5分でわかるシステム論
2019年10月15日
5分でわかるシステム論(その1)
「天動説と地動説、どちらも正しい」と言ったのはヴィトゲンシュタインと言われています。地球上に立って天空を見上げれば天動説は確かに正しく、太陽の上に立ったと仮定すれば地動説は確かに正しいと言っているわけです。同じ現象でも異なった立場で見れば異なった説明が成り立つということですし、どの立場に立って説明しているかを知ることが実はとても重要です。
僕達は学校で運動システムをある一つの立場で理解するよう教育されてきました。それは運動システムを見る時は外部の観察者として、目に見える構造と機能を理解することです。簡単に言えば解剖学と運動学で理解します。この立場では、運動システムは皮膚に囲まれた身体そのものであると考えますよね。そして構造・機能を要素・部位毎に切り分けて理解します。大雑把に言うと、脳は状況を判断し、どう動くかを指令するところ。神経は伝達、骨・関節は支持と力に方向性を与える、筋肉は力を生み出す、循環・呼吸器系は・・・・・といった具合です。この立場を要素還元論的立場と呼びましょう。
さて、地球を含む天体の動きが地動説と天動説で異なったように、人の運動システムも別の立場からは異なったように理解され、説明されます。たとえばその一つがシステム論の立場です。
システム論と言うとなんだか難しそうに感じるかもしれませんが、実は私たちはシステム論の視点を日常生活でも無意識に使っていることをよく見ます。
たとえばやり手のベテランセラピストが訓練に行き詰まった時に、「発想の転換だ」などと言ってシステム論の視点からのアプローチをしているのを見ることがあります。それで「思いのほかうまく行ったよ」などと言っています。もちろん本人達はそれがシステム論の視点だとは知りません。でもある考え方で上手く行かない時には、思い切って別の考え方・見方をすることによって解決・問題突破することはよくあることなのです。そこにあるのは現象や物事を見る時の視点を変えてみることなのです。
ベテランは長年の経験から別の視点で問題を見なおすことを知っているのですね。その幾つかある視点の一つがシステム論の視点であることも珍しくはないのです。もしこの視点を変えることを意識的にできるとしたら、つまり学校で習った要素還元論の視点とシステム論の視点を自由に行き来できるとしたら、問題解決者としてのセラピストの能力は格段にアップすることでしょう。一つの問題を異なった複数の視点から理解できるのですから。
今回のシリーズでは、システム論の視点から運動システムを理解することを目標に書いていく予定です。とは言え、別の視点を身につけるというのは実はとても難しいことです。それでも毎週5分程度のこの短いエッセイ・シリーズを読んでいけば誰でもシステム論のことが少しは理解できるはずです!(^^;)(続く)
2019年10月22日
5分でわかるシステム論(その2)
前回学校で習う視点では、「人の運動システムは外部の観察者として、目に見える構造と機能を理解する」と説明しました。ではシステム論はどのような視点で人の運動システムを理解するかというと、人の運動システムを内部から観察してみましょうと提案しているのです。
「そんなことできる訳ないじゃん」と言われそうですが、そこは想像力です。だって地動説だって太陽に実際に立って地球と太陽の動きを観察したものではなく、太陽の上にいると仮定して考えたものです。地上から見た天体の動きが太陽に立ってみるとこんなふうに動いているはずだ、と。ともかくあまり細かく考えるのは止めて一度人の運動システムの中にダイブしてみましょう!そして内部から観察してみるのです。
最初にダイブするのは健康な若者の運動システムです。
「若者はお腹を空かせ目が醒めます。そしてベッドから起き上がります。ドアを開けて廊下に出ると台所へ向かいます。そして冷蔵庫のドアを開けて何かすぐに食べられそうなものを探します。生肉のパックや白菜が見つかりますが邪魔なので脇にどけます。すると白菜の奥に新聞紙の包みを見つけます。とりだして開けてみるとバナナの束が出てきました。1本引きちぎると残りのバナナは脇に挟み、片手でバナナを立て、もう片手で皮をむいてかぶりつきます・・・」
