治療方略と治療技術 (その2)
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.25 No.1, p4-37, 2014) ”
これは上田法治療ジャーナルに載せた最後のエッセイになります。
これを機にこれを機に
②試行錯誤型治療方略
実は多くの臨床家は、「原因追及型治療方略」を唯一の方法と思っているわけではないと思う。原因を探りその原因にアプローチするのは正当な方法とは知っているが、原因が分かったからと言って現実的な解決法が生まれるわけでもないと知っている。またそもそも原因と結果の因果関係が明白な例は少なく、多くの場合、一つの現象は様々な要素の影響し合う中で生まれてくることが多いことを知っているからだ。
そんな時に僕たちを助けてくれるのが、試行錯誤型治療方略である。実際僕が出会った臨床家達で、クライエントの問題をできるだけ何とかしたいと思っている方はこの試行錯誤型治療方略を意識的・無意識的に使っておられたと思う。
この方略は原因を探って根本の解決を目指すと言うよりは、その時その場でできることを探り出し、それを実行してみる。そして少しでも状況が良くなるようであればそれを繰り返したり、もっと工夫したりしてより良い状況変化を起こそうとするアプローチである。環境調整したり、身体をいろいろ操作したり、これまでやっていない運動をしたり・・・今、この場できることから手をつけていくのである。
また最初は五里霧中の状態で、様々な試行錯誤を繰り返し、経験を積むうちに、原因は分からなくてもこうすればこの状況はこう変化するといった経験や知識を基に、次第に直感的により良い状況変化を起こせるようにもなる。
もちろん「理学療法士たるもの専門家として、現状分析から結果を正しく予測して治療にかかるのが当然」、「科学的根拠を基に治療を計画するべき」等という見識をのたまう方もおられる。この建前は強力で、簡単に否定できるものではない。しかし臨床の多くの場面では、因果の関係がうまく説明できなくても、明確な科学的根拠がなくても有効だろうとして使われているものは多い。こんなとき、建前論にこだわっていると私たちの使う治療方略も治療技術もまったく貧弱な物になってしまうだろう。(建前は建前なのである)
では試行錯誤型治療方略の例を挙げてみよう。片麻痺の患側下肢の麻痺が重くて、患側下肢を振り出せないクライエントを考えてみよう。
原因追及型治療方略では、股関節を屈曲させる筋群が麻痺していてその原因はその筋群を興奮させる脳細胞が壊れていると考えるのかもしれない。そこで生き残っている脳細胞群にこの筋群を活性化させるための活動を学習してもらう。あるいはその筋群を刺激して筋収縮を活性化させたりするのかもしれない。
一方僕が昔からとっている方法は、患側足部にタオルを巻く、あるいは古い靴下の先を切って、靴の爪先にかぶせるという方法だ。これは患側足部と床との摩擦を少なくする。こうして患側下肢を振り出すように指示する。クライエントは足を振り出そうとしたり、それでダメなら健側の下肢や体幹をやたらと動かしたりされる。すると患側下肢は良く滑るので、振り出しが偶然生まれる。そうすると今度はそれを繰り返され、やがてそのスキルは熟練し、割と簡単に振り出せるようになってくる。こうして自分一人で歩くことができるようになる。
特に脚が動かない根本の原因を追及しているわけでもない。
僕自身、現在ではこの過程をこう説明している。タオルを巻かない状態では、クライエントは原因はともあれ動かそうとしても脚は動かないという事実だけを経験している。こうして失敗の経験を積み重ねることで、クライエントは「自分の脚は動かそうとしても動かない」という現実を自ら作り出し、次第に動かすことを諦めるという悪循環にはまる。
しかしタオルを巻いた後では摩擦が減り、身体のどこかを動かすとその動きが伝わって少しは足が動くと言うことに気がつくようになる。「動かそうとすれば少しは動く」という事実の積み重ねであり、動かせる部分をうまく使うスキルが熟練して全身の活動で振り出すことができるようになる。そして「自分はなんとか動かない脚を振り出すことができる」という現実を創り直すことができる。つまり「できない」という現実が「できる」という現実に作り替えられた。これによりますます意欲は増し、身体にあるこれまで使われていないリソースまで借り出され、麻痺した脚を全身的に振り出すというスキルは、更に効果的に力強く、思い通りになっていくという良循環に入るのである・・・とまあ、説明はいろいろできるが納得できるものを使えば良いと思う。この説明では原因には一切触れられていないが、振り出せない足が振り出せるようになるという問題解決の過程の説明はある。
