その11 問題解決に原因の探求は必要か?(その2)

西尾幸敏 2013/6/26
 家族療法(あるいは短期療法)はシステム理論を基にした心理療法である。だから基本的には根本原因を追及したりしない。では心理療法の中で原因追及をするものがあるかというとあの有名な「精神分析」がある。
 精神分析では現在の問題、たとえば夫の振る舞いで夫婦間に問題が起こるとする。そうするとその夫の振る舞いの原因を幼少期の経験などに求めたりする。そして幼少期に足りなかった愛情経験を今、似たような形で経験しましょうみたいなことをしたりするのかも・・・と思う。あるいはその原因に気がついただけでも良くなるのか?
 まあ僕は専門外なのでよく分からないが、一般に精神分析というのはとても長い時間がかかるらしい。しかもそれで問題が必ずしも解決しないものも多いらしい。
 
 精神分析のようにある現象の原因を特定の要素に求めるようなアイデアの枠組みを還元論、あるいは因果関係論という。精神分析の場合、現在の問題の原因を、過去の経験に還元する。(一見複雑な現象もその根源的な原因で説明する、といった意味。たとえば夫の問題行動は幼少期の経験に還元する、など)
 このアイデアの問題は、根源的な原因と思われるところを説明するので、根源的な解決法を導き出す・・・という幻想を生み出すことだ。前回でも説明しているが、根源的な原因を求めて、とても素晴らしい因果の関係を説明したところで、根本的な解決法を導き出すわけではない。単純に考えると、この場合に根本的な解決を望むなら、タイムマシンにでも乗って子供時代の経験を変えるしかないではないか。
 
 この精神分析で見られるアイデアの流れは、僕達医療的リハビリテーションの現場でも参考になる。
 たとえば脳性運動障害では、運動障害の原因は脳の障害にあるとされる。筋も関節も問題なく、脳細胞が壊れたから問題が出るのだ、と。(まあ、その通り)
 だったら脳を機能的に治したら良いではないか、となる。壊れた細胞は再生しないが、脳は使われていない細胞も多いので、その部分で失われた機能を代償すれば良い、などと考える。そして感覚入力によって、運動を学習すれば新しい回路が脳内に形成され、失われた機能を代償するのではないか?これはまさしく根本的な解決である・・・となるのも無理はない。
 ただ神経生理学的アプローチなどが日本に入ってきて、もう半世紀以上が経つのだろうか。しかし決してそんな根本的な解決は実現しなかったように思う。仮説そのもの、あるいはその過程のどこかが間違っていたのである。脳に根本的な原因がある、としたところで根本的な解決法は今のところ見つかっていない。
 もちろんその仮説が実現したら素敵だ、と本気で思う。僕としては「脳の機能を治す」という方向性を全面的に否定する気はない。科学の発達は思いもしない方向へ人類を導くかもしれない、とは思ったりするから。
 しかし現時点で、その選択肢が間違っているなら、臨床家は別の可能性を探るべきだろう。研究者の方が将来のベストを求めて現在を努力するのは分かるが、現在の問題は解決されることを求めて臨床家の目の前に存在するのだ。
 「自分の技術が未熟だ」とか、「クライエントの理解が足りない」などと言い訳して、間違った解決法(偽解決)の袋小路にはまり込んではならない。
 
 さて一方で、もう一つの臨床での選択肢、原因究明を図らないシステム理論からアプローチを組み立てるとどうなるか・・・詳しくは講習会で(^_^;

P.ワツラーウィック/J.ウィークランド/R.フィッシュ 長谷川啓三訳
「変化の原理 問題の形成と解決」りぶらりあ選書/法政大学出版局