さあ、どうでしょう?若者はお腹を空かせているので台所に行って何か食べようとしますね。通常私たちは意識的・無意識的に関わらず必要な課題を持つだけで良いのです。そうすると実際にどう動いてどのように課題達成するかという方法は運動システムが自律的に生み出してくれます。一々運動システムに運動の指示を出す必要もないのです。「何か食べたい」→「台所に行ってみよう」→「冷蔵庫を開けてみよう」→「すぐに食べられそうなものを探そう」→「バナナを食べよう」などと自分に必要な課題を選択するだけで、身体がその達成方法を自立的に生み出します。
むしろよく言われるように、歩行なども手や脚の動きを意識すると却ってぎこちなくなってしまいます。課題達成のための動きをどうするかは運動システムに丸投げしてやれば良いのです。意識は課題達成の結果を見てやり直しや他のリソースの選択や工夫に協力してやれば良いのです。
さて・・・
「バナナにかぶりついている若者の前に父親が現れました。若者は父親がとても嫌いです。だからさっさとその場を立ち去れば良いのですが、それではなんだか自分が父親を恐れて逃げ出したと認めてしまいそうで嫌なのです。だから逃げないで立ち向かう必要があると意識します。そこで若者は父親のことを無視して悠々とバナナを味わう振りをします。しかし、彼の右脚は自然に出口を向いてしまいます。若者は意識では父親に立ち向かっているつもりでも、無意識に身体は一刻も早く父親から逃げるために部屋を出たがっているのです・・」
人は意識的・無意識的に常に必要な運動課題を選択しています。運動システムはそれらを自律的に達成しようとします。この若者は意識的には父親に対する反発、同時に無意識には恐れや畏怖のような矛盾した感情を抱えているようです。結果、このように意識的な振る舞いと無意識の振る舞いが矛盾したまま同居していることもよくあるのです・・・・
こうして最初にわかる人の運動システムの作動の性質は「人の運動システムは、意識的・無意識的に選択される運動課題を自律的に達成するために作動している」と言うことです。なんだ、当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、システム論の視点はまずここからスタートする必要があります。この運動システムの作動の目的を明確にすることで、これに続く作動原理がより明確になるからです。次回は「廃用のご老人」の運動システムにダイブする予定です!(^^)(続く)
2019年10月29日
5分でわかるシステム論(その3)
今回は廃用症候群の老人の運動システムにダイブします。ドボンッ!
「老人は喉が渇いたと意識します。妻を呼ぼうとしますが、先ほど買い物に出かけて今は家に一人です。今の喉の渇きはいつになく強いのです。『きっと朝食のあとにわさび味のやわらか昆布を食い過ぎたせいだろう』と思います。仕方なく自ら台所へ行ってみようと思います。椅子から立ち上がろうとしますが気張ったところでお尻が浮き上がりません。もう数ヶ月、1人では立ち上がっていません。無意識に役に立ちそうなものを探します。座面に手を突いて立とうとしますがうまくいきません。杖を前に突いて、それを支えに立とうとしますが、力を込めても手と杖は左右に揺れるだけでお尻は持ち上がりません。一旦諦めます。しかしそうするとますます喉の渇きが強くなってきます。妻がいつも座っている椅子が前にあるのですが少し手が届きそうにありません。なんとかしようと焦っている内に、杖を逆さまに持ってT字型の握りの部分を椅子の脚に伸ばして引っかけ、こちらに引き寄せることに行き着きます。そして何とか手が届く距離まで寄せました。彼は身体を前に大きく傾けて両手を妻の椅子の座面の縁にかけました。いろいろと力を込めたり、別の場所を持ったりと試行錯誤を続けますがうまくいきません。しばらく後、思い切って座面を両手で引っ張ると身体が更に前に向かい、同時にお尻がふわっと浮き上がります。老人は奮い立ちます。この方法で立ち上がるのではないか?もう一度繰り返し、更に両足に全力を込めます。そして両手で座面をしっかり押しつけたまま、何とかお尻を持ち上げることができました。片手で杖を掴み、椅子の肘置きと杖を使って何とか身体をまっすぐに立ち上げます。一旦立ってしまえばなんとか杖ともう片方の手で家具などにすがりながら歩くことができるのです」
今は廃用で弱った老人の運動システム内部にいますね。「水を飲みたい」という課題があるため何とか台所に行こうとします。そのためにまずは立ち上がりですね。これが全身の筋力低下があるためなかなか簡単にはいきません。
老人はまず身体内の運動リソース(運動課題達成のために使える資源)である筋力、特に下肢筋力を使って立とうとしますがこれはダメですね。そこで他に利用可能なリソースがないかを探します。座面を押してみる、杖を支えにするなどと試行錯誤を重ねます。しかしうまく課題達成できないので一旦諦めてしまいます。