そして過去や背景の原因を探るのではなく、今この場で何が起きるか、できるかを見てみると、靴と床の摩擦が小さければ、現状の力でもなんとか振り出しは可能ということに気がつく。なぜ身体が動かないかという「原因追及はしなくても、問題解決は可能」なのである。
従来的な意味での原因追及は必要ないわけで、ここでは「なぜ動かない」という疑問ではなく「今目の前で、何が起こっている?」という疑問を持っている。
このとき僕が観察したのは、一生懸命に患側下肢を振り出そうと全身は細かく動いているのに、靴が床にぴったりくっついて動かない様子だ。そして靴が滑れば動き出すだろう、という思いつきだ。
試行錯誤型治療方略で重要なのは、このように「なぜ」と考えることよりも「今目の前で何がどう起きている?」と考え、観察することだ。「なぜ」という疑問は目に見えない背景や過去にある原因を探るが、「何がどう?」という疑問は今目に見えている現象を理解することだ。つまりシステムにおいてどのような作動が起き、どのような状態になっているかを理解することである。
ただこの治療方略ではセラピスト側の経験・知識などが結果にかなり影響するのも確かだ。というのも試行錯誤型治療方略でともかく決まっているのは、「何が起きているかを観察し、今、この場でできることから始める」ということだけだ。何をどう観察し、どう始めるかはセラピストの経験や知識、センスに委ねられてしまう。だから新人さんや柔軟な発想の苦手な人にはこの方略はとても難しい。逆により多くの経験を積んだセラピストは、より効果的な状況変化の技法を直感的に生み出し、使えることも多い。
ただ残念なのは多くの臨床家が、この治療方略による様々な経験を言語化することなく、世界に広められることのない私的経験に終わらせてしまうことだ。
言語化され、理解される形で伝達されないため、その人の訓練場面はまるで熟練した職人的な印象を受ける。これを言語化した人だけがこのやり方を知識として他人に伝えることができる。そういった意味で、この治療方略は多くの場合、他者が学んだり理解したりする機会も少ない。
現在、リハビリの教育体系には、先ほど説明した「原因追及型治療方略」しか取り上げられていないが、この「試行錯誤型治療方略」を言語化し、様々な問題解決のために「知識として蓄えられ、体系化」されれば僕たちの臨床はどれほど豊かになることか!
たとえば「重い片麻痺の方の患側下肢は、何度も体重をかけていくと、体重を支持するようになる」といったことである。これなどは多くの臨床家が経験し、知っているはずなのに、科学的な根拠がはっきりしないという理由なのだろうか、教科書に載っているのを見たことがない。そのために経験のない若いセラピストは、麻痺が重度だからと最初から体重支持の試みを放棄している例を見ることがある。とても惜しいことである。
またもう一つ。僕が考えるに世の中にはいろいろな徒手療法の治療体系があるが、それらの大半もきっとこの試行錯誤型治療方略から生まれたものだと思う。
たとえば「腰のこういう痛み」に対して「ここをこれくらいの強さでこの方向でこう押さえる」などと言うのは、色々と試行錯誤を繰り返した結果ではないか。そうして状況変化をいろいろ経験し、後からそれらの現象説明に都合の良い因果の関係を想定することによって、次第に原因追及型治療方略の体裁を整えた徒手療法の治療体系が完成するのである。
さてここで「試行錯誤型治療方略」のまとめをしておこう。
・原因追及により解決策を立てるのではなく、今、この場でできそうなことを行ってより良い状況変化を起こそうとする治療方略
・コツとしては、「『なぜ?』と過去や背景に原因を求めるのではなく、今この場で何が起きているかを観察し、今この場でできることから始める」と言う姿勢である。
・ただし具体的に何をどうするかという内容については何も決まったことがなく、セラピスト側の知識・経験・センスに委ねられる。
・原因追及型治療方略が有効な解決策を提供しない時には、有効な手段となる
・多くの臨床家が、意識的・無意識的に行っているが、その効果はセラピストの経験や才能に左右されやすい。経験豊富であればより直感的に効果的な方法を思いつきやすくなる。
・ただしその知識や経験は言語化されることが少なく、世間に広められず私的経験として埋もれてしまう傾向にある
・多くの徒手手技的治療体系は、この治療方略から生まれてきたと想像できる。そしてある程度の知識と経験を重ねた後、後付けで因果関係などが想定され、原因追及型治療方略としての体裁を整えたものと考えられる
