西尾です。しばらく休ませていただきました。おかげで気分もリフレッシュです。今月末の広島市の勉強会の方への参加もよろしくお願いします(^^)
「リハビリ・ドック」に魅せられて 2015/2/13
-強化型老健への道(その7) 生活問題解決編
当初、リハドックを開始した頃には、メインのサービスは実は「運動パフォーマンスのアップ」のみであった。しかし初期の利用者様に強烈なリハビリ拒否の方がおられ、まったく訓練ができないことがあった。そして訓練できないまま、入所3週目の退所前会議で、僕はご家族やスタッフになんと言い訳したら良いのか、あるいは謝ったらよいのか途方に暮れていた。
そんな中でご家族様が会議開始と共に、「今回は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられた。それは失禁にまつわる様々な介護の手間が軽減されていたことに対しての感謝であった。
リハビリの訓練拒否については「まあ、あんな人ですから無理もありません」とあっさり言われて、僕も深々とお辞儀をした。それはご家族様に申し訳ないという気持ちと同時に、介護職や他の職種に対する深い感謝の気持ちでもあった。いろんな意味で救われたし、 「生活問題解決」だけでもリハドックは成り立つ、ということに気付いた瞬間であった。
これ以来「生活問題解決の手法」なるものを早急に発達させる必要を感じたのだった。(その8に続く)
西尾です。パート生活に入った当初は、「増えた自由時間を無駄にしてはならぬ!」とやたら空回りしてしまいました。今はもう休みの多さにもすっかり慣れてしまいました(^^;
「リハビリ・ドック」に魅せられて 2015/2/20
-強化型老健への道(その8) 生活問題解決編
在宅生活を続ける上でご家族から相談の多い生活問題の一つは失禁です。
普通失禁があればリハビリパンツや紙パッドを使って問題解決を図りますよね。しかしリハビリ・ドックに持ち込まれる問題の多くは、普通の解決法が使えない場合が多いのです。
たとえば「失禁があって介護の手間が大変なんです。でも本人はプライドが高くて、どうしてもリハビリパンツや紙バッドを使ってくれません。それでしょっちゅうおしっこで汚れて掃除と洗濯物が増えてもうヘトヘトです」とか「しょっちゅう転ぶんですけど、必ず一人で歩くんです。人にそばにつかれるのを嫌がるんです。家族でも嫌がるんです。それでいつも転倒を繰り返すんです」などという方が多いのです。
ご家族は普通に思いつく解決案「リハビリパンツを使う」とか「歩くときは付き添って歩く」が使えません。それでご家族は「いつも問題を起こすのに私たちには問題を防ぐ手段がない。問題が起きたら大変な後始末をただ延々と繰り返すだけ。もう在宅生活を続けるのも限界だわ!」という非常に高いストレス状態に置かれています。
実はご本人様も同様です。「問題を起こすのは不本意だ。問題なんか起こしたくない。好きで問題を起こしているわけでもない!だから自分なりに努力を続けてきた。そこを分かってくれない!しかも紙パンツはイヤだ。大いに不本意である。だからこれも使わない努力を続けるつもりである。さらに今回施設に入れやがって!実にけしからん!!」と高いストレス状態に置かれています。
リハビリ・ドックを始めた当初、職員も「失禁は治せないし、リハビリパンツを使ってくれないなんて、どうしたら良いの?どんな解決法があるって言うのよ!上手くいかなかった場合、ご家族になんと言い訳したら良いの?」と高いストレス状態に置かれています。
三者三様に、それぞれの問題で板挟み状態、どんどんと悪循環の袋小路にはまっていたのです。
さて悪循環による袋小路の状況打開に有効なのが実はシステム論的アプローチによる解決方略でした。CAMRでは運動問題解決のためにシステム論を基に築き上げたアプローチですが、そのまま生活問題解決にも役立つことが分かりました。(その9に続く)
西尾です。来週はまた講習会を受けます。今から楽しみ(^^)
「リハビリ・ドック」に魅せられて 2015/3/9
-強化型老健への道(その9) 生活問題解決編
「リハビリ・ドック」に魅せられて