しかし喉の渇きは運動システムが諦めるのを許しません。運動システムはもっとしっかりした別のリソースが必要なのだと悟っています。そこで妻の椅子に目が行きます。しかしこのままでは届かないのですが、杖が「ものを引き寄せる」ことに役立つことに気がつきます。無事椅子を引き寄せると、椅子の使い方をしばらく探索します。課題達成のための運動リソースの使い方を運動スキルと呼びます。そして最終的に椅子を使って立ち上がることに成功します。
この運動システムの一連の作動には、運動システムの作動を特徴付ける実に多くの出来事が観察されます。まず運動システムは必要な課題を達成するために作動しますが、その課題達成に問題が起きると、何とかそれらの問題を解決して課題達成を図ろうとします。そのためにさまざまな運動リソースを身体の内外に探索し、課題達成のための運動スキルをさまざまに試行錯誤します。
こうして2番目と3番目の作動原理がわかってきます。
2番目「運動システムは課題達成に問題が生じると自立的に問題解決を図って課題を達成しようとする」
3番目「運動システムは課題達成や問題解決のために、身体の内外に運動リソースを探索し、その利用方法である運動スキルを試行錯誤する」(続く)
2019年11月9日
5分でわかるシステム論(その4)
前回ダイブした老人の運動システムの作動を更に観察してみましょう。
「老人は妻の椅子を利用して立ち上がり、台所に行き水を飲むことに成功しました。帰宅した妻は夫が台所に座っていることに驚き、喜びました。『あなた、凄いわ!』人生何がきっかけで変化が起こるかわかりません。妻の賞賛は夫を強くするものです。退職以来なにもせず、ダラダラと過ごしていた老人は久しぶりに妻からの賞賛を受けました。そしてこれに気を良くし、ことある毎に妻の椅子を使って立ち上がることを繰り返しました。妻はこのことを更に喜びました。
ふと気がつくと老人は妻の椅子を使わずに立ち上がることができるようになっていました。そして椅子以外にもベッドやソファ、トイレの便座からも立ち上がれるようになります。活動内容も行動範囲もどんどん広がり、夫婦2人で幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし(^^;)」
今回の観察も詳しく見ていくと、運動システムの作動原理がいくつか含まれています。
まず最初の立ち上がりの時にはさまざまなリソースとそれを利用するためのスキルが試行錯誤されました。身体の内外の区別なく、課題達成のために利用できそうなリソースは何でも利用します。これが4番目の作動原理になります。
4番目の作動原理「運動システムは利用可能なリソースは何でも利用しようとする」
様々なりソースとスキルが試されたあとでは妻の椅子を使った立ち方だけがうまくいったのでこれを繰り返します。そして次第に妻の椅子を使った立ち方が上手になります。これは5番目の作動原理になります。
5番目の作動原理「うまくいった、あるいはできる運動スキルを繰り返し、熟練・自動化していく」
これはつまり「上手くいかない、意味や価値を生み出さない運動スキルは繰り返されないで消えていく」ということも意味しています。
また起立や歩行を繰り返したおかげでいつのまにか下肢筋力や身体の柔軟性という運動リソースが改善していたのですね。ある日、もう妻の椅子というリソースとそれを使って立ち上がるというスキルを利用しなくても、下肢筋力というリソースをメインに起立のスキルができるようになったのです。ずっと簡単に立てるようになったわけです。これは6番目の作動原理になります。
6番目の作動原理「より良い、より価値のあるスキルが見つかると自然に切り替わる」
これらの作動原理を理解すると、構造や運動学では理解できなかった運動変化はどう起きているかという運動変化の特徴や運動変化を効果的にどう起こすかということがわかるようになってきます。
また妻の賞賛が夫を奮い立たせ、意欲的にする様子が観察されます。運動システムは機械と違って、さまざまな感情の影響を受けるものです。失敗したり、運動の成果が小さいとパフォーマンスは低下しますし、楽しかったり成果が大きいとパフォーマンスは高くなります。妻の賞賛は非常に重要なリソースとして夫の課題達成のパフォーマンスに影響していたことがよくわかります。(続く)
2019年11月12日
5分でわかるシステム論(その5)
