医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い-二つの異なる理論的枠組みから見る上田法(その5)

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 -
葵の園・広島空港 理学療法士 西尾幸敏
(上田法治療ジャーナル, Vol.24 No.1, p3-35, 2013) ”
 続きです。まだまだ続きます。
 
   

医療的リハビリテーションで使われる二つの理論的枠組みの違い
   -2つの異なる理論的枠組みから見る上田法 - その5
葵の園・広島空港 西尾幸敏

3.CAMRの反論-従来的アプローチの枠組みに対して
①因果関係論の罠
 従来型アプローチは、ある障害像があるとWhyという疑問から始める。そしてより基本的な要素にその原因を求め、障害像との間に直線的な因果の関係を想定する。こうすることでより基本的な原因にアプローチできるのでより根本的な解決法が導き出されるはずである。
 しかし直線的な因果の見方というのは、しばしば僕達を誤解という罠にかけるのである。たとえばマトゥラーナとヴァレラの「オートポイエーシス」7)という本の巻頭言にビアが次の様な例を挙げている。
 今まで自動車を見たことがない人が、初めて自動車を見る。自動車というのは人やものをある地点から他の地点へ運ぶ機械であるとその人は理解する。ところが、ある時その人の前で自動車が止まって動かなくなる。ドライバーが出てきて、ボンネットのふたを開け、ラジエータに水を入れる。すると再び自動車は動き出す。これを見たその人は、「自動車は水で動く機械」であると思うかもしれない。
 これが因果関係論の落とし穴である。水という入力に対して、走るという出力があるわけで、人はそこに因果関係を見てしまう。これはまず自動車というシステム全体の作動を理解していないというところから生じる誤解である。
 人の運動システムでもこの例と同じことが言えるのではないだろうか。確かに私たちは人の運動システムの構造、作動についてある程度の知識を持っている。しかし運動システム全体の作動の過程や作動状態を変化させるルールについてはまだよくわかっていないところも多い。そのような状態で単純で直線的な因果関係論的視点を持ち込むのは誤りに陥る危険を伴っていることを理解する必要がある。
 また大森が稲妻と雷鳴の例を挙げている。8,9)
一天にわかにかき曇り、雷がピカッと光った後、「ゴロゴロ・・」となる様を古代の人達はどんな風に見ていたのだろうか?きっと「ピカッ」と光るのが原因で、「ゴロゴロ・・」がその結果である、などと考えていたに違いない。というのも稲妻(ピカッ)→雷鳴(ゴロゴロ)の順に時間差を持って体験するために、ついついそれらを原因と結果に結び付けて考えてしまう。
 実際にこれらはいずれも雲と雲、あるいは雲と地面の間の放電現象が原因である。その結果、一方は電磁波として、一方は空気振動として僕たちの五感に達している。ゴロゴロもピカッも共に結果に過ぎないのだが、ともすれば結果同士の間に因果の関係を見てしまう。
 このように人はしばしば結果同士の間にも間違った因果関係を想定してしまうのである。たとえば結果が続けて起きる場合、時間的に先に起きた結果を原因として見てしまう。あるいは構造のより基本的、要素的な部分の結果を原因として見てしまうのではないだろうか。
 実はこれはリハビリの世界でもしばしば起きている。たとえば脊髄性失調症の患者さんでは、アクロバット様の不安定な立位姿勢保持や歩行が見られる。そして詳しい検査をしてみると固有感覚の低下が見られる。アクロバット様の姿勢保持と固有感覚の低下では、固有感覚の低下の方がより基本的、要素的である。そこで「固有感覚の低下があるためにアクロバット様の姿勢が見られる。だから固有感覚の訓練をしよう」ということになってフレンケル体操などが定番の訓練の一つになる。
 しかしこれも誤った因果で、原因は脊髄後索細胞が壊れたからである。結果、固有感覚の低下とアクロバット様の姿勢保持が現れる。先に述べた雷と雷鳴の様なものである。結果同士に因果の関係を想定している。このような結果同士に因果の関係を想定している例は従来型リハビリの中には多い。
 人の運動システム自体がその場でのその状況、達成するべき課題によって運動の構成要素を変えるし、構成要素同士の関係も状況に応じてどんどん変わっていくので、人の運動システムで直線的な因果の関係を想定するのは難しい。
 一方で、CAMRでは原因探しは必ずしも必須ではない。原因を知らなくても、運動パフォーマンスや運動機能を改善し、問題解決のアプローチを展開できることも多いからである。