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.25 No.1, p4-37, 2014) ”
これは上田法治療ジャーナルに載せた最後のエッセイになります。
これを機にこれを機に
これを機に僕は本格的にCAMRの活動を開始しました。(実際にこれを書いたのは2012年から2013年にかけてでした)思い出深い一本となりました(^^)
②試行錯誤型治療方略
実は多くの臨床家は、「原因追及型治療方略」を唯一の方法と思っているわけではないと思う。原因を探りその原因にアプローチするのは正当な方法とは知っているが、原因が分かったからと言って現実的な解決法が生まれるわけでもないと知っている。またそもそも原因と結果の因果関係が明白な例は少なく、多くの場合、一つの現象は様々な要素の影響し合う中で生まれてくることが多いことを知っているからだ。
そんな時に僕たちを助けてくれるのが、試行錯誤型治療方略である。実際僕が出会った臨床家達で、クライエントの問題をできるだけ何とかしたいと思っている方はこの試行錯誤型治療方略を意識的・無意識的に使っておられたと思う。
この方略は原因を探って根本の解決を目指すと言うよりは、その時その場でできることを探り出し、それを実行してみる。そして少しでも状況が良くなるようであればそれを繰り返したり、もっと工夫したりしてより良い状況変化を起こそうとするアプローチである。環境調整したり、身体をいろいろ操作したり、これまでやっていない運動をしたり・・・今、この場できることから手をつけていくのである。
また最初は五里霧中の状態で、様々な試行錯誤を繰り返し、経験を積むうちに、原因は分からなくてもこうすればこの状況はこう変化するといった経験や知識を基に、次第に直感的により良い状況変化を起こせるようにもなる。
もちろん「理学療法士たるもの専門家として、現状分析から結果を正しく予測して治療にかかるのが当然」、「科学的根拠を基に治療を計画するべき」等という見識をのたまう方もおられる。この建前は強力で、簡単に否定できるものではない。しかし臨床の多くの場面では、因果の関係がうまく説明できなくても、明確な科学的根拠がなくても有効だろうとして使われているものは多い。こんなとき、建前論にこだわっていると私たちの使う治療方略も治療技術もまったく貧弱な物になってしまうだろう。(建前は建前なのである)
では試行錯誤型治療方略の例を挙げてみよう。片麻痺の患側下肢の麻痺が重くて、患側下肢を振り出せないクライエントを考えてみよう。
原因追及型治療方略では、股関節を屈曲させる筋群が麻痺していてその原因はその筋群を興奮させる脳細胞が壊れていると考えるのかもしれない。そこで生き残っている脳細胞群にこの筋群を活性化させるための活動を学習してもらう。あるいはその筋群を刺激して筋収縮を活性化させたりするのかもしれない。
一方僕が昔からとっている方法は、患側足部にタオルを巻く、あるいは古い靴下の先を切って、靴の爪先にかぶせるという方法だ。これは患側足部と床との摩擦を少なくする。こうして患側下肢を振り出すように指示する。クライエントは足を振り出そうとしたり、それでダメなら健側の下肢や体幹をやたらと動かしたりされる。すると患側下肢は良く滑るので、振り出しが偶然生まれる。そうすると今度はそれを繰り返され、やがてそのスキルは熟練し、割と簡単に振り出せるようになってくる。こうして自分一人で歩くことができるようになる。
特に脚が動かない根本の原因を追及しているわけでもない。
僕自身、現在ではこの過程をこう説明している。タオルを巻かない状態では、クライエントは原因はともあれ動かそうとしても脚は動かないという事実だけを経験している。こうして失敗の経験を積み重ねることで、クライエントは「自分の脚は動かそうとしても動かない」という現実を自ら作り出し、次第に動かすことを諦めるという悪循環にはまる。
しかしタオルを巻いた後では摩擦が減り、身体のどこかを動かすとその動きが伝わって少しは足が動くと言うことに気がつくようになる。「動かそうとすれば少しは動く」という事実の積み重ねであり、動かせる部分をうまく使うスキルが熟練して全身の活動で振り出すことができるようになる。そして「自分はなんとか動かない脚を振り出すことができる」という現実を創り直すことができる。つまり「できない」という現実が「できる」という現実に作り替えられた。これによりますます意欲は増し、身体にあるこれまで使われていないリソースまで借り出され、麻痺した脚を全身的に振り出すというスキルは、更に効果的に力強く、思い通りになっていくという良循環に入るのである・・・とまあ、説明はいろいろできるが納得できるものを使えば良いと思う。この説明では原因には一切触れられていないが、振り出せない足が振り出せるようになるという問題解決の過程の説明はある。
