「麻痺は治る」と主張する人へ
2023年1月31日
「麻痺は治る」と主張される人へ(前編)
以前からそうなのだが、最近になってもSNS上で「脳性運動障害の麻痺は治る、治せる」という旨の「ささやき」をする人は絶えない。
たとえば「やはり麻痺は治ると信じてアプローチすることが大事なのだとつくづく実感しました」などである。まあ、あまり声高に、明確に主張しているのではなく、囁いているわけだ。
以前は「脳性運動障害による麻痺は治ります!治して見せます!」と強く主張する人にしばしば出会ったものだ。まあ、こう言われると「科学論文として是非とも発表してみてください」と言いたくなる。もし本当なら「ノーベル賞ものではないか!世界の人々が賞賛するよ!」ということではないか。
しかし大抵は、「それが科学論文として発表するのは難しい。麻痺の改善の程度を数値として表すのが難しいからだ。しかし、臨床経験として間違いなく麻痺は治っていると実感している」などと返されたものだ。
そこで「麻痺が改善しているとどうして言えるのか?」と聞くと、「ハンドリングで動きを正して、繰り返し感覚運動学習をすると、たとえば歩行時の患側下肢の振り出しが大きく、力強く、まっすぐに振り出せるようになる。運動が量的にも質的にも改善していることが実感できる。つまり健常な人の歩行に近づいている。麻痺による運動問題に対して脳が新しい運動パターンを再学習することによって筋活動が高まり、脳機能が機能的に改善した結果である」などと答えられる。
これは簡単に言うと、「下肢の振り出しのパフォーマンスが量的・質的に良くなっているので、これは原因となっている麻痺が良くなっている証拠である」と言っているわけだ。「脳性運動障害の運動問題の原因は麻痺である。脳神経が壊れて、筋活動あるいは運動プログラムが消失するのが原因で運動パフォーマンスが落ち、独特のパターンに支配される。逆に運動パフォーマンスが改善しているのは、その原因である麻痺が部分的にでも改善した、あるいは運動プログラムが再学習されたからだ」ということだろう。
どうも極めて素朴で単純な因果の関係を想定しているらしい。この考え方は学校で習う要素還元論による因果関係論のもっとも極端な現れ方であろう。
要素還元論とは、複雑な現象は、より基本的と思われる要素に原因を還元して(戻して)説明しようという立場である。たとえば学校で習うように「歩行能力低下の一つの原因は下肢筋力の低下である」と因果の関係を想定するわけだ。
この場合、まるで人の体をロボット、脳をコンピュータに喩えて理解している。脳機能の再建とは、正しい感覚入力による運動プログラムの再入力のようなイメージで捉えられている。
ロボットの組織的な運動変化なら、その原因はほとんどコンピュータに還元できる。そしてこのロボットをお手本に人の運動変化を理解し、説明する。人の運動変化は脳が起こしているのだ、と。
つまり脳性運動障害では、運動の改善や悪化の原因は基本的な原因となる要素「脳の働き」に還元して説明する。
このような単純な構造で人の運動システムを理解していると、「脳機能の低下→運動パフォーマンスの低下」であり、逆に「運動パフォーマンスの改善→脳機能の再建」と単純に思えてくるのだろう。
だからこの考え方をする人は、ハンドリングや感覚運動学習という言葉を使って麻痺肢を操作しながら、「筋肉に働きかけているのではない!感覚入力を通して脳に働きかけているのだ」といった説明を行う。
しかし、脳機能の改善を仮定しなくても、運動パフォーマンスが質的・量的に改善するという説明は可能である。「運動パフォーマンスの改善≠脳機能の改善」というわけだ。次回、システム論の立場からこの説明の一例を紹介しよう。(後編に続く)
2023年2月7日
「麻痺は治る」と主張される人へ(後編)