システム論で見ると、利用者様は自律的な運動問題解決者あるいは課題達成者であり、家族は自律的な問題解決を行うシステムである。ただ、たまたま、リハビリ・ドックの対象者は手をつけた解決策が「偽解決」や「貧弱な解決」だったために悪循環や停滞の袋小路にはまり込んだだけ、と考えることができる。
従ってシステム論的解決方略では、運動の停滞や悪循環が生じる状況、あるいは家族の問題が生じるその状況を変化させることに焦点を当てることになる。状況が変化すれば、結果も自然に変化する。
たとえばしばしば「失禁」が問題になっている。夜中に失禁による汚染があり、介護者の睡眠時間が減り、洗濯物の山ができる・・・原因は失禁だからと「失禁が何とかなれば・・・」という偽の解決をご家族が求められると、状況はドンドン悪くなる。失禁は治せないことが多いからだ。結果、利用者様がなんとなく責められる状況に置かれたりもするし、腹を立ててお互いに相手を責め合ったりするという更に悪い循環にはまってくる。
こんな場合、紙パッドを選定し、おむつの当て方、水分摂取の時間などを変化させる。ねぎらいの言葉かけなども工夫する。すると失禁はあっても汚染が起こらなくなる。つまり失禁しても衣類交換や洗濯というそれまであった介護の過程が省かれ、状況が変わってくる。他にも新しいリソース、スキル、習慣などその時、その場で行える状況変化はできるだけ行う。
こうして失禁は相変わらずだが、失禁自体はご本人にとってもご家族にとっても問題ではなくなる。家族内での言い争いも減り、余裕が生まれ、「気遣いの言葉を言ってくれたんです!」と良循環に入った報告が聞かれたりもするのです。(次回最終回へ続く)
西尾です。新しいシリーズを始めたばかりですが、実は前のシリーズが終わっていないことに今日気がつきました(^^;もう投稿したつもりでした。お恥ずかしい(ーー;)取り急ぎ書いてみました。
「リハビリ・ドック」に魅せられて 2015/4/3
-強化型老健への道(最終回) まとめ編
この3年間で、リハビリ・ドックの利用者様は延べで100人を超える。
リハビリ部としてもチームとしてもその経験の中からできること、やるべきことが明白になってきた。
それは、利用者様にしてもそのご家族様にしても、スタッフ側が「何とかしてやろう」、「快刀乱麻の解決策を提案しよう」と気張ってみても上手くいかないということである。実際のところ僕たちはそんなに色々凄いことができるわけではない。
CAMRやシステム論的アプローチでは、個人なり家族なりを自律的な問題解決システムあるいは課題達成システムとしてみることがポイントとなってくる。僕たちにできることは、個人や家族がそれまでとは異なった状況で日々の活動を送ってもらうということだ。異なった状況で自律的なシステムが作動すれば、それまでとは異なった結果が現れる。その結果がそれまでよりは好ましいものではあればそれを繰り返し、そうでもなければもっと好ましい結果が出るように状況を変化させるだけである。
つまり僕たちにできることはせいぜい状況変化を起こすだけで(イヤ、これだけでも大変なのだが)、それでどんな結果を出すかは、自律的なシステムであるご本人やご家族にお任せすれば良いのだ、ということが分かってきた。
それで「CAMRは状況変化の技法である」と言っている。
実際僕たちはこのことをイヤと言うほど実感させられた。僕たちは運動が生じる状況やご家族の問題が起こる状況を変化させることで、歩行が急激に実用的になり、家族の問題が急激に消滅することをしばしば目撃することになった。
現在、僕たちは今、この場でできる状況変化に焦点を当てて、それを行うことにしている。徹底的に運動余力を改善し、紙パッドやいろいろな介助具などのリソースの提案を試みる。結果的にそれは問題解決の新たな選択肢をご家族に提案することであった。そして後は利用者様やご家族の選択を待つことにしたのである。
実際に経験してみないと分からないと思うが、状況変化がある方向に向かうと利用者様やご家族様は急速に自律的な変化を起こされる。それはスタッフ側が期待しているような変化ではなかったりもするが、「それがご本人様あるいはご家族様の選択であるから」と次第にこちらが納得するようになったのである。(終わり)