さて、ここまでで視点の違いを一度まとめておきましょう。
学校で習う立場では、運動システムは外部から観察します。結果理解できるのは外部から観察可能な姿勢・運動の形や変化、目に見える構造と機能です。
一方システム論の立場では、運動システムの内部から見るので、運動システムの構造もそれを構成する要素群も、運動や姿勢の形もまったく見えなくなります。代わりに見えてきたものは、運動システムの作動の意味であり、作動やその変化がどのように起きているかという作動原理、そして課題が達成されたかどうかの結果です。
また学校で習う立場では人の運動システムは目に見える皮膚に囲まれた存在です。しかし内部から見ると意外にも運動システムは皮膚の内部と外部をあまり区別していないのです。課題達成や問題解決のために利用可能なリソースは身体の内外に存在するため、運動システムは皮膚の内外を区別する必要はないのです。運動システムは使えるものは何でも利用します。必要や状況に応じて身体そのもの筋力・柔軟性の性質、杖や椅子など環境内のもの、介助してくれる人などを自らの運動システムの一部として利用して課題を達成していきます。
つまり学校で習う立場では目に見える構造、つまり皮膚の内側が運動システムであると定義します。一方システム論では、課題達成や問題解決に関わる作動によってその時その時の自らの運動システムの境界を決定していると考えます。地上を歩くためには大地がシステムの一部となりますし、水の中を泳ぐときには周りの水がシステムの一部になります。歩行時にセラピストが介助してくれればセラピストを自らの運動システムの一部として利用するのです。つまりさまざまな環境の中で何を達成するかによって運動システムの構造はどんどん変化します。システム論では構造はどんどん変化するのが当たり前で、運動システムを構造で理解することはあまり重要ではないのです。
しかし6つの作動原理はどんな状況でも不変なので、作動原理で運動システムを理解することが重要になります。6つの作動原理をここにもう一度まとめておきましょう。
運動システムは、
①常に人にとって必要な課題を自律的に達成しようとする
②課題達成に問題が生じると自律的に問題解決を図ろうとする
③課題達成や問題解決に利用可能なリソースは身体の内外に関係なく何でも利用しようとする
④課題達成や問題解決に役立ちそうな運動リソースを見つけ、達成や解決に利用するための運動スキルを試行錯誤する
⑤うまくいった、あるいは価値を生み出すスキルを繰り返し、熟練・自動化していく(価値を生み出さないスキルは繰り返されないで消えていく)
⑥より良い、より価値のあるスキルが見つかると自然に切り替わる
この6つの作動原理は、システム論を基にしたCAMR(医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ、Contextual Approach
for Medical Rehabilitationの短縮形で"カムル"と呼びます)が提案しているものです。次回はCAMRについて簡単に説明しましょう。
続く
2019年11月19日
「5分でわかるシステム論」最終回です。少し中途半端な内容になりました。いつかまた改めて書き直そうと思います(^^;)
5分でわかるシステム論(最終回)
CAMRはシステム論を基にしています。とは言ってもシステム論というのは様々な領域でさまざまなものが存在しています。ここで用いている視点、「運動システムの内部から観察する」はオートポイエーシス論の中の一つのアイデアを参考にしています。これはチリの生物学者であるヴァレラとマトゥラーナによって提唱されたものです。第3世代システム論と呼ばれたりもします。
これがシステム論とひとくくりにするような明確な枠組みはなくて、なんとなく「世の中のさまざまな現象はそれに関係するさまざまな要素の相互作用として起きている」と考えるところが共通と言えるでしょう。それでそんなシステムはどう成り立っているか?とかシステムはどう生まれているか?とかシステムをシステムたらしめている秩序はどう生まれるのか?とかさまざまな疑問に答えるためにさまざまなシステム論が生まれているわけです。
CAMRも「運動システムとはどんなに作動しているのか?」に答えるために生まれてきました。
ただ理論というとすぐに「その理論は真実か?」などと聞く人がいます。信頼に足る理論だけを信じるという訳です。「真実は常に一つ」というコナン君みたいな感じでしょうか?