そして過去や背景の原因を探るのではなく、今この場で何が起きるか、できるかを見てみると、靴と床の摩擦が小さければ、現状の力でもなんとか振り出しは可能ということに気がつく。なぜ身体が動かないかという「原因追及はしなくても、問題解決は可能」なのである。
従来的な意味での原因追及は必要ないわけで、ここでは「なぜ動かない」という疑問ではなく「今目の前で、何が起こっている?」という疑問を持っている。
このとき僕が観察したのは、一生懸命に患側下肢を振り出そうと全身は細かく動いているのに、靴が床にぴったりくっついて動かない様子だ。そして靴が滑れば動き出すだろう、という思いつきだ。
試行錯誤型治療方略で重要なのは、このように「なぜ」と考えることよりも「今目の前で何がどう起きている?」と考え、観察することだ。「なぜ」という疑問は目に見えない背景や過去にある原因を探るが、「何がどう?」という疑問は今目に見えている現象を理解することだ。つまりシステムにおいてどのような作動が起き、どのような状態になっているかを理解することである。
ただこの治療方略ではセラピスト側の経験・知識などが結果にかなり影響するのも確かだ。というのも試行錯誤型治療方略でともかく決まっているのは、「何が起きているかを観察し、今、この場でできることから始める」ということだけだ。何をどう観察し、どう始めるかはセラピストの経験や知識、センスに委ねられてしまう。だから新人さんや柔軟な発想の苦手な人にはこの方略はとても難しい。逆により多くの経験を積んだセラピストは、より効果的な状況変化の技法を直感的に生み出し、使えることも多い。
ただ残念なのは多くの臨床家が、この治療方略による様々な経験を言語化することなく、世界に広められることのない私的経験に終わらせてしまうことだ。
言語化され、理解される形で伝達されないため、その人の訓練場面はまるで熟練した職人的な印象を受ける。これを言語化した人だけがこのやり方を知識として他人に伝えることができる。そういった意味で、この治療方略は多くの場合、他者が学んだり理解したりする機会も少ない。
現在、リハビリの教育体系には、先ほど説明した「原因追及型治療方略」しか取り上げられていないが、この「試行錯誤型治療方略」を言語化し、様々な問題解決のために「知識として蓄えられ、体系化」されれば僕たちの臨床はどれほど豊かになることか!
たとえば「重い片麻痺の方の患側下肢は、何度も体重をかけていくと、体重を支持するようになる」といったことである。これなどは多くの臨床家が経験し、知っているはずなのに、科学的な根拠がはっきりしないという理由なのだろうか、教科書に載っているのを見たことがない。そのために経験のない若いセラピストは、麻痺が重度だからと最初から体重支持の試みを放棄している例を見ることがある。とても惜しいことである。
またもう一つ。僕が考えるに世の中にはいろいろな徒手療法の治療体系があるが、それらの大半もきっとこの試行錯誤型治療方略から生まれたものだと思う。
たとえば「腰のこういう痛み」に対して「ここをこれくらいの強さでこの方向でこう押さえる」などと言うのは、色々と試行錯誤を繰り返した結果ではないか。そうして状況変化をいろいろ経験し、後からそれらの現象説明に都合の良い因果の関係を想定することによって、次第に原因追及型治療方略の体裁を整えた徒手療法の治療体系が完成するのである。
さてここで「試行錯誤型治療方略」のまとめをしておこう。
・原因追及により解決策を立てるのではなく、今、この場でできそうなことを行ってより良い状況変化を起こそうとする治療方略
・コツとしては、「『なぜ?』と過去や背景に原因を求めるのではなく、今この場で何が起きているかを観察し、今この場でできることから始める」と言う姿勢である。
・ただし具体的に何をどうするかという内容については何も決まったことがなく、セラピスト側の知識・経験・センスに委ねられる。
・原因追及型治療方略が有効な解決策を提供しない時には、有効な手段となる
・多くの臨床家が、意識的・無意識的に行っているが、その効果はセラピストの経験や才能に左右されやすい。経験豊富であればより直感的に効果的な方法を思いつきやすくなる。
・ただしその知識や経験は言語化されることが少なく、世間に広められず私的経験として埋もれてしまう傾向にある
・多くの徒手手技的治療体系は、この治療方略から生まれてきたと想像できる。そしてある程度の知識と経験を重ねた後、後付けで因果関係などが想定され、原因追及型治療方略としての体裁を整えたものと考えられる