さて、前回は脳性運動障害では運動パフォーマンスの改善や悪化などの変化の原因は、脳の働きの良し悪しとして説明される訳で、これが要素還元論の特徴であると述べた。
関係する要素群の中で一番重要な原因となるような要素、たとえばここでは「脳の働き」に運動パフォーマンス変化の原因を還元(より基本的と思われる要素に戻して説明)するわけだ。
これをシステム論の立場から見ると、「運動パフォーマンスは、様々な要素の相互作用によって生まれ、安定する」ということになるので、上のような単純な因果関係の説明ではなくなる。
たとえばシステム論では歩行パフォーマンスの改善の説明の一つは、以下のようないくつかの要素あるいは運動リソース(運動のための資源)間の相互作用として説明されるかもしれない。
訓練を通して、
① 体幹や股関節などの柔軟性の改善による運動範囲、重心移動範囲が改善する
② 健側上下肢、体幹の筋力改善が起きる
③ 麻痺側下肢の筋力改善(研究によると麻痺があっても筋トレによる改善効果は数%見られる)も起きる可能性がある。麻痺自体が改善するという意味ではない
④ 患側下肢の支持性の改善(電気的な筋活動が見られなくても、キャッチ収縮のような筋電図上で測定できない筋張力の増加現象が知られている)
⑤ 様々な身体活動を経験することにより、患側下肢の支持性が思った以上に良いと認識する、つまり経験的に次第に麻痺側下肢を使えるようになる(情報リソースのアップデートが起こる)
そうするとそれらの要素(運動リソース)間の相互作用として、以下のようなことが起こり得る。
まず患側下肢の支持性が増してくる。さらに患者が麻痺側下肢に体重を繰り返しかけることによって「麻痺側下肢は意外にしっかり支えてくれる」と認知すると、患側下肢での荷重時間の延長が起こる。そうすると広がった可動域や重心移動範囲の拡大と共に健側下肢の筋力改善による蹴り出しにより前方へ大きく振り出せるようになる。筋力とバランス能力の改善によって体幹の安定性なども増している。その結果、体幹の前方への推進力が高まり、歩行速度も上がる。自然に患側下肢も前方に出た体幹に引っ張られることになり、分回しのような運動スキルに頼らなくても、慣性の力が加わって、下肢はよりまっすぐにより力強く前方に振り出されるようになる・・・
関係する要素群(あるいは運動リソース群)が変化し、その相互作用の結果として運動パフォーマンスは改善する。この説明は、以上のように力学的な視点での説明も可能である。むしろこのような説明の方が、「麻痺が改善した」と一気に飛躍した結論に飛びつくよりは実際的ではないのか。
まあ、「運動パフォーマンスの質的・量的改善は必ずしも麻痺が治った証拠」とは言えないわけだ。
それに上のような改善は、「脳に働きかける」と大上段に構えなくても、誰でも適切な運動課題を積み重ねることによって比較的短期間に達成可能である。(詳しくは拙書「リハビリのシステム論-生活課題達成力の改善について(前・後編)」を参考にしてください)
単純な因果関係論の視点だけに頼っていると、運動変化の原因をすべて脳に還元してしまい、「脳性運動障害で運動パフォーマンスが良くなるのは麻痺が改善しているからだ」と素朴に信じてしまうのではないか。
本来、人の体をロボット、脳をコンピュータに喩えるのは変な話である。ロボットは人の動きを人工的に作ろうと、その時の技術でなんとか人の動きを真似しようとしているだけだ。決して人の運動システムを再現できているわけがない。つまり人の運動システムと機械システムの作動は全く異なっているのに、今度はその人工的なロボットの構造と働きを基に私たち、人の運動システムの作動を説明・理解しようとしているわけだ。主客転倒も甚だしい。
いい加減、「わかりやすいから」と脳をコンピュータに喩えるようなアナロジーは捨てた方が良いのではないだろうか。人の運動システムの作動は人の運動システムの作動を見ていくことでしか理解できないはずである。(終わり)