし現代の私たちはこれが間違った因果関係であることを知っている。ホントの原因は雲の中での摩擦電気の放電であり、ピカッと光るのもゴロゴロ鳴るのもその結果にすぎない。つまり、摩擦電気の発生という原因に対して、2つの結果が生じているということである。
 大森氏はこのようなピカッと光ることとゴロゴロ鳴ることを「因果連関」と呼んでいる・・・と思う。因果の関係にはないが、同じ結果同士、何かしら影響し合っている・・みたいな(^^;)あるいはなんとなく因果関係の遙かに遠い親戚である・・みたいな(^^;)感じである。
 ところがこの雷ピカッ→ゴロゴロ・・に因果関係を感じる人は現代でも多いようである。僕が呉リハ学院の教官だった頃、沢山の学生に雷の話をして「ピカッ!が原因でゴロゴロがその結果?」と尋ねると多くの学生が「そうです!」と答えたものである。

 前回のビアの車の話では、観察者は車の作動の仕組みをまったく知らないために間違った因果関係を想定してしまったのだが、今回の例では原因も結果も分かっているはずなのに、間違ってしまうところが違う。人はしばしば結果同士の間にも間違った因果関係を想定してしまうのである。たとえば結果が続けて起きる場合、時間的に先に起きた結果を原因として見てしまう。あるいは構造のより基本的、要素的な部分の結果を原因として見てしまうのではないだろうか。
(2013年 西尾幸敏)

 今回の話、「運動変化の話が全然出ていないではないか!主旨と違う!」と怒られるかもしれない。そのうちこのネタで運動変化についての話を書くつもりですが、今しばらく時間を下さい。Q & Aでここを先に引用したので、とりあえずアイデアの紹介だけです(^^;))
今回の文献、CAMRのFacebookで教えてもらいました。
大森荘蔵著作集 第二巻「前期論文集Ⅱ」,岩波書店,1998.より「決定論と因果律」「記号と言語」