しかしCAMRでは、理論は道具であると考えています。臨床のセラピストが現場で出会うさまざまな運動問題を説明し、解決するための道具です。道具なら複数持って状況によって使い分けた方が良いですよね。たとえば地面に穴を掘る時にも、岩場ではツルハシが、砂地ではショベルが有効です。理論もどの視点から見たアイデアか、長所と短所などをよく理解して、状況によって使い分ければ良いのです。
また道具なら「そのツルハシは真実か?」と聞くのはナンセンスですよね。臨床家は、自分の仕事現場で何をするかを考えて、利用できそうなものを道具として使っていくのです。道具だからこそ、「その道具は役に立つか?どんな場面で役に立つか?」と聞いて頂けると答えやすくなります。
ではCAMRのアイデアは道具としてどんな役に立つか?たとえば先の作動原理の2番目を見ると、「②課題達成に問題が生じると自律的に問題解決を図ろうとする」とあります。これは実はお馴染みのアイデアで、背部痛が起きると、身体を棒の様に硬くして痛みが起こりにくくします。腓骨神経麻痺で下垂足が起こると、つま先が引っかからないように膝を高く挙げて歩きますね。このように人の運動システムは問題が生じると、自律的に問題解決を行うことはよく知られています。
ところが脳卒中後には陰性徴候と陽性徴候の二つの異なった症状が生じると説明されてきました。しかしそのどこにも運動システムの問題解決が起こるとは説明されていません。これはとても奇妙なことです。脳卒中では傷害後に見られるさまざまな現象が全て症状であるとみなされ、運動システムの自律的な問題解決が行われているとは考えられない傾向にあるのです。
でも「問題解決があるはずだ」というCAMRの作動の視点で見てみましょう。
急性期の脳卒中の患者はベッド上の真ん中に寝ているのに、「落ちる、落ちる」と不安を訴える方がいます。急性期には麻痺側は弛緩状態です。つまり麻痺側は可動性のある骨格が水の袋に入っているような状態です。重力によって床に押しつけられ、安定するまで広がります。これによって引っ張られて落ちるという感覚が生まれてしまうのでしょう。弛緩した状態では支持もできないし、動くこともできないのです。
そこで運動システムは問題解決として、動くために身体を硬くするリソースを探して身体を硬くするのではと考えられます。使われる手段は前角細胞での過活動やキャッチ収縮、その他です。そしてこれらによって麻痺側を硬くするのです。結果、患者は麻痺側を一つの塊として引きずってでも動けるようになります。この問題解決はCAMRでは外骨格系方略と呼ばれます。
つまりCAMRでは脳卒中後には陰性徴候が症状であり、陽性徴候はむしろ運動システムの自律的な問題解決であると考えるのです。
視点を変えて見るとはこういうことです。天動説と地動説のようでしょう?それまで常識と思っていたことがガラガラと音をたてて崩れ、まったく異なったものが見えますよね。そうすると何をするべきかというアプローチも自然に変わってきます。もちろん常識が崩れることへの抵抗も大きいでしょう。拒否がでることも知っています。
ただ、このアイデアもまた一つの視点と言うことです。僕が信じているかというとそれほどではありません。視点を変えることで別のアプローチができるので便利だなと言うのが正直なところです。まあ、どちらであれ、急いだことではないのでゆっくりと考えてみてください(^^)
以上、システム論の視点を中心にCAMRのことをざっと紹介してみました。「5分でわかるシステム論」はこれでおしまいです。急ではありますが、同じテーマを長々と続けると読者数が減ってくることがわかっているので、また形を変えてこのテーマは出てくるでしょう。来週からは少し異なったテーマで書いてみます。それでは、また来週ーっ!